普通な生活 普通な人々

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仏教の世界観

2011-10-18 20:09:01 | ちょっと宗教<的>な
昨日、旧約聖書について書いたが、仏教について書いてみようと思う。

そもそもキリスト教などの死生観には、仏教の説くところの生命の永遠性が語られていない。

実はただこの一点に仏教が他の宗教と、異なる点が集約されるのではないかと思う。

そもそも生きることにどれほどの価値を感ずるかは、様々に異なる。

人によってそれぞれ違うと考える人もいるだろうし、そうではなく万人に等しい価値があると考える人もいるだろう。

ある意味、仏教以外の宗教は刹那的だ。今世の只今にこそ価値があると考える。

それは生命には限りがあり、限りあるものであるなら今を大事に生きることこそ、理にかなっていると誰でも思う。それは決して間違いではない。

一方仏教では生命は永遠であると説く。永遠であるが故に、今を大事に生きろと説く。因果であるとか、因縁であるとか、輪廻であるとかいう考え方は、そこに因する。

生命は永遠であるがゆえに、正しく大事に使わなければならない。それは言い表せないほどの価値と輝きを放つ宝のようなものだと、仏教では言う。

だから生命こそを至極のものとして、すべての価値基準をそこにおいて、物事を見、聞き、考え、語り、行動する。

同じように今を大事に生きると言っているのだが、その根本の部分が違うのだ。
どちらが良いかなどという議論をするためにこの文を書いているのではない。

アジアで生まれアジアで育った仏教の、底知れぬ哲学の一端を垣間見ただけ。

刹那的とも言えるキリスト教的世界観は、それほど遠くない将来に、駆逐されるのではないか、とちょっと思ったりしたわけです。