「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

へなちょこお勤め日記 「またまた転職の危機!?-障害者年金打ち切りにつき」

2022年01月29日 20時24分01秒 | へなちょこお勤め日誌
主治医が変わって約一年半くらいかな?これは前にもお話ししましたが、ただただ駄々っ子みたいに「(年金の診断書を)書かない」と言い張って、理由も明確に示さず、ただ「書かない」と...。私がもうちょっと痛んでいたら「大阪の精神科クリニック放火事件」をやっていたかも知れません(ウソ)。まぁ、痛んでたら年金の申請もしてくれたでしょがね。
ちょっと豆知識。
医師は患者に診断書を要請されたら断れない事になっていますが、こんなこと仏作って魂入れずで形骸化しております。結局、立場が弱い患者は泣き寝入りするしかないのです。これが現状...。
・・・というわけで、今の職場では喰っていけないので転職を考えざるを得ない、というわけです。ですがね、週5日勤務は今の私にとっては結構高いハードルなんです。まぁ解らんでしょうがね。ですが、今回は「背に腹はかえられぬ」ということで週5日の職を探して週明け月曜から職安に相談に行こうと思っております。ハイ

結果はもちろん、途中経過も報告いたします_(._.)_















うつせみ和尚の説教  「人間なんてラララァララララーラー」

2022年01月24日 19時32分47秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
よく「子は親を選べない」なんて毒づく子供がいたり、逆に「親も子は選べない」なんて言って泥仕合になっている場合もありますが、子供は親を選べないばかりか、「生まれた環境」も選べません。「生まれ落ちたところが、すでに両親が居なかった」、「片親だった(後天的片親になった)」、これならまだしも「生まれたがすぐに死んでしまった/殺されてしまった」というような言葉の掛けようもない場合も多々ある。いわゆる「発展途上国」などでは当たり前のようにあるようです。
生まれの不平等というのは当然あるのですが、日常をただ日常として生きていると、そのような現状を知ろうともしないし、考えようともしない…。
思うのですけど、「それでいいのかい?」と言いたくなる。(言ってるけど)「他者理解」とか、私が言っているのは「他者を慮る(おもんばかる)」といってしまうと余計に他人に理解されづらい(-_-;)
まぁ、「相手の身になって考える」ということですわな。おおかたのことはこれを考えることによって解決すると思うのですが、現実社会はそう甘くない、というかそう賢くないと言ったほうが的確かもしれません。自分の利益・欲求にみなさん邁進してらっしゃる。「自由主義」であるとか「資本主義・経済優先主義」といったことが人間の欲求を野に放っているのです。人間は「余計な欲」が旺盛ですから、野生で生きている他の動物のように自然の摂理で淘汰されることがほぼありません。頭数が増えたからといって自然調整されることもなく「万物の霊長」などと勘違いして生きておりますから…
人間と人間のあいだでのみ相手を慮るのではなく、せめてこのすべての環境に関して慮りたい。











にほんブログ村 哲学・思想ブログ 倫理・道徳へ
にほんブログ村









日々仏滅 「母の死去と諸手続の事務作業」

2022年01月15日 23時29分46秒 | 日日是佛滅
お久しぶりになりますが、闘病の末、母が本年1月6日12時10分に逝去いたしました。享年76歳
病院では癌の痛さが強くなって「ご家族の方、一緒に病院で泊まってください」と言われるほどで、12月27日から私は同室のソファーベッドでほぼ不眠の日々を送りました。私と母の同意を得て麻酔薬を増量して痛さは回避できましたが意識がもうろうとする時間が長くなって、意思の疎通も難しい状態になりました。元旦に短い時間ではありますが、会話が出来たときもあって、元旦に交わした最期の会話は「うつせみ、あんた優しいねありがとう」でした。(涙)
正直、母は私が小学生の時に離婚し、約10年間あっていない時期があったり、三十過ぎに私が京都へ大学進学のために行った時に同市に住んでいた母とその時の夫との交わりがあったりして、幼い記憶を思い起こせば「許せない存在」なのかもしれません。物理的な距離が縮まった時期があったりして「しょうがない親」をその存在を許していったり...。親子というのは単純な「人間と人間のあいだにある感情」で割り切れない存在だと思いました。

亡くなったのは正月六日、葬儀は七日で兄が来なかったため、私が喪主という形でしたが、僧侶を呼んで行うことなく、いわゆる「家族葬」でした。参列者のみなさんに声が届いたのかどうか解りませんが挨拶もさせていただきました。母を巡る周りの感情を考慮しながら対応したり、平日になれば行政の手続きや金融機関への相談など、感傷に浸っている間もなく、母の友人やその娘さん(私は姉と呼んでいますが)に母の自宅の整理をお願いしたり、連絡のミスなどを補ったりして、仕事の休みをいっぱいいっぱい使って15日に帰ってきました。帰ってきましたが荷物を開ける元気もなく、明後日から勤務が始まりますので間に合わないまでも体調を整えていきたいと思います。
多分、月末に母が借りていた借家の明け渡しに立ち会うので、また帰省してくる予定です(新型コロナ次第ですが...)

余談、私はいわゆる「(時給)日給+月給」なので、当然のことながら11月末から8日間の帰省、12月20日から1月15日までの帰省...。給与がぁぁぁぁぁぁ!ないわけですわ、生活できないわけですわ。

困った困ったこまどり姉妹。チューイングボーン!


悲しげなBlogのはずが..._(._.)_