深夜更新失礼いたします(まっ、この時間に見ている人は居ないと思いますが)。
前回までの「退職」関連はもうよしましてね、なんだか愚痴ばかり言っていると
自分が腐っていくような気がします。ハイ
なので、今回は「書評」でありまして、え~「思想・哲学系」でございます。
「ロジェ・カイヨワ/戦争論」であります。
洋の東西の古典から近代戦争論まで幅広く引用がありまして、
東洋に関しては古代しか引用がありません。
そのこころはというと、その古典の思想が近代・現代まで
影響があると言うことでしょうかね?
反面、中世・近代・現代はかっこたる「思想・哲学」が無いと言うことでしょう。
さて、本書は特に後半になりますと「戦争ありきなのか?」というような命題に
突き当たるような気がします。
思想家によっては「戦争は芸術や経済の萌芽である」という方も居ます。
私が「おおっ!」と思ったのが「平和とは戦争と戦争の休戦状態である」といった事が
ありましたが、なるほどそうですよね、逆に言えばですがね。
平和ありに気いうと「戦争は災厄である」という論が通るのかも知れません。
本書によると「(私の解釈でいうと)平和は人間を怠惰させ、文明も栄えない」ってな
要旨であると私は読みました。
我が国日本でいうと、確かに「国民は堕落し、怠惰して、芸術の発展も乏しい」
といえるかもしれない。というか、私の実感であります。
「体制への反発、反抗、思想的対抗」なんてことから、さらなる発展があるのかも知れません。
経済的なことに関しては、顕著にみられ語らなくても良いかな?と思うのですが、
乗りかかった船で話しますが「一発の銃弾、砲弾はたまた核爆弾を放つ時には
両方の効果があり、ひとつは敵を斃すことこと、もう一つは放った銃弾、砲弾等を
生産するために需要が発生・・・」などというようなことで『戦時経済』というのが
あるわけで、「戦争成金」というのは、古今東西を問わずいるものであります。
第一次世界大戦でのユダヤ経済が大いに影響したとも言われ、
それが仇になってナチスドイツの反感を買ったとも言われます。
諸説あるようですが・・・
「破壊の後にはさまざまな分野において蒔かれた種が萌芽する」とでも言いましょうかね。
まっ、しかし結びでこう言ってます・・・。
『~人間の問題として、いいかえれば人間の教育から始める必要である。
たとえ永い年月がかかろうとも、危険なまでに教育の欠如したこのような世界に
本来の働きを回復させる方法としては、わたくしはこれしか見当たらない~』
たとえ、戦争兵器が日進月歩で進化しようとも、遅々たる歩みであっても
「戦わない知恵」を生むような教育が必要ということでしょうかね。
地道な教育ですな、教育にもさまざまな方向がありますがね・・・。
ん~、読まずに死ねるか!!