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東京「昭和な」百物語<その1>

2014-12-22 01:00:25 | 東京「昔むかしの」百物語
はじめに

 いまの東京という町は、変化の激しい落ち着かない町だ。

 ボクはいま60歳代の半ばだが、4歳の時に家族と共に、山陰の古都・松江から移り住んだ。父の仕事の都合もあったが、後々書くが、ボクの存在が大きなファクターだった。
 そんなわけで、すでに60年以上を東京で過ごしていることになるが、ボクが20歳前後だから昭和45年頃だろうか、東京はそれまでの戦後四半世紀以上、さほど変化をしてこなかった町の相貌を、突如変化させ始めた。
 それは美しい嫋やかな女性が、嫉妬と憤怒で鬼=夜叉に変貌するかのごとき変わりようだった。

 昭和33年に東京タワーが完成し、東京オリンピックという画期的なイベント開催が決まり、昭和36年頃から新幹線にまつわる工事が進捗し、首都高速道路が縦横にめぐらされ、近代都市のイメージを作り上げ急激な変化を遂げたようには見えた。
 だが、実際のところさほど町の本質は変わっていなかった。そこで生きる人々の息使いが変わらなかったと言って良いかもしれない。

 東京の変貌は、自らに「本質的に変わらなければならない」と義務付けた時から始まったと、ボクには思えてならない。それまでは、戦後を引きずっていたという言い方ができるだろうか。実際に戦争に赴いた人々、戦中の「負」の生活を余儀なくされた銃後の人々の意識が、東京という町にも充満していたように思えるのだ。要は、日本人全体が戦争という「経験」から抜け出せずにいたのだ。

 それが、戦後世代、ことに団塊の世代(こう一括りに言われるのは釈然としないのだが…)と言われるボクも含まれる世代が、社会に少しずつその影響力を強め、実際に社会参加し始めた頃に、東京は劇的に変化し始めたのだ。

 その変化に転じた一瞬を、ボクは記憶している。もちろんそれはボク個人の「意見」であり「認識」だと断っておくが、それは、1968年10月21日だった。世に言う「新宿騒擾事件」こそが、東京という町の劇的な変化の始まりだった。「新宿騒擾事件」が、変化の引鉄をひいたのだ。

 第二次世界大戦を引きずり続ける「旧世代」に、「反戦」という、まったく異なる価値観を武器に「新世代」が「仕掛け」たのだ。「旧世代」と「新世代」という言い方を言い換えると、「秩序」と「無秩序」とでも言えそうだ。

 この頃、新宿の「小便横丁」(いまでは「思い出横丁」などと言っている)にあった軍隊酒場が消えた。

 なんとも象徴的なことだった。

 そんなこんなで、話は始まる。