河村顕治研究室

健康寿命を延伸するリハビリテーション先端科学研究に取り組む研究室

ORSへのお誘いメール

2010-02-16 | 旅行記

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Register Today!

Online Registration Only for the
56th Annual Meeting of the ORS
is open until Monday, February 22, 2010.


SATURDAY, March 6 - TUESDAY, March 9 | 2010
Morial Convention Center | Hall H
New Orleans, Louisiana

To register for the ORS meeting, click here.

Comprehensive Annual Meeting information is
also available on the ORS website.


We look forward to welcoming you to
New Orleans, Louisiana!

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ORS事務局からORSへのお誘いメールが届いた。
今年のORSはニューオーリーンズだが、残念ながら私は大学の行事があり参加できない。
15年前に初めてフロリダで参加したORSで魅了され、その後もできるだけ参加している。
研究のモチベーションを保つ上では最高の学会である。

毎年、2月か3月にアメリカ南部の暖かい都市で開催され、世界中から研究者が集まってくる。
私にとっても後期試験が終了した後なので参加しやすかった。
しかし最近は大学の行事が増えてなかなか参加できなくなってしまった。

来年はまた演題を出して参加を目指そうと思っている。




15年前にオーランドで開催されたORSでの発表時の写真
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アメリカ冬の旅の思い出1

2010-02-15 | 旅行記
15年前の2月に、アメリカ留学中の私はフロリダへ旅行に行った。
元々は1年間の研究成果を学会で発表するのが目的で、ついでに冬のアメリカで最も好まれる暖かなフロリダを旅行したのである。
記録によると私が参加した学会と発表した演題は以下のものである。

41st Annual Meeting, Orthopaedic Research Society (February 13-16,1995)
   Muscle recruitment during knee isometric extension exercise
   Li, G., Kawamura, K., Barrance, P., Chao, E.Y.S.

学会場はウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート(Walt Disney World Resort、略称:WDW)で、アメリカフロリダ州・オーランドの南西に位置するリゾートである。


ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート


湿地帯ならではの多くの水を生かしたディズニーパークである。


エプコットのシンボル、スペースシップ・アース館


EPCOT( Experimental Prototype Community of Tomorrow )は未来の生活と世界旅行がテーマ
フューチャー・ワールドとワールド・ショーケースのふたつのゾーンで構成されており、ワールド・ショーケースの中には世界11カ国をテーマとしたパビリオンがある。


日本館には法隆寺の五重塔や正倉院、姫路城などが復元されている。
アメリカで日本のお城や五重塔を見て奇妙な感覚になった。



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アメリカで経験した阪神大震災

2010-01-17 | 旅行記
15年前の今日、私はアメリカ東海岸メリーランド、ボルチモア郊外にあるボニーリッジというアパートに住んでいた。
治安に関しては殺人事件など毎日のように起こる全米ワーストワンのボルチモアだが、ボニーリッジは閑静で治安の良いアパートで、日本人留学生が多く住んでいた。

その前年の年末にホームパーティーに招待されたアメリカ在住の日本人ドクターから突然電話がかかってきた。
その方はアメリカ人の奥さんと結婚してもう何年も日本には帰っていないという方だった。
少しイントネーションが怪しくなった日本語で、

「ドクターカワムラ、神戸でビッグアースクエイクが起きたらしいですよ。確かあなたの出身の岡山は神戸に近いでしょう。CNNでニュースをしていますから見てください。」

いったい何事かとすぐにケーブルテレビを見ると、地震後の火災の煙が上がる神戸が映ったのである。
にわかには信じられない光景であった。
これが私の阪神大震災だった。

両親の住む愛媛は神戸からだいぶ離れているから大丈夫だろうとは思ったが、念のため電話で無事を確認した。

その後、春に帰国して出会ったほとんどの方から阪神大震災の時の混乱ぶりを聞かされた。

震災そのものは何とか生き抜いた人でも、その後怪我がもとで命を失った方もたくさんいたのだが、それまではあまり知られていなかった、「クラッシュシンドローム(挫滅症候群)」が原因だと聞いた。
挫滅した細胞から血中に流れ出たカリウムやミオグロビンが腎臓を傷害して死に至るものである。
当時はあまりに患者が多すぎて透析などできなかったらしい。

自分が勤めている病院の日常診療と、医療ボランティアの参加とで、どちらを選択するか板挟み状態になって苦しんだ友人もいた。

しばらくして、震災後の神戸に行くことがあって、そのすさまじさを実際に見てきた。

人の営みなど自然の猛威の前では全く取るに足らないものだということを実感した。

あれから15年が経つ。
改めて被害に遭われた方のご冥福を祈ります。
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酒井法子逮捕に思う

2009-08-11 | 旅行記
アメリカで生活し始めて半年も過ぎる頃になると、ものすごく日本語が恋しくなった。
留学当初は英語漬けの毎日で意識的に日本語を排除して短い留学期間に本物の英語力をつけようと張り切っていた。
読む新聞は地元紙の「ボルチモア・サン」、テレビは当たり前だが全て英語、買い物に行けば当然英語。
英語、英語、英語・・・。

当時はインターネットも何もなく、日本との連絡も電話ではコストがかかるのでFAXが中心だった。

英語の雑誌や新聞は読めないことはないが母国語ではないのでおもしろくない。

ある日、ボルチモア・サンに村山富市社会党委員長を内閣総理大臣として村山内閣が成立したと言う記事が出ていた。
その見出しは以下のようなものであった。

My heart is pounding.

15年経っても覚えているのだから相当印象的だったのだが、村山首相が日本語でどのようなことを演説したのか分からない。
直訳すると「私の心臓はドキドキしている。」だが、本当にそんな自信のなさそうなことを言ったのかどうか判然としない。
英語で読むと微妙なニュアンスが分からないのである。


そんな時、アメリカで知り合った日本人の方から回ってきたのが、日本のテレビドラマのビデオだった。
それが「ひとつ屋根の下」だったのである。
アメリカに行く前は医学部で朝から深夜まで仕事をしていたのでテレビは全く見ていなかった。
日本語に本当に飢えていたところに初めて見るこのビデオは衝撃的だった。
江口洋介、福山雅治、酒井法子らのキャスティングも最高で、とくに酒井法子演じる小雪ははかなげで良かった。
夕方ラボから帰ってくると毎晩ビデオ漬けになってしまい、数日で全巻見てしまった。


それから今に至るまで私の酒井法子のイメージは「ひとつ屋根の下」の小雪であった。
それがこんなことになるなんて。

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アメリカ夏の旅の思い出7

2009-08-10 | 旅行記
1994年の夏、留学先のジョンス・ホプキンス大学のあるメリーランド・ボルチモアを起点にした車での旅は、コーネル大学から始まってナイアガラからカナダに入り、延々と北上してケベックで終わった。
いくら臨床の義務のない留学生活とはいえいつまでも夏休みをくれるわけではないので早くボルチモアに帰らなくてはならない。
最後の2日間はただひたすら高速道路を南へと走った。
途中名も知らぬアメリカ北部の街で1泊して夜はその街の雰囲気を楽しんだ。

いまからちょうど15年前になるが、高速道路を走ってもほとんど渋滞はなく、普通の幹線道路を走っているかのようだった。
当時はガソリンは1ガロンが1ドルを切っており、1リットル換算では30円を下回るような安値であった。
今の生活では考えられないようなゆったりとした豪華な旅だったが、費用はほとんど宿泊代とディナー代が余分にかかった程度で信じられないくらい安くついた。

ちょうど今、日本はお盆の帰省ラッシュでひどいところでは50kmの渋滞が起こっているなどと報道されている。
アメリカやカナダではあたりまえだった高速道路の無料化だが、今の日本の道路事情でそれがどうなるかはやってみないとわからない。

しかし、考えてみると今の日本でも週末が本当に休みなら、青森から鹿児島まで安価に旅行できる時代になっているのだと言うことに気付かされる。
なかなか休みのない私にはほとんど縁のない話だが、平日めいっぱい働き、週末ドライブ旅行という生活は楽しそうだ。
最も、高速代だけでなく日本は当時のアメリカと比べると物価はかなり高く感じられるのでそんなに気楽なロングドライブは無理かもしれないが。

15年前の旅行を思い出して、ちょっと当時の記憶が新たになった。
たまに昔を思い出すのも楽しいものだと言うことがわかった。

冬になったら、今度は暖かいところへ行った旅の思い出を書いてみようと思う。
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アメリカ夏の旅の思い出6

2009-08-09 | 旅行記
6. ケベック郊外
車での旅行なのでケベック郊外を特に目的もなくドライブしました。
日本では考えられないような趣のある家が、きれいな緑の中に立っています。
特に赤い屋根の家が印象深い思い出として残っています。








ここまで来るともう少し足を伸ばせばプリンスエドワード島です。
作家モンゴメリのふるさとでもあり、モンゴメリが「世界で一番美しい島」と書いた島です。
「赤毛のアン」の舞台となった島といった方が良いでしょうか。
大きさは私のふるさと愛媛県と同じくらいというから結構大きい島です。

本当はそこまで行きたかったのですが、夏休みの期間では日程的に無理でした。
たぶんケベック郊外の雰囲気をもっと自然豊かにしたようなところなのでしょう。
いつかは行ってみたい島です。
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アメリカ夏の旅の思い出5

2009-08-08 | 旅行記
5. ケベック
  モントリオールを過ぎて、東へ行くほどに、フランス色が濃くなってきます。だんだんと標識も格好が変わり、ケベックに着く頃には、看板のほとんどがフランス語表記になります。
 公用語をフランス語にするか英語にするか、何度も住民投票が行われたり、カナダから独立するかどうかが問題になるほどに、元フランス領という歴史を感じます。フランス人は英語が判ってもフランス語しか話さない風潮があるような気がするのですが、ケベックでも、町中の観光客向けのおみやげやさんや、レストランでしか、英語は好まれていないような雰囲気がありました。北米、どこへ行っても民族的な対立や、いわゆるガラスシーリングを垣間見ることがあるのも、一つの勉強だと思います。
 それはともかく、ここは有名な「シャトーフロントナック」というケベックの中心とも言える高級ホテルを中心として小綺麗にまとまった、とても素敵なところです。北米唯一の文化遺産都市にも指定されているだけあって、小さい路地にはまりこむと、中世の格好をした騎士や童話の主人公がでてきそうな風情があります。









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アメリカ夏の旅の思い出4

2009-08-07 | 旅行記
4. オタワ、モントリオール
 メープル街道と呼ばれるハイウエィを抜けるとオタワに着きます。オタワはカナダの首都でもあります。カルチェラタンと呼ばれる地域を中心として世界各国の移民があつまり、街全体が文化の香りあふれ、異国情緒漂う風情のある都市です。私はここで、韓国料理のバイキングの店にたまたま立ち寄ったのですが、本場の韓国料理をはじめとして、日本的な巻きずしやアメリカン的なフライ物まであるおもしろい店だったことを覚えています。土産物屋には、アフリカの彫刻や置物の店や、メキシコ風の半貴石やカラーストーンを販売している店もあります。
 オタワを過ぎてさらに北上するとモントリオールに着きます。



1976年のモントリオールオリンピックのためにつくられたのが、資金難などトラブルが続き、完成したのはオリンピックから5年後になってしまったとか。斜めにせりだしたカブトムシの角がモントリオールタワーで、世界一高い傾斜塔らしい。ケーブルで上まで上がり、眺めを楽しむらしいがこの横を素通りしてしまった。今から思うと残念。
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アメリカ夏の旅の思い出3

2009-08-05 | 旅行記
3. サウザンアイランド
 サウザンアイランドと言えば、日本でも有名なピンク色がかった甘口のドレッシングですが、この「いわれ」を知っている人は少ないでしょう。オンタリオ湖の東側にキングストンという小さな街がありますが、ここからセントローレンス川のクルーズに行くことが出来ます。この川には千ほど(ともいわれる)小さな島々が点在し、世界的な高級リゾート地になっています。大富豪が島一つ一つを所有し、別荘を建てクルーズをして楽しんでいるのです。あるシャトーの料理長が作ったのが、今では世界的に有名なサウザンアイランドドレッシングなのです。もちろんピクルスや香辛料がマヨネーズベースの乳化した液体に浮かんでいる様もまさにうなずけるような話です。とにかく、ゆっくりした旅でないとここを楽しむクルーズには参加できないかもしれませんが、素晴らしい景観とのんびりした時間が楽しめる所です。


ナイアガラからトロントを経てモントリオールへと向かう途中にキングストンがある


キングストンからセントローレンス川のクルーズに出発


小さな島が無数にあり、その一つ一つに家が建っている


水面ぎりぎりで大水の時には沈むのではないかと心配になる


この島には灯台まである


古いお城のような建物もある


このようなシャトーの料理長がサウザンアイランドドレッシングを作ったのだろうか








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アメリカ夏の旅の思い出2

2009-08-03 | 旅行記
タイトルは『アメリカ夏の旅の思い出』としたが、今回からはカナダに入る。


2. ナイアガラの滝
 「ナイアガラ」と言えば、世界的に有名な一大観光地であり、アメリカ、カナダの東海岸の日本からのツアーにも必ず組み込まれるところです。エリー湖から流れ出したナイアガラ川は、本流がカナダ滝、ゴート島を挟んだ支流がアメリカ滝として流れ落ちます。落差56m、幅675mのカナダ滝は、中央が浸食されたその形から「ホースシュー」(馬蹄型、幸運を呼ぶお守りとして、好まれています)と呼ばれています。流れは毎分17,000klと言われ、大瀑布は現在も岩を削り後退し続けています。


アメリカ側から見たナイアガラ


カナダ側から見たナイアガラ

 何しろ世界的な観光名所ですから、ただ眺めるだけでなく、周りにいろいろな見所やアトラクションがそろっています。もっとも人気が高いのは「 Maid of Mist 」霧の乙女号です。船に乗ってカナダ滝の滝壺ぎりぎりまで接近する迫力満点のツアーです。青いポンチョを着てはいますが、風によってはかなり濡れることを覚悟しなくてはいけません。滝の真下を歩くツアーもあります。案内役の人についてエレベーターを降り、文字通り洞窟を抜けると岩場にでて、滝の真下まで行けるのです。これも大迫力です。










 また、ナイアガラの滝や街だけではなく、少し北にある「ナイアガラオンザレイク」という街に寄りました。美しい並木道に沿って瀟洒な家が建ち並び、こぎれいなおみやげ屋さんが点在しています。ナイアガラのアメリカらしい派手なアピールに疲れたらこちらもお勧めです。


ナイアガラオンザレイク
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アメリカ夏の旅の思い出1

2009-08-01 | 旅行記
8月になったのに何も夏休みらしいことはない。
今年は旅行の予定もないし、ちょうど昔のアメリカ留学中のことを思い出したのをきっかけに、夏の旅行の思い出を写真とともに掲載することにした。

この旅行は1994年の夏のことである。

1. コーニング、コーネル大学、フィンガーレイク地方
 友人がコーネル大学に留学していたのを訪ねる目的もあり、オンタリオ湖南の付近の都市をゆっくり訪ねてみました。「コーニング」といえば、日本でも割れにくい食器のコレールなどを通じてご存じの方も多いと思いますが、ガラスで有名な街です。コーニングガラスセンターという美術館、工場、販売店などの複合施設があり、メインストリートにはブティック、クラフトやアンティークショップが建ち並び、ちょうど休日だったこともあり、お祭りのような騒ぎで大変楽しいところでした。
 コーネル大学は「イサカ」という町にあるのですが、ここは「大学門前町」で、学生が好みそうなカジュアルなレストランや小物販売の店が建ち並び、落ち着いたところです。


コーネル大学のシンボル


コーネル大学の構内
非常に美しい

 また、「フィンガーレイク」地方には人の指のように細長い湖がいくつも横たわっています。


地図を見ると人の指のような細長い5つの湖が並んでいるのがわかる


ドライブしていると「フィンガーレイク」の形はわからない

氷河の浸食によって出来たというめずらしいこの湖の辺り一帯はアメリカでも高級ワインの産地として、カリフォルニアのナパなどと並んでとても有名です。ふらっと入った小さなワイナリーでも試飲をさせてくれ、そこで求めた「ストロベリーワイン」は甘口ですが大変濃くておいしいかったのを覚えています。


どこのワイナリーでも試飲をさせてくれる
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高速道路の無料化

2009-07-30 | 旅行記
今回掲載するのは、私が1995年にアメリカ留学から帰国して本学に赴任した頃、岡大整形外科学教室の同門会誌に寄稿した文章である。
総選挙が近づき、民主党が高速道路の無料化を掲げている折でもあり、掲載してみることにした。
ずいぶん早くから高速道路が無料になったらよいのにと考えていたのだが、いざそれが現実味を帯びてくると反対に不安が出てきた。
アメリカと違って日本の高速道路は車線が少ないし、異常に混むだろうと言うことと、財源の心配である。
将来の増税が引き替えに待っているのであれば、無料化もあまりありがたくない。


それでは、以下に昔のエッセイを掲載します。


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二つのハイウェー
 河村顕治
 日本は進んだ国だからもう外国から学ぶようなことはほとんどないと考えている人は意外に多い。しかし、一年間アメリカで暮らしてみてやはり日本は多くの面で欧米諸国を後追いしていると認めざるを得なかった。なかでもこれから述べる二つのハイウェーは今後の日本の将来を左右するほどの最大の問題点ではないかと思った。
 一つはもちろん高速道路である。アメリカでは基本的に高速道路は無料である。この背景には高速道路は車を利用する人だけでなく、物流を介して車に乗らない人にも大いに役立つものであるから、基本的には国民全体で支えるという考え方があるようだ。翻って日本の現状を考えると、たとえば瀬戸大橋が往復一万円というのはいかにも高すぎる。高速道路を無料にしてくれるのであれば消費税を多少上げても良いとさえ思う。先ごろ青森から鹿児島までダイレクトに高速道路で接続されたが、高速道路を利用しての物の移送費は巡り巡って消費者に転嫁されてくる。高速道路の利用料金を高く徴収することは国民全体の立場に立てば余分の間接税を徴収されているのと同じことではないだろうか。またアメリカではガソリンが安いこととあいまって車でのレジャーが盛んである。アメリカ滞在中の最も楽しかった思い出の一つが車でのナイアガラ、カナダ旅行であるが、三千キロも走ったのにさほど疲れも感じず、経済的にも信じられないほど安く旅行が楽しめた。しかし日本では道路は混むし高速道路は高いしで、遠方にドライブ旅行する気にはとてもなれない。もし高速道路が無料になったなら物価は確実に下がるだろうし、働き蜂日本人の余暇利用に貢献すること受け合いである。
 さて、もう一つのハイウェーは情報スーパーハイウェーである。ご存じのとおりアメリカはインターネット発祥の地である。情報スーパーハイウェー構想はクリントン政権の最重要政策の一つであり、ゴア副大統領は今世紀中に全米の全ての学校、図書館、病院を新しいネットワークに組み込むと表明している。インターネットはその核となるものである。  アメリカでもパソコンは現在やはり高価で誰でも利用しているわけではないし、小さな研究室ではコンピューターを持たないところすらある。しかし私はコンピューターを研究に使用している研究室に所属していたため、自分自身でその様子を多少見聞きしてきた。そこでは日常的にコンピューターのネットワークを利用して電子メール(Eメール)のやり取りが行われていた。アメリカの大学の学生及び研究者はほとんど全員が電子メールのアドレスを持っていると思ってまちがいない。主要な大学はそれぞれ独自のコンピューターネットワークを組んでおり、たとえば学生はレポートを教官に提出するのに電子メールを使っている。そのネットワークを全て統合したのがインターネットなのである。したがって、これを利用すれば研究者は自由自在に世界中の仲間と情報のやり取りができるのである。もちろん利用料などというものは存在しない。
 このネットワークの力を感じた出来事を一つ紹介しよう。あるとき我々の研究室で野球の投球動作の研究を行うことになった。大リーグからの委託研究で、もともと他の研究者が行っていたものを研究室ごと引き継いだのだった。結果は締切までには出さなくてはならないが締切はすぐそこに迫っている。このプロジェクトの責任者になった仲間はすぐにインターネットを利用して世界中の研究者に情報を求めた。驚いたことにすぐに反響があり、続々と貴重なアドバイスが電子メールで送られてきた。日本では電子メールというのはマニアのお遊びだと思っていたが、これは違う。本当に、研究のための有力なツールなのである。
 私はそのような環境の中で、アドレスはもらったものの通信をしようにも日本に電子メールを送る相手がいるわけでもなく、ただ見ていただけであったが、唯一頻繁に活用したサービスがあった。それは、自宅から図書館のネットワークにアクセスしての文献検索である。これは便利であった。一日二十四時間いつでも何時間使用してもただである。しかも、Medline の検索のみでなく目的の雑誌や本が図書館の何階のどの書架においてあるかまで自宅あるいは研究室にいながらにしてわかるのである。あとは、暇なときに図書館まで行って借りるなりコピーすればよいのであるから、時間のロスは最小限ですむ。図書館にない文献は日本と同じで他の図書館から取り寄せてもらえる。これも無料であった。アメリカではたいてい電話の通話料も市内は基本料金さえ払えば無料なので、文献検索にかかる費用は実質まったくのただである。
 その後、日本に帰ってきて初めてインターネットにアクセスする理由ができた。今度はアメリカに通信したい相手がいる。いっしょに研究を進めてきた仲間達だ。しかし、岡山に帰ってきていろいろ勉強してみたが、なかなかインターネットにアクセスできない。プロバイダーと呼ばれる民間の会社に高い使用料を払えばアクセスできるのは知っているが、アクセスポイントが東京や大阪にしかなく、入会費が数万円もするし月会費も高い。いろいろ検討した結果、もともと入会しているニフティーサーブを利用すればインターネット経由で電子メールのやりとりだけは安くできることがわかった。これなら市内通話料とわずかの利用料金だけでサービスが受けられそうだ。期待に胸膨らませて短い英文のメールを送信した。一夜明けて、ニフティーにアクセスしてみたが何も届いていない。そして二日目、やったついに成功、返事が届いていた。このときのうれしさは、経験した人にしかわかるまい。
 丁度そのころ、昔書いた坂道歩行の論文について、フランスの研究者から手紙が来ていた。坂道を歩くロボットを開発中なのでデータが欲しいということであった。最後に電子メールのアドレスを教えて欲しいとあった。さっそく彼にも返事を送信した。これには半日もしないうちに返信がきた。いろいろと質問があって、大変ではあったが英語で返事を書いて送信した。またすぐ応答があった。インターネットもかなり疲れるものだと言うことを知った。
 電子メールのメリットはいろいろあるが、結局情報のやり取りが正確に確実に早く行えれば良いわけで、郵便や電話やファックスの他にもう一つの選択枝ができたことは喜ばしい。これらの中で電子メールは、アメリカの様に環境さえ整えば、おそらく最も早く、正確でしかも最も安価な通信手段になるだろう。そのためにもアメリカ同様、研究者が好きなときに好きなだけ自由に通信ができるようになって欲しいと願っている。間違っても高速道路のようにハードは出来上がっても高くて頻繁に利用できないなどということにはなって欲しくない。そのような環境が出来れば、インターネットを利用して海外の仲間と共同研究をするのが今の私の夢である。日本にいながらにして留学したのと同じことができればすばらしい。幸い私の所属している吉備国際大学も遅まきながらインターネットに接続できるようになる見込みである。日本はまだまだ遅れているが、数年前には夢にも思わなかったようなことが可能になってきているので、この流れに取り残されないようにしていきたいと考えている。  
(昭和60年入局)1995年記述

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