昨日はえらく物騒な話しをしておりましたが、昨日の勢いそのままに
今日もお話しいたします。ハイ
まぁ、お題にしておりますが人は人生でいろいろな「一大事業」をすると
思うのですが、私が考えるに「生誕」、「出産」、「死」とザックリとではありますが
こんな感じです。
今回は「死」がテーマなのでお話ししますが・・・
なぜ、「死」が一大事業なのかと申しますと、友人、近親者、配偶者と
近しい人が亡くなりますね、そうしますと「あぁ、人は死ぬんだ」と
字面では「人は必ず死ぬ」とは知っていても、急に身近なものになりますね。
人間は都合の悪いことは忘れる仕組みになっているのですな。
やはり近親者が亡くなっても時間と共に「死の恐怖」も薄れてしまいますね。
残念ながら
まっ「死にかけ体験者」の私としてもですね、薄れていますね。これまた
ただ、覚悟として「次の瞬間の『生』は誰も担保できない」のであります。
うつせみ流「刹那滅思想」じゃないけど、「過去」「未来」なんぞ存在せず
ただただ「現在」の瞬間あるのみなんですね、
「未来から現在を通って過去になるんじゃね?(キムタク風)」と思うでしょう
未来に在庫が有るわけじゃ無し、過去が貯まって倉庫に入りきらない、
というお話しは聞いたことがありませんよね。
「じゃあ、現在は記録できるじゃないか?」といわれますが、
その記録したものを観たり、聞いたりするのは「現在の現象」でしかなく
それもやっぱり「現在」でしかないんですね。
過去に悔やまず、未来に期待せず、ただ瞬間に生きるということですな。
・・・シランケド。