高梁市文化交流館において、「孤城 春たり」を楽しく読む会 特別講演会 澤田瞳子氏 ~演題~「山田方谷を書く」が行われた。
直木賞作家の澤田瞳子さん執筆による山田方谷をテーマにした小説が、2023年初めから山陽新聞朝刊で連載されており、今回著者による講演会が行われたのである。
澤田瞳子さんは同志社中学・高校から同志社大学文学部ヘ進学し、同志社大学大学院にまで行ったということである。
山田方谷と澤田瞳子さんの結びつきは、同志社を設立した新島襄が備中松山藩の洋式船「快風丸」に乗って開港地の箱館へ行き、それからアメリカへ密航したという史実による。
8年ほど前から澤田瞳子さんには山田方谷をテーマにした小説を書いてくれないかという打診があったそうである。
ウィキペディアには以下の様な記述があった。
(新島襄は)明治13年(1880年)から大学設立の準備を始める。
同年2月17日に快風丸での旧知を訪ねるため、かつての備中松山藩であった岡山県高梁町(現在の高梁市)へと赴き、滞在中に中川横太郎の勧めで伝道と文化改革を目的とした演説を行う。
この時の演説は、のちに備中松山の地で高梁基督教会堂の設立発起員の一人となり女子教育に注力する事になる、同地の婦人部会の代表であった福西志計子に深い影響を与えた。
福西志計子はその後、吉備国際大学を運営する順正学園の由来となる順正女学校を開設する。