お久しぶりになりますが、闘病の末、母が本年1月6日12時10分に逝去いたしました。享年76歳
病院では癌の痛さが強くなって「ご家族の方、一緒に病院で泊まってください」と言われるほどで、12月27日から私は同室のソファーベッドでほぼ不眠の日々を送りました。私と母の同意を得て麻酔薬を増量して痛さは回避できましたが意識がもうろうとする時間が長くなって、意思の疎通も難しい状態になりました。元旦に短い時間ではありますが、会話が出来たときもあって、元旦に交わした最期の会話は「うつせみ、あんた優しいねありがとう」でした。(涙)
正直、母は私が小学生の時に離婚し、約10年間あっていない時期があったり、三十過ぎに私が京都へ大学進学のために行った時に同市に住んでいた母とその時の夫との交わりがあったりして、幼い記憶を思い起こせば「許せない存在」なのかもしれません。物理的な距離が縮まった時期があったりして「しょうがない親」をその存在を許していったり...。親子というのは単純な「人間と人間のあいだにある感情」で割り切れない存在だと思いました。
亡くなったのは正月六日、葬儀は七日で兄が来なかったため、私が喪主という形でしたが、僧侶を呼んで行うことなく、いわゆる「家族葬」でした。参列者のみなさんに声が届いたのかどうか解りませんが挨拶もさせていただきました。母を巡る周りの感情を考慮しながら対応したり、平日になれば行政の手続きや金融機関への相談など、感傷に浸っている間もなく、母の友人やその娘さん(私は姉と呼んでいますが)に母の自宅の整理をお願いしたり、連絡のミスなどを補ったりして、仕事の休みをいっぱいいっぱい使って15日に帰ってきました。帰ってきましたが荷物を開ける元気もなく、明後日から勤務が始まりますので間に合わないまでも体調を整えていきたいと思います。
多分、月末に母が借りていた借家の明け渡しに立ち会うので、また帰省してくる予定です(新型コロナ次第ですが...)
余談、私はいわゆる「(時給)日給+月給」なので、当然のことながら11月末から8日間の帰省、12月20日から1月15日までの帰省...。給与がぁぁぁぁぁぁ!ないわけですわ、生活できないわけですわ。
困った困ったこまどり姉妹。チューイングボーン!
悲しげなBlogのはずが..._(._.)_