普通な生活 普通な人々

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余計な事

2012-05-25 13:39:35 | 普通な生活<的>な
例えば、クスリ。
ご存知の通り、オールマイティーのクスリというものは、ない。それなら、なにかの病変にピンポイントで効くクスリはあるのかといえば、実はこれもない。

どういうことかと言えば、なにかの病変は、決してそれだけで起こるものではなく、必ず複合的な原因、症例を伴っているということだ。
極端な言い方をすれば、全ての原因が7つあれば、7つの原因それぞれに対処するクスリが最低でも7種類必要だということなのだ。

風邪薬が良い例だ。最近は、喉、鼻、頭痛などと症例を特化したものが増えているが、風邪の症状は複合的で、下手にクスリを選べば、長引くばかり。

そして最も問題なのは、一つの症状を抑えられるクスリにすら、必ずと言っていいほどに副作用があるということ。

そして、その副作用を抑えるクスリが必要になる。ここまでくると、お気づきの通り、際限もない無限連鎖のはじまりだ。

俗に言う、クスリ漬けの始まり。

そして、7種類の症状に対処する7種類のクスリは、さらに相互に影響しあって、別の副作用を産み落とす可能性も高い。だから一度に処方できなかったりもする。

アレルギーもある。

こうした、クスリによって発症する症状に対して、別のクスリなどを処方することになるわけだ。

この、恐ろしいほどのイタチごっこが日本の医療現場の錬金術だと言っても良いだろう。

そして、この錬金術の方法論は教育、物販、情報サービスなどの第二次産業以降およそすべての産業体が活用しているのだ。

ことさらなのは、広告業界だろうか?

電博はその代表格。彼らは、たった一つのことに、幾重にも付加価値という名のレイヤーを重ね、売りさばく。
それが彼等の仕事とは言え、その手腕は恐るべきもの。

ただ、良く考えてみれば、そのほとんどは、人間が基本的に生きる上で不必要なモノばかり。

なんのために作られたのか、首を傾げたくなるような、お笑い芸人の出演するテレビ番組がその典型か。

前述のクスリの話ではないが、年々歳々新しい病気を生み出し、それに対する処方も生み出す。

百万人に一人しか罹らない病変が、あたかも明日には一般的な病変になるかのような誤解を与え、かかりもしない病変の予防と言って、不必要とも思えるワクチンを投与する。

酷い時には、さながらマッチポンプ、

現代の最大の問題は、こうした余計なことが、あたかも価値的であるかのように受け取られていること。

みんな、少し冷静に物事を見直してみませんか?