河村顕治研究室

健康寿命を延伸するリハビリテーション先端科学研究に取り組む研究室

ロシア日本教育センター訪問

2016-11-24 | 旅行記
本日のミッションは本学と提携したロシア日本教育センターを訪問することである。

リアナ先生が午前中のモスクワ大学での講義を終えた後、ホテルまで迎えに来て下さり、ロシア日本教育センターまで案内して下さった。
宿泊しているホテルからは徒歩10分くらいのところであった。



右隣にはこんなおしゃれなお店がある。
加計理事長やリアナさんは日本の銀座のような通りだと言われるが、赤の広場へ直結するポリシャヤ・ドミトロフカ通りに面しており、確かに一等地にある。



事務所の入口には『吉備国際大学モスクワ事務所』の看板が掲示されている。



教室には日本的な雰囲気が醸し出されている。






今回初めて知ったのだが、アニメのクラスの企画が既に進行している。
ホームページも立ち上がっているのだが、本学の関係者はあまり知らないのではないだろうか。



リアナ先生から日本のアニメ関係にはロシアの学生の強い関心が示されていると聞いた。

せっかくこういった取り組みがなされているのであれば日本でももっとPRすれば良いのにと思った。



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モスクワの第一印象

2016-11-24 | 旅行記
昨夜、日本時間の午後11時頃に空港に到着して、もし自力でホテルに向かったとしたら疲労困憊してモスクワの印象は違ったものになったと思う。

ところが、思いもかけず、リアナ先生のご主人がご自分の車を運転して空港まで迎えに来て下さったので、私は非常にありがたかった。

リアナ先生というのはこの方なのだが、20年位前、私が丁度アメリカに留学していた前後の頃に、ご主人が文科省の招待で岡山大学に5年間来られていたのである。
日本語はお二人とも非常に流暢で、岡山のことも良く知っておられ、コミュニケーションには全く不安がなかった。

岡山に住んでいた頃、阪神淡路大震災があり、その後も日本の地震のニュースに接する度にとても心配になるのだそうだ。
先日も日本で大きな地震があったという報道を見て、岡山のことを心配されていた。

リアナ先生のご主人も、現在ロシアアカデミーの仕事をされており、娘さんはアカデミーが運営する病院で心臓血管外科医をされているということで、典型的なインテリ一家のようである。

リアナ先生ご夫妻からいろいろな説明を聞きながら、空港からホテルに向かったが、いろいろなことが分かった。

モスクワの構造は赤の広場やクレムリンを中心として3重の環状道路が同心円上に配置されている。

一番小さな環状道路の内部は18〜19世紀に建築された古い建物が建っており、1階は店舗などの商業施設になっているが2階から上はマンションで高級住宅になっている。

一番外の環状道路の内部には網の目のように地下鉄が張り巡らされているので、地下鉄での移動が早くて快適である。

したがって、モスクワで生活するときには地下鉄駅の近くに住むのが一番便利と言うことになる。

しかし、一般的な生活レベルの人は、経済的理由から環状道路の外の郊外に住むしかない。

そうなると郊外から車で市内に通うか、帰宅時には一番外の駅で地下鉄を降りたらバスに乗り換えて帰ることになる。
そうした人たちが、バス待ちの長い行列を作っているのを車の中から目撃した。

リアナ先生ご夫妻は、一番便利な中心部に自宅があり、職場も中心部なのでふだんは歩いて移動すれば健康にも良く不自由しないのだそうだ。
昨日は、マンションの地下駐車場に停めてふだんはほとんど運転しない車を運転して、初めて慣れないシェレメチェヴォ国際空港まで迎えに来て下さったのだった。

車が郊外から街の中心部に近づくにつれて渋滞がひどくなり、追突事故も昨夜だけで5件くらい目撃した。

リアナ先生によると、今年は11月としては異常に雪が降り、11月の初めに大雪が降ったそうだ。
その日はモスクワ中が大混乱で、飛行機も2日間着陸できなかったという。
交通事故はモスクワ中で900件も発生したとのこと。

そんな時期に鉢合わせしなくて本当にラッキーだった。

ネットの記事によると東京でも積雪があったとのこと。
今年は異常気象なのかもしれない。

クレムリンの近くのホテルに近づくと、丁度クリスマス用のデコレーションも始まっており、街の印象はずいぶん変わってきた。

ヨーロッパの古い町並みという趣である。

今日は少し落ち着いたので、散策してみるつもりである。


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モスクワ到着

2016-11-23 | 旅行記
モスクワ到着は渋滞のため定刻をやや遅れて現地時間の午後5時過ぎとなった。
時差が6時間あるので日本では午後11時過ぎである。
モスクワには複数の国際空港があるが、到着したのはシェレメチェヴォ国際空港で市内には一番近いところにある。
早くホテルにチェックインして休みたい。
飛行機の中から撮影したら窓がうっすらと凍っている。


インチョンから飛んだので韓国人の旅行者が多いのは当たり前だ。
パスポートコントロールはやや時間がかかったが、パスポートを提示するだけで何の質問もなく、あっさりと終わった。


預けてあったスーツケースをバゲッジクレームでピックアップして外へ出ると、リアナ先生ご夫妻が車で出迎えて下さっていた。
渋滞で2時間くらいかかりホテルにチェックインしたら午後9時近かった。
部屋に入ると日本のホテルに置いてあるようなアメニティーは全部そろっており何の問題もなかった。
着いてみると、何も問題はなかった。
WiFiの接続の仕方が分からなかったのでフロントで尋ねてみたら、きちんと英語で教えてくれた。
空港にも英語の表示はあったし、何も困らなかった。
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インチョン空港で乗り継ぎ

2016-11-23 | 旅行記
インチョン空港で乗り継ぎを行った。

インチョン空港はハブ空港としてとても便利にできている。
案内も英語だけでなく日本語でも書いてあり、迷うことはない。
時間つぶしのサービスもいろいろと行われているようで、WiFiもすぐにつながった。



モスクワ到着時にロシアルーブルが全くないのも気になるので少額だけ両替した。
いったん円を韓国の通貨に交換してからルーブルに変えるので手数料が二重にかかるとのことであった。



11月のモスクワ行きとあって、搭乗者は少なめであり、右端の2列の並びの席を1人で使用できた。
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岡山出発

2016-11-23 | 旅行記
やはり緊張しているのか朝は目覚ましなしで早く目が覚めた。
パッケージングを確認して、自宅を車で出発。
と思いきや忘れ物に気付いた。
オーバーコートである。
これを忘れたらモスクワでいきなり凍えてしまう。

岡山空港は珍しく3番パーキングに空きがあり、車を駐車した。
車で空港まで荷物を運べるのがとても便利である。


ネットで調べて、岡山空港でもロシアルーブルに両替できるらしいので、一番に両替に向かった。
ロシアルーブルへの両替を依頼すると、珍しい通貨なので今日は準備ができていないという。
あらかじめ電話をくれたら準備していたのですがとのことなのだが、それならそうとホームページにきちんと書いて欲しい。
いきなり予定が狂ってしまった。
手持ちでドルが少しあるので何とかなるだろうと考えて両替は諦めた。


Korean Airにチェックイン。
スーツケースを1個預けた。
ここからインチョン経由でモスクワへ向かう。
岡山空港から飛べるので一番便利な便である。



岡山空港にもラウンジがあることに気付き、しばらくラウンジを使わせてもらうことにした。
無料のWiFiもあり、こうしてブログに記録を残すことができた。
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小豆島へ

2012-08-12 | 旅行記
夏の小旅行で小豆島へ行ってきた。




オリーブの原木は写真の通り、存在感があり美しかった。
今回は日本のオリーブの歴史の勉強になった。
元々オリーブを日本で生産するようになったのは日露戦争後、軍隊の食料としてオイルサーディンの缶詰を作るのにオリーブ油を国産化しようと言うことで国策としてオリーブの木が植えられたのだそうだ。

本日、我が愛車は小豆島で260,000km達成。
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円高の思い出

2010-08-18 | 旅行記
8月11日、円は1ドル84円台という15年ぶりの高値を記録した。
これまでの円の最高値は1995年4月につけた1ドル79円75銭である。
今回の円高は、これまでの最高値を上回るかもしれないと言われている。

1995年4月というのは私にとっては忘れられない年である。
ちょうど1年間のアメリカ留学を終えて帰国した時だからだ。
その前年度から円高がどんどん進行し、アメリカ留学中は円高の恩恵を受けたが、困ったのが帰国直前にそれまで乗っていた車2台を売って得たドルをどうするかという問題だった。
帰国間近になって円高がさらに進行し、日本にドルを持って帰っても損をするのは目に見えていた。
結局、アメリカで買い物をして日本に持って帰った方が得かもしれないと思い、それまで倹約生活を送ってきたのがいきなり買い物三昧の放蕩生活を送ることになってしまった。
冷静に考えれば、あわててドルを使わなくてもアメリカの銀行にそのまま預けておいて、円安になった頃に引き出せば良かったのだが、アメリカ土産をたんまり買い込んでの帰国というのも悪いものではなかった。
そんなことができるのもアメリカに住んでいればこそだからだ。
たとえば日本に帰れば入手できないかもしれないと思ったのは、アーメタルで作られた食器である。
ボルチモアからずっと北にあがってペンシルバニア州のランカスターまでドライブして大量に購入した。
ランカスターはアーミッシュという人たちの街として有名である。
アーミッシュの人たちは宗教上の理由で文明の発達にとらわれず、ずっと昔のスタイルを守って生活していて、私達から見ると驚くほど素朴な生活をしている。
「大草原の小さな家」のような生活と言えば分かるだろうか。
今でも車を使わずに馬車で生活しているのである。
その人達が作った生活用品が、「アーミッシュの工芸品」としてこのあたりの名物になっているのだが、素朴な木製家具や、アーメタルという金属製の器などが有名だ。
ボルチモアからランカスターへは高速道路で1時間半くらいの距離で、アーメタルの工場直売のお店があった。
そこで購入した食器の大半はお土産にしてお世話になった方にあげてしまったが、今でもいくつかは手元に残っている。
年数を経ても今でも十分使用に耐え一生ものである。

今回の円高は、日本の財政が破綻しかかっているにもかかわらず、他に買うものがないと言う理由で円が買われているものだが、いったいいつまで続くのだろうか。
このままでは輸出産業は大変なことになる。
というか、国内でものを作ってもだめなので、ますます国外に製造業が出ていき産業の空洞化が進行して景気が悪くなる。

普通に日本国内だけで生活していると円高と言っても何も変わらないが、マクロで考えると大変な事態なのだ。
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北緯39度

2010-02-28 | 旅行記
メリーランド州ボルチモアはほぼ北緯39度に位置する。
日本では東北地方の緯度である。
ボストンやニューヨークは緯度では北海道と同じである。
アメリカ東海岸の都市は、意外と北に位置しているのである。

ネットで検索していると北緯39度というタイトルのアメリカ人のブログを見つけた。
著者は東北に来ていたことのあるメリーランド在住の方である。
日本語は少し怪しいが興味深い。




15年前のアメリカ留学中の真冬のフロリダ旅行はとても楽しかった。
アメリカは広大である。
真冬でもフロリダは夏と変わらなかった。

今では夢のような旅行であるが、このような経験ができたことは貴重な人生の財産である。
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アメリカ冬の旅の思い出8

2010-02-27 | 旅行記
マイアミから飛行機でボルチモアに戻ると、一面が銀世界だった。
一夜にして夏から冬に変わったような感じである。

冬の寒さを感じるとともに、アメリカ留学も残すところあと1ヶ月という厳しい現実に戻された。



アパート近郊の雪景色


アパート近郊の雪景色
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アメリカ冬の旅の思い出7

2010-02-26 | 旅行記
その日は日も暮れてマイアミに帰り着いた。

マイアミの滞在時間は短く余り記憶に残っていないのだが、ストーンクラブのことだけは良く覚えている。
キーウェストにドライブする前日の夜、マイアミに飛行機で到着した日の夜のことだが、ガイドブックを参考にストーンクラブで有名なレストランに予約を入れてディナーを食べに行った。

ストーンクラブ(Stone Crab)というのは石蟹と訳されるが巨大な爪を持った石のように硬い蟹のことである。
こんなに大きな爪を持っているのだからさぞ大きな蟹だろうと思うのだが、実際には蟹の本体は見たことがない。
噂によると蟹本体は意外に小さいらしい。
戦うために片方の爪だけが巨大になったのを、冬のシーズンにもぎ取って本体は海に帰すのだそうだ。
そうすると数年するとまた巨大な爪ができてくるらしい。
1匹から何度でも爪が採取できるのである。
この巨大な爪をゆでて木槌で割って食べるとものすごくおいしい。

キーウェストから帰ってきた日の夜は少し遅くなったのでレストランに行くのはためらわれた。
そこで、アメリカ暮らしにもだいぶ慣れていたので、遅くまで開いている地元のスーパーを覗いてみた。
そうすると、驚いたことに鮮魚コーナーに貴重なストーンクラブが格安でごろごろと置いてあったのである。
アメリカでもスーパーでストーンクラブが買えるのは非常に珍しい。
その夜はストーンクラブとワインを買ってホテルに持ち帰り楽しんだ。


マイアミは木の生い茂る大都会である。


海もすぐそばにある。巨大なエレキギターのオブジェがぐるぐる回っていたのを覚えている。

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アメリカ冬の旅の思い出6

2010-02-25 | 旅行記
キーウェストのシーフードレストランで昼食を取り、急いでホテルのあるマイアミに帰ることにした。
マイアミ市街は夜は物騒だと聞いていたからだ。
デザートにキーライムパイも食べたような気がするが記憶が定かでない。
キーライムパイとはフロリダの名産キーライムというライムで作ったパイで有名である。

帰路は来た道の反対車線を延々と走るだけであるから、景色はもう見飽きて何の感動もない。
ただただ車を走らすだけである。


キーウェストからマイアミに向かうドライブはもはや感動がない
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アメリカ冬の旅の思い出5

2010-02-23 | 旅行記
朝早くマイアミを出発して、昼頃にやっとキーウェストに到着した。

そこは思っていたよりも小さなエリアで、ショップやレストランが建ち並ぶ観光地だった。


キーウェストのショップ。雰囲気がよい。


作家ヘミングウェイの家があった。


徒歩の観光客のためにトロッコ列車が走っていた。


町を南に向かって抜けて行くと、そこはアメリカ最南端の海岸だった。








水着で海水浴や日光浴をしている人がたくさんいた。
これが2月だなんて信じられなかった。
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アメリカ冬の旅の思い出4

2010-02-22 | 旅行記
オーランドでの学会終了後、私は飛行機でマイアミに飛んだ。
これからが本当の旅行である。

アメリカに留学して比較的時間に余裕がある人なら誰でも挑戦してみたくなることがある。
それは、一号線と呼ばれる美しい道を通り、アメリカ最南端の地、キーウェストまでドライブすることである。
ここで実行しなければ一生そんなチャンスは訪れないだろうことは容易に予想できた。
アメリカの研究室のボスには多少申し訳ない気もしたが、帰国も迫っているし遠慮していたら一生こんな旅行はできない。



マイアミのホテルに落ち着いた翌日、ついにキーウェストまでの夢のドライブに挑戦した。


マイアミに近いところでは道路のそばにこのような家が建っている。


一号線をひたすら南に向かって走る。


何時間走っても海の上である。最初は興奮していたが、そのうちかわりばえのない風景に疲れてくる。
キーウェストはまだか!!
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アメリカ冬の旅の思い出3

2010-02-18 | 旅行記
オーランドのダウンタウンにレンタカーで出かけるとチャーチストリートステーションという所がある。
ディズニーワールドだけではもの足りずに、ここまで遠出した。
昔のアメリカの面影が残っておりムードがあるエンターテイメントスポットである。
レストランやショップがたくさんあり、ショーなども楽しめるらしい。


チャーチストリートステーション
この列車は飾ってあるだけで、実際には駅の機能はない。


チャーチストリートステーション
ショップとレストランやバーがたくさんあり観光客で賑わっている。
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アメリカ冬の旅の思い出2

2010-02-17 | 旅行記
エプコットもすばらしいが、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの中心はやはりマジックキングダムだろう。
同じようなテーマパークはいまや世界中あちこちにできているが、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの大きさは、JR山手線内面積の約1.5倍もあり、その中にあるマジックキングダムはやはり特別である。

子どもにしてみれば魔法の国に迷い込んだような気持ちになるだろう。
当時、阪大整形外科から留学してきていたM先生がご家族で一緒に学会に来られていたが、そのM先生の小さな娘さんのエピソードが忘れられない。

いよいよ学会も終わってボルチモアに帰るという日になって、もっとディズニーワールドにいたいとだだをこねだしたのである。
子どもだから誰でもそうだろう。
M先生はぐずる子どもにこう言ったそうだ。

「パパは貧乏でもうお金がないから帰らなきゃいけないんだよ。」

「パパ、トウチョクに行ってお金稼いできてよ。」

大学勤務を経験した医師には身につまされる話であるが、給料が安いので当直アルバイトで稼ぐしかないのである。
日本でそういう親の会話を聞いていたのだろうが、アメリカでは残念ながら当直はできません。




マジックキングダム



当時はアラジンやビューティー&ビーストなどがはやっていた。
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