普通な生活 普通な人々

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末法万年尽未来際

2014-05-15 21:55:39 | ちょっと宗教<的>な
未来は明るいものだと、大方の人は信じている。

未来は、決して明るいばかりでもないと言えば、まるで悪鬼のように罵られる。

「なぜそんな悲観的なことばかり言うのか? 明るい未来だからこそ、今日を頑張って生きる価値があるのに!」

そう言うのだ。その通りかもしれない。

ただ、暗い未来予測も確かにあるのだ。

明るい未来と信じている大半の人の未来は、概ね自分もしくは自分の周辺に関わりある人の未来という場合が多い。

暗い未来予測は、そうした身近な環境下の未来ではない。

それは、過去を俯瞰して言えば、1999年や2012年を終末の時とした未来予測などとして、結構華々しく脚光を浴びて登場した。こうした未来予測には、明るい未来などほとんどない。

そして、そうした未来予測は「科学的根拠を持たない」という、まるで万能ナイフのような一言で一刀両断される。大体が、嘘つき呼ばわりされることになる。

だが本当にそうなのかと、首をかしげる。

仏教では、今ボクらが生きている時を、末法であると言う。末法とは仏の教えが衆生の機根に全く入らなくなくなる、仏の法が空文化どころか、あることすら忘れ去られる時代だと説く。そしてそれは末法万年尽未来際=永劫とも思える時間続くという。

もちろんそうした時代ですら、仏の法で救済されると説く経典もあるが、基本的に末法は仏の教えが失われた、暗い時代と説く。

時ばかりでなく、仏教では今ボクらが生きているこの場=空間も、穢土と言う。穢土とは穢れ汚れた土地と言う意味だ。人々の機根すら穢土に相応しく穢れたモノであると説く。

法を忘れた穢れた機根の人々が、穢土に暮らしているのが、今の世界なのだ。そしてそれは、永遠に続くのだ。

そうした器の中今を生き、人々は近視眼的に見通す未来を「明日は明るい」と思い込んでいる。いやいや、ひょっとすると思い込まされている。

それが現実。

この世界の支配者は、世界中の人々が近視眼的にしか未来を見ないでくれる方が、どれほど支配しやすいか良く知っている。だから時に、支配の道具に成り果てた宗教は、歪んだ現世利益的なものだらけになっている。

未来を明るくするのは、心の奥低の真実を照らしだす真の宗教のみ? と言うことにしておく。