普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

あれはやっぱりUFO?

2011-10-13 20:40:59 | 超常現象<的>な
 ずっと気になっていることがある。

 9月の半ば頃、仕事の打合せで九段下へ出向いた。
 午後1時から一時間半ほどの打合せを終えて、靖国通りから一本共立寄りに入った裏通りを歩きながら、何気なくビルとビルとの間から覗ける空を見上げた。

 まだ暑さの残る午後で、ボクはうっすらとかいた汗をハンカチで拭っていたのだが、その手をハタと止め、歩みも止めてしまった。
 ボクが見上げたわずかなスペースの空を、銀色の茶筒、シリンダーのようなものが過ぎったのだ。
 翼、プロペラといった装飾などなにもなかった。
 風船のように、当て所ない飛行ではなく、ハッキリとした飛行速度と方向性を持ったもののようだった。

 慌てて、靖国通りに走り出たのだが、向かいのビルに遮られて、その姿形をそれ以上追うことはできなかった。

 ハッキリ言えることは、飛べるはずのない形状のものが、確かに飛んでいたこと。
 こう言うしかないのだが、あれはなんだったのだろう?

 去年の今頃も、UFOを見た。写真にも撮ってブログにも載せた。

 この感じでいくと、来年の夏頃にまた見ることになりそうな気配だ。

物の整理とは、自分の人生の整理と同じ。

2011-10-13 00:28:49 | 普通な人々<的>な
 若い勢いのある頃は、部屋の模様替え一つでも楽しかった。なんだか自分の人生をその瞬間だけでも、大きく変化させられる感じがしたから。

 この歳になって、自分の周囲に集積した「資料」と称するゴミの山を整理し始めると、まるで自分の人生を丸ごと整理、つまるところ死を迎えるための身辺整理のような気がしてくるから不思議だ。

 やっていることには若い頃と今とにそれほどの差があるわけでもない。だが、確実に意味が異なる。

 そして思うのだ。今の自分にとっては、自分の書いてきた原稿も含めすべての物の整理とは、自分の生きてきた人生そのものの整理と同じことなのだと。そうなると先に進むのも怖くなる。

 要は、整理し始めて、昔のものが出てくると手が止まって先に進まなくなることがある。判りやすく言えばアルバムだ。見始めたら止まらない。ある意味楽しい事どもではあるはずなのだが……。

 実は、それが人生の整理なのだと気付く。
 正直、自分の中で何とか整合性を保ちながら、自分自身に納得し、明日を迎えようとする。だが歳を取ると、いつまでも納得がゆかない。いつまでも眺めている。そしていつまでも整理がつかない。歳を取れば取るほど、整理整頓は下手になる。

 だからある日、整理整頓がさくさくと進むようなことがあれば、それは死期が間近だと言うことだろうと思っている。

 正直、まだ下手だ。