ボクには3人の恩師がいます。いま、そのどなたとも音信がありません。恩師を裏切り続けるボクがいます。
高校の演劇部で顧問をしてくださっていた井関義久先生。以前このブログでも少し触れたことがありますが、桜美林大学の教授になられ、日本の古典芸能である狂言の世界では、大きな存在でもありました。高校卒業以来、一度お宅にお邪魔させていただきましたが、それ以来お手紙すらお出ししていません。
川内康範先生。廣済堂出版の「週刊時代」編集長としてボクを引き立ててくださいましたが、なんの恩に報いることもできないまま、亡くなられました。葬儀にも伺っていませんが、ボクはとても大きなものを頂いたというか、お預かりしたという思いで生きています。
そして3人目は、父・加藤千代三です。いまの若い人たちには「?」でしょうが、ボクには父というよりも、人として大きな存在です。なんの宣揚もできていません。
こういう存在を、恩師と呼べるのか否か、甚だ疑問ではありますが、齢68年を積み上げてきた加藤某にとっては、どう思われようと、恩師です。
高校の演劇部で顧問をしてくださっていた井関義久先生。以前このブログでも少し触れたことがありますが、桜美林大学の教授になられ、日本の古典芸能である狂言の世界では、大きな存在でもありました。高校卒業以来、一度お宅にお邪魔させていただきましたが、それ以来お手紙すらお出ししていません。
川内康範先生。廣済堂出版の「週刊時代」編集長としてボクを引き立ててくださいましたが、なんの恩に報いることもできないまま、亡くなられました。葬儀にも伺っていませんが、ボクはとても大きなものを頂いたというか、お預かりしたという思いで生きています。
そして3人目は、父・加藤千代三です。いまの若い人たちには「?」でしょうが、ボクには父というよりも、人として大きな存在です。なんの宣揚もできていません。
こういう存在を、恩師と呼べるのか否か、甚だ疑問ではありますが、齢68年を積み上げてきた加藤某にとっては、どう思われようと、恩師です。