普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

十八史略

2011-10-07 13:52:22 | 普通な人々<的>な
若い頃から古代中国史に興味を惹かれ、三国志やら史記やら、表題の十八史略やらにまつわる本を、手当たり次第に読んできた。
その読書経験が少しは身になっていれば良いのだが、残念至極。
ここにきて、十八史略に登場する人物に、なにか思いが向かい、またぞろ読み始めた。
なかでも周、春秋の頃の周公旦や子産、晏嬰(アンエイ)などに心惹かれるものがある。
どうやらバランス感覚に惹かれているようだ。そしてそれは、無い物ねだりと言う言葉がある通り、ボクには無いものかもしれない。
考えてみれば、なにか思い込みで生きてきたような……。

新しいライブハウス

2011-10-06 22:54:29 | 音楽にまつわる話<的>な
 S-Kenからのインフォで、下北沢に新しいライブハウスが誕生するとのこと。その内覧会のようなイベントが今日の夕方からあった。時間はあまりなかったが、夕方に出向いてみた。

 「Garden」というそのライブハウスは、下北沢の駅から徒歩3~4分。雑居ビルの地下一階。なにか、非常に使い勝手の良さそうなライブ空間。スタンディングで、おそらく4~500は入りそうだ。

 PETSが杮落としのライブを行なったが、それほど広い空間でもないわけで、生音も当然聞こえるのだが、PAの作る音像が非常にハッキリとしていて、ライブの音をしっかりと楽しめた。

 壁はブリック仕様で、おそらく音の際限のない回り込みを防いでいるのだろう。使うには結構高そうな感じだが、幾らぐらいのものなのだろう?

 若いファン層がほとんどのロック、ポップスのライブ用だから、スタンディングのライブハウスがほとんどになってきているが、ジジババだって参加もしたけりゃ、楽しみたい。
 正直立ちっ放しでライブ1時間はキツイ歳になってきた。椅子席もあると嬉しいなあと思った次第。

九州で地震 震度5強

2011-10-05 23:57:04 | 普通な人々<的>な
 いま九州で地震があったとテレビニュースが報じていた。M4.4、震度5強とのこと。熊本を中心とした揺れのようだ。
 夜の浅い時間帯には長野を中心に地震が頻発していたようだ。

 アチコチが揺れている。なにか大きな地震の予兆なのか、それとも前からこの程度の頻繁さで地震はあったのか。
 一つだけ確かなのは、毎日毎日よく揺れているということ。

 大災厄の来る前兆などとは思いたくもないし、来るなら来いというところだが、ある種の破滅思想の予言を成就するような形にはならないで欲しいと思う。

 誰かが災厄を前に「それみたことか」と思うかもしれないと考えただけで、はらわたが煮えくり返る。この間の韓国サッカーチームサポーターのことを思い出してしまう。

 揺れが災厄を招くほどではなかったことを祈ります。誰も傷つかなかったことを祈ります。被害が最小限であったことを祈ります。

野菜もダメ、肉もダメ、そして米もダメ。

2011-10-02 19:46:12 | 普通な人々<的>な
 やっぱり日本の政治家は無能だわ! 救いがたい。

 燃料棒など既にない可能性の方が高い炉を、「冷却できました」、「100度を切りました」って、なにを言っているのでしょう? 

 東電と結託しているのか、ダマクラカされているのかよくわからないが(どっちでも良いのだが)、まったく国民に正面からの対応をしていない。

 米農家は悲惨だな。食肉業者も悲惨だな。一般農家も悲惨だな。自然と対峙する第一次産業は悲惨だ。就業人口が少ないからどうでも良いとでも思っているのだろうか? そんな気にさせられる。

 一般サラリーマン家庭も、自由業者(これが一番かな)も悲惨だな。

 この悲惨な状況を、どう切り抜けるのか、どう対処するのか、どう向き合うのか。

 なにひとつ解を持たない。これを無能と言うのだ。

 結局、最悪の増税路線をひた走り始めて、この国の経済は冷え切って冷え切って、どうなるのか想像もつかないということになりそうだ。

 残念です。

ウッドストック!!

2011-10-01 14:51:15 | 音楽にまつわる話<的>な
 NHKのBSで、「ウッドストック」のディレクターズカットを29、30日と2日にわたり放映していて、つい観てしまった。



 もちろん以前にも観ているのだが、なにか以前とはまったく違う印象で観終わった。

 リッチー・へヴンスにはじまり、ジミ・ヘンドリクスで終わるのだが、ミュージシャンのライヴよりも、その間の、「ウッドストック」というイベント自体を構成する観客、スタッフ、農場の環境、天候、周囲の保守的な人々(要は大人)…およそあの時代のあの場所に、関わりのあるあらゆるファクターを網羅したような映像と音は、まさにドキュメンタリーとして面白く、またすぐれた映像だと思った。
 特にジミへンの演奏をバックに映し出される、50万人の残したゴミの山とそれを片付けるスタッフ(観客かもしれない)の姿を写し続けるエンディングに連なるカメラワークは、かつて観た時とはまったく真逆の印象をもたらした。

 かつて観た時にはあのエンディングは、それほど印象にない。あったかどうかも憶えていない。つまりあくまでライヴそのものがメインであり、それ以外の部分には余り意識も目もいっていなかったということだろう。
 それが、エコだのなんだのと言われるようになり、今となってはあの壮絶なエントロピーの場を見せられると、「ウッドストック」というできごとの意味合いも、受け取り方として大きく変わってくる。

 同じく放映を観たという友人は「なんだか、気恥ずかしかったよ」と、言った。判るような気がする。

 ボクら世代のバイブルのようなイベントだった「ウッドストック」。「共感」というキーワードがあったのだが、今では必ずしも共感だけではなく、むしろ「?」がつく感じもある。

 できることならもう一度、じっくりと観てみたい。