ちょっと、最近調子に乗りすぎまして、
「尿酸値」が上がっております。
よって、「通風」が時折痛みます。
「禁酒」の効果として、「倦怠感・肥満」の解消である。
「倦怠感」は、「飲酒」だけが問題だけはなく、
「うつ病」が大きく影響している。
しかし、「出来ることからやってみよう」ということです。
お誘いがあれば、別ですが・・・。
ちょっと、最近調子に乗りすぎまして、
「尿酸値」が上がっております。
よって、「通風」が時折痛みます。
「禁酒」の効果として、「倦怠感・肥満」の解消である。
「倦怠感」は、「飲酒」だけが問題だけはなく、
「うつ病」が大きく影響している。
しかし、「出来ることからやってみよう」ということです。
お誘いがあれば、別ですが・・・。
ゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼)像
現代の人は、ゴータマ・ブッダのことを超能力者のような聖人と思っているのではないか?
ブッダ自体は、あくまでも「人間・ゴータマ」なのである。
尊崇する存在になることは、ゴータマ自身が望まなかったであろう。
それを考えると、今の大乗仏教は「ゴータマの真意」からは大きく外れていると思う。
ゴータマが望んだことは、『それぞれが修行し覚醒せよ』ということであって、
ゴータマを崇拝対象とする「一神教のようにしてはならない」と言っている。
人間は、「起きていても寝ていても日々修行しなさい。」
少しでも「まともな人間」になるために・・・
また「疾患と向き合う」の話しですが、
私は気が付けば「『PTSD』であり、『うつ病』だった。」
と、後から考えると「15年くらい」です。
最近は、「去年よりいい」と思っていますが、その『原因』とは何か?
そういえば、去年から今に掛けて「治療しよう」と積極的に思えたからでしょうか?
それとも、「15年目の区切り」なのでしょか?
医療の常識では、「治療が早く始まれば、『寛解』も早い」と言われる。
私の肌感覚でいうと、この医療の常識は「違う」と思っている。
「患者=当事者」が、どれだけ治療に真剣に向き合うか。
だと思う。
しかし、疾病に合わない治療法ではいけないと思っていて、
「◯✕病には、この治療が向いている。」ということが
自分が体感出来て初めて効果を出すのだろう。
それも時期もあるのではないかと思う。
「このタイミングで!」というような。
それには我慢強さが必要。
「飽きない」、「負けない」、「信用する(委ねる)」、「任せない」。
といった具合だろうか?
「負けない」というのは世間から「障害者」と観られても「負けない」と言うことです。
医療側に全権を委ねない。
「医療側」と「患者側」でもって、同じ「寛解」という状態を目指す。
そうじゃないと、奏功しない。