「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

淀長の世界 「遅ればせながら『パーフェクトデイズ・PERFECT DAYS』を観ました。」

2024年06月09日 18時47分13秒 | 淀長の世界
退院してすぐぐらいに観に行った映画です。
あっ、膝の手術で10日ほど入院していました。

主人公は役所広司さん
脇には渋い役者さんがそろっております。三浦友和、あがた森魚、石川さゆり、田中泯、柄本時生、麻生祐未、研ナオコ、モロ師岡、片桐はいり、松金よね子などなど、ワンシーンしか出ていない方で「おぉ!」という方もいて楽しいです。
映画の内容はごく平凡な生活を送っている都内の公園の清掃業をしている主人公。毎日変わらぬ生活を送っているが出会いや過去の傷。ささやかな恋心もあるのですが中高年の誰もが通過してきた何気な人生を見せていて「あぁ、こういう人生でこころが満ち足りていていいんだ」「これ以上、望むことは贅沢ではないか?」と考えさせられます。
仕事の昼休みに神社でコンビニのサンドイッチを食べる。その神社で大木の下に生えている木の苗を神職とアイコンタクトで許可をもらって持ち帰って自宅の部屋で栽培するような些細な楽しみ。仕事終わりに地下街の居酒屋でいつものメニューで一杯やる。寝る前に読書をしていて眠気が来たら寝る。現場に向かう車内でカセットデッキで音楽を聴くシーンも良かったなぁ。
なかなか映画通みたいに語れませんが、さまざまな賞を取ったというのもうなづける内容です。

PERFECT DAYS 』←リンクです。






うつせみ和尚のお説教 「医療従事者/福祉従事者のおごり-患者は全て打ち明けていない」

2024年06月07日 00時41分54秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
精神科医や他の治療者、精神療法科、精神福祉職、特に医師が誤解してしまうのは「私には人生の全てを話してくれている。」という錯覚や驕り。
すべて話す人はいるのはいます。少数ではないと思いますが。ですが、そんな脳みそ差し出して「これが私の考えや今までの出来事の全てです」って、当事者側も忘れていることもあるだろうし、全て自分を開け放つ必要は無い。でも、「打ち明けてもらわないと治療が進まない」ということだろう。昨今の精神科医療は所詮、「処方箋書き」が医師の役割で、結局「付け焼き刃療法」でしかない。そんな「処方箋書き業」に自分の過去や考えを全てぶちまける必要は無い。こちらからいうことがあるならば「こんな症状がある」「こんな事があって困っている」ということ。医師はそんな存在に「落ちぶれて」しまっているのに、意識だけは「私に全て打ち明けてくれているだろう」という根拠の無い自信に満ちあふれていて、「今まで言ってなかったのですが、こんな事で困っています」というと、怒ってしまう医師もいる。たかが処方箋書き業ごときに怒られるいわれはないわけです。落ちぶれた貴族が気位だけ高いみたいなもんです。
私は心理職には寛容な部分があるのですが、なぜかというと「知らないけれど、教えてくれますか?/知りたいです」という意識があるように思えるからです。というか、そうでなくてはいけないと思います。医師が大上段に構えて、心理職は下段の構えという感じ。(剣道的に言うと-解りにくいね)
嫌みな言い方をすると、「3分診療」の精神科医は多いですが、そういう医師は「分をわきまえている医師」ということになります。「私が処方箋書き」と自認しているようなものだから。

医師はサービス業なんだから、そこらを解って欲しいね。