「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

読まずに死ねるか!(書評)『塩見鮮一郎 著 最後の弾左衛門』

2019年01月27日 17時09分13秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)

いわゆる「史」の本です。

近所のTSUTAYAの本部門に置いてありました。

珍しいことです。

同時にもう一冊「史」関わる本があったので同時購入!

雑誌に原稿を書いて手間賃に図書カード¥4000分いただいたので

早々に使い切ってしまいました。

さて、本の内容ですが「最後の十三代目 浅草弾左衛門」の生涯を中心に

天保~明治(慶応)の幕府と明治新政府の変遷に運命を左右された

「」それを束ねる弾左衛門をほぼ史実に基づいて描かれています。

江戸幕府の末期に弾左衛門は「・」の身分回復への挑戦、

身分を回復した後の倒幕後に新政府樹立によって身分の保証や仕事の世話まで

頭の十三代目 弾左衛門の肩に掛かってきます。

その仕事はというと、中世以来の「斃牛馬(へいぎゅうば)」の死体処理や

処刑の準備・死体処理と相変わらず・・・。

全国に広がる被差別民の地位確立に奔走したものの

旧時代(中世)への恋慕や世間へ出る事への躊躇などもあって、

現代においても差別が残ったまま・・・。

これは新時代へ移る事への被差別民の躊躇が原因ではなかろうか?と

訴えながらも「蔑視」という人間の業。

さりながら、著者 塩見氏は自称「左翼に影響を受けた」というだけに

『地位回復=左翼思想』と現代では代名詞の様にいわれているが、

元々の思想は『民主的思想の末路』であって、

それが直ちに『社会主義的思想』な訳では無いと。

 

 

 

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読まずに死ねるか!(書評)『田原総一朗著 「創価学会」』

2019年01月19日 00時30分26秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)

 珍しく、オンラインではなく、本屋で年末に見つけて買いました。

「田原さんだから、『創価学会』を滅多斬りにするんだろう、

そうでなくとも、正確な『学会史』を知れるのではないか?」と思いました。

田原自身と創価学会の交わりから始まり、

創価学会の歴史、日蓮正宗との「トラブル」、

「公明党結党」、そして日蓮正宗との「決裂」。

などなど、試練がありながら池田名誉会長の下に結集・団結していく様・・・

その謎に迫るのは結構だが、田原さん自身が「ミイラ取りがミイラになる」感が

大いに感じられる様に思われるないようだった。

ジャーナリズムから感情移入になっていると私は思った。

まっ、創価学会の成り立ちを知りたいひとには損は無い本だと思います。

この本、読まずに死ねるかぁ!

 

 

 

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障害者偏差値

2019年01月01日 23時06分41秒 | 「うつせみ和尚」のお説教


「相模原障害者施設殺傷事件」を追いかけた朝日新聞社の『妄信』を読んで思ったのは・・・

「日の目を見ない障害者」、「才能を見出だされる障害者」との間には大きな差があるとつくづく感じました。才能を見出だされる障害者は障害者全体を見れば「一握の砂」といっても過言ではありません。
「パラリンピック」しかり・・・
「パラリンピック」には、『精神障害者』は、入っていません。入っているのは『身体障害者』、『知的障害者』です。上記の障害者の中にも、もちろん「体を動かすところでない」方も大勢います。一生涯世間に名が出ない障害者が多数なのです。そんな世の中で「生産性がない」という理由で相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」で十九人という大量殺傷事件が起きました。この事件は障害者である私の胸にも強く深く突き刺さり「明日は我が身」と思わせました。しかし、「小さな殺傷」は、私の日常にも起きています。それは、『蔑視(べっし)』です。その差別的発言は障害者の心の中の「なにか」を殺してしまっていることは確かです。だが、健常者には解らない。「叩いたその手は痛くない」と言うことで表すことができるおもいます。健常者は一筆・一言・一挙動に細心の注意を払っていただきたいと思います。
『差別意識』というのは人の心から離れないかもれない。しかし、最小には出来るはず。
障害者はただ自分の心身だけで徒労にくれているのです。そこへ「蔑視発言」が加わると、「内外に逃げる道なし」になってしまっている。
一センチでも一ミリでも障害者に心を寄せてくれる、そんな一年であってほしい。