帰省してお墓参りをして実家に一泊し、すぐに岡山に帰ってきた。
午後、ホテル・グランビア岡山で昭和60年岡山大学医学部卒同期会が行われるためだ。
全国に散らばった120人ほどの同期生のうち40数名が集まった。
わざわざこの同期会に合わせて、アメリカから帰国した同級生もいた。
冒頭に、今年は卒業後28年目とのことで、幹事から2年後の30周年にももう一度同期会で集まろうという提案があり、全員から賛成の拍手で了承された。
1人1人近況報告を行ったが、ちょうど病院では責任ある立場についている年代で、立場はそれぞれ違っても大変さは皆同じという様子であった。
誰かが挨拶でおもしろく指摘していたが、髪の毛の色が変わったり、量が減ったり、顔が横に少し膨らんだりした以外は皆学生時代の面影が残っていた。
学生時代に「おじさん」というあだ名をつけられていた同級生は、年齢が追いついて全く昔と変わっていないと言うことになった。
中にはうつ病になって苦労している仲間もいて、皆それぞれ苦労が忍ばれた。
皆、健康に気をつけて2年後にまた会いましょうと言うことで解散となった。
午後、ホテル・グランビア岡山で昭和60年岡山大学医学部卒同期会が行われるためだ。
全国に散らばった120人ほどの同期生のうち40数名が集まった。
わざわざこの同期会に合わせて、アメリカから帰国した同級生もいた。
冒頭に、今年は卒業後28年目とのことで、幹事から2年後の30周年にももう一度同期会で集まろうという提案があり、全員から賛成の拍手で了承された。
1人1人近況報告を行ったが、ちょうど病院では責任ある立場についている年代で、立場はそれぞれ違っても大変さは皆同じという様子であった。
誰かが挨拶でおもしろく指摘していたが、髪の毛の色が変わったり、量が減ったり、顔が横に少し膨らんだりした以外は皆学生時代の面影が残っていた。
学生時代に「おじさん」というあだ名をつけられていた同級生は、年齢が追いついて全く昔と変わっていないと言うことになった。
中にはうつ病になって苦労している仲間もいて、皆それぞれ苦労が忍ばれた。
皆、健康に気をつけて2年後にまた会いましょうと言うことで解散となった。