「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

読まずに死ねるか!!(書評)「『日本の聖と賤(中世篇)』 野間宏 沖浦和光 著

2020年03月29日 12時06分46秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
今回も「被差別民」を扱った書籍です。
本書は全編に渡って対談形式で進んでいきます。
野間さんが聞き役、沖浦さんが答えるといった感じです。
内容は・・・(本書目次より)
第一章 日本の文化の深層に潜む<聖>と<賤>
第二章 国家宗教に反逆した聖の群れ
第三章 伝統的祝福芸と被差別民衆
第一章は私が過去に読んだいくつかの書籍でだいたいの知識はありまして
読み終わって印象に残るということは無かったのですが、第二章、第三章で取り上げられいる
「宗教」、「祝福芸」のところでは私の基礎知識にさらに上乗せしてくれるところとなりました。
まぁ、「宗教」でいえば、寺院で出家していない市井の僧である「私度僧(しどそう)」が
「乞食(こつじき/こじき)」をしたこと。これは現代の多くの解釈は「坊さんが物乞いしている」
といった感じでしょうが、「乞食(ここではコツジキと読むこととします。)」は
立派な僧としての修行でこのことによって徳を積むことが出来るんです。
特に釈迦(ブッダ)が存命の時の佛教である「原始仏教」のときには盛んに行われていたようです。
釈迦もやっていたんですよ。
まぁ、「大衆に降りた佛教」とでもいいましょうか。
その前まではいわゆる平安時代までの「貴族佛教」から平安後期から鎌倉時代にかけて
盛んになったいわゆる「鎌倉佛教」・・・法然、親鸞、日蓮などなどなどの「大衆佛教」に移ったことで
私度僧の活躍の場も広がり、それから広がった芸能に繋がっていくといえるでしょう。
被差別民が発端の芸能といえば「歌舞伎」、「猿楽(能)」でしょう。
今では大看板が「国の無形文化財(人間国宝)」っていわれて偉い違いです。
「歌舞伎」は河原踊りといって当初は女性のものだったのですが、
破廉恥な行為が目立つようになって、「女性禁制」になって男性だけになったようですが
男性になったはなったで美男役者が同じ男性の囲われものになったということも
あるようです。昔はことに男性同士の恋愛については大らかであったようです。
脱線しておりますが・・・
大衆芸能とくに路上でやるような芸能に関しては頭/車善七さらに上の頭/弾左衛門の配下になっていたようですが、
いろいろ苦情が出て配下から外れて独立していったようです。
ただ、に関しては幕末を迎えるまで弾左衛門の配下を逃れることは出来なかったようです。



この本、読まずに死ねるか!!




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へなちょこお勤め日誌 「調子は悪いが『なまけ』ではない!」

2020年03月23日 22時54分56秒 | へなちょこお勤め日誌
私は精神障害者(PTSD/うつ)ですが、働いていて時々「カチン」と来ることがあります。
障害者が勤めていて避けて通れないのが体調不良による「欠勤」です。
なぜ「避けて通れない」のか?
障害が元で起こる体調不良が起こります。それが無かったら「障害者」ではありません。
健常者の同僚/上司が時々錯覚するのは、
「ちゃんと会話や仕事が出来ているのに、なぜ翌日急に『無断欠勤』するの?」です。
そんな理解の無い職場では、障害者の評価は急降下は間違いありません。
私の経験談をいいますと、「連絡できないほどの精神的な不調」でした。そんなことが
数回続くと、健常者の同僚からは「白い目」で見られることになります。
私が勤める「精神科病院」でも同じこと。
別に「精神科病院」だからと言って、よその星から来た生物でもあるまいし、
所詮は同じ人間が考えることですので反応の遅い早いの違いはあるものの・・・
てなもんです。
不調が続き「欠勤」が続きますと当てにされないというか、居ても居なくても同じ
みたいな感じになってしまいます。
理解ある上司で「トライアンドエラー」の繰り返しを許してくれても
同僚が同じ考えだとはいえませんよね、しかしここからは「体調不良」といえども
休みは休み「汚名挽回」は自分がやらなくてはいけません。残念ながら・・・
ここで私のような障害者職員は思うのです。
「好きで障害を持ったのでは無いのに、『汚名』が付いて拭わなければいけないのか?」です。
私のように事故が元で障害を負った場合、なおさらに「なんで俺が?」と「?」が付くのです。
「理不尽さ」を感じるということでしょうかね。
しかし、徐々に考えるようになってきて「自分が原因では無いにせよ、障害を負ったのは自分。
ていうことはこの『障害』は私の体の一部であるから、挽回するのは自分」てな感じ。
「健常者社会に飼い慣らされている」とも見られるかもしれませんが、
「障害者が職場で『地場固め』をするためのガンバリどころ」と思っているのかもしれません。(私)
なにせ、「新規開拓」には、多少無理しなければ後が続かないと思っておりまして
「俺の屍を踏んで行け」じゃないけど、道筋ぐらいは付けなきゃ雇ってもらっている
意味がない。
流行の言葉じゃ無いけど「爪痕」ぐらいは残さないと・・・。
と思っております。(勤続7年目にして最近ね(⌒-⌒; ))
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日本の恥部をさらす 「相模原障害者殺傷事件植松被告に死刑判決横浜地裁責任能力認める」

2020年03月16日 22時09分44秒 | 日本の「恥部」を晒す


今日、植松聖被告に「死刑判決」が下された。
被告は判決文を読み終えると自ら発言しようと裁判長に声をかけたが
認められず閉廷となった・・・。
何が言いたかったのだろうか?
また遺族や被害者、障がい者のこころを傷つけることを言うつもりだったのだろうか?
このことにこだわっていてもきりが無いのでこれ以上言うのは避けます。

今回の裁判では精神鑑定でパーソナリティー障害を認めつつ
「犯行に影響はなかったか、(あっても)小さかった」として死刑判決の伏線となった。
判決文で裁判長は・・・
朗読は約40分間。裁判長は、争点だった被告の責任能力の有無に関する判断の説明にほとんどの時間を割き、大麻乱用による精神障害の影響で心神喪失状態だったとして無罪を求めた弁護側主張を退けた。
最後に「死刑をもって臨むほかない」と締めくくった。

私は精神鑑定がすべてを物語っていると感じた。
つまり、「パーソナリティー障害」であったことを認めていること。
この一言に尽きる。と言いたいところだが、
果たして「心神喪失状態」ではなかったのだろうか?
解りやすくいいますと、「19人を殺傷する際に、まともな精神状態だったのか?
ということです。
私にはとうてい考えられない。だからといって、
死刑判決を逃れるものでは無い」と考えます。
心神喪失状態=無罪」という数式には無理があるのではないかと考えました。
つまり「罪を憎んで、人を憎まず」という『0-10(有罪or無罪)』という極端な考えを
止めなければいけない。と思います。
本来ならば刑期を長くして反省を促すのが本筋なのかもしれませんが、
この事件は本筋では論じられないくらいにヒドすぎる・・・。
被告の反省を待つのではなく「第二の植松」を産まない社会を目指す方が
近道なのかもしれません。
それも不可能かもしれませんが・・・









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うつせみ和尚の説教 「『新型コロナウイルス』で差別行為」✕「お金にこころを操られる人たち」

2020年03月15日 16時13分13秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
非常時に『人間の本性』というか『人の心の狭さ』というのが出るようで、
今、世界を席巻している『新型コロナウイルス』でも『人の心の狭さ』が
露わになっているようです。
少し前ですがTwitterでマスクをしていない人が地下鉄内で思わず咳をしてしまい
前に立っていた人が烈火のごとく、怒鳴り散らしていた映像が公開されていました。
二人とも30~50代の男性でした。マスコミなどで過剰に驚異を流している影響
でしょうか?同時にマスコミでは「高齢者では死に至る可能性があります。」といっていますが、
30~50代では体力があるのでそんなに心配ないと私は思っています。また、「軽症で
済む場合が多く、知らずに治っている場合があります。」ということもありますので、
そんなに心配ないと思ってしまいました。しかし、軽症な方から老人に感染する場合もあるので注意したいところです。ハイ

しかし、怒鳴り散らかさなくても・・・

こう言ったことばかりでなく、感染源が中国と言うことで欧米では「アジア人差別」などもあるようで、暴力行為にまで及ぶようですが、今はイタリアをはじめとする欧米が「流行の先端」に
なっているので、東南アジアでは「西欧人差別」が国を挙げて起こっているようです。

まっ、どちらにせよ、そんなに恐れなくてもいいものに『その影』を過剰なばかりに
恐れ、逃げ、狂うといった様は「哀れ」というほかありません。そしてなぜか、トイレットペーパー、
テイッシュの買い占めといったオイルショック時の混乱に何ら学ぶことの無い人間って・・・
と思わざるを得ません。売り場での奪い合い、店の前での長蛇の列。
飛躍するように思われるかもしれませんが、こんなことでは三度目の世界大戦がいつ始まっても
おかしくありません。

今、「新型コロナ不況」が起きていて、株価は『世界全面安』となっております。
私のまわりに株にずいぶん投資している人がいて、最近はイライラしていて
とばっちりを私が喰っております、「新型コロナの影響がこんな形で・・・」(T-T)
まぁ、金に心奪われて、金に心捕らわれておるんですな、いい歳して情けない人ですな。
という私も15年ほど前は株に投資しておったものです。今、顧みるに「今の方がずいぶん貧乏だが
あの時には戻りたくない」と心底思います。ホント!
下落でも上手にやれば大もうけ』これも相場にこころ奪われる要素の一因かもしれませんね。
今、下落していても「いつの時点が底値になるのやら」と虎視眈々と時期をうかがっている人も多いはず!
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へなちょこお勤め日誌 「私を取り巻く『障害者雇用』の実際」やややけ気味に・・・

2020年03月12日 03時33分05秒 | へなちょこお勤め日誌
これをこのブログで書くのには少しばかり躊躇の思いがありまして、
このブログはあまりに知られているので反響が思わぬ形で来るのではないかと
危惧があるのです。まぁ、どっちにしたってやっぱり書くのですがね(笑)

私が勤めているのは精神科の病院でありまして、私は同じ精神疾患者として
患者さんをサポートする役割を担っております。私自身この仕事に気概を感じて
いるのですが、時々私はくじけます。
今まで私が勤めている勤務先では、障害を持ったNs.やPSW(精神保健福祉士)、
ケアワーカーという事例はあっても「ピアサポーター」という職で雇い入れた人間が
居なかったため、勤めて8年目になっても病院全体での認知度が低く、
またこの勤務先に入院経験がある私を「この前まで入院していたやつ」としか
見ていない輩もパラパラ居て、それらからの「冷たい眼差し」や「明らかな排除」を
感じつつ勤務をしております。そんなことを日々感じておっては、正直ストレスで
おかしくなりそうなもんです。ですが、アンガーマネージメント(怒りのコントロール)や『蔑視』を感じていない振りで何とかやり過ごしております。
最近、私と同じような業務をするべく入職された方もいるのですが、
今は訪問業務だけですので病棟Ns.からの冷たい仕打ちには晒されておりません。
できれば、ずっとそのような目にあわない方が良いのですが・・・
先ほども言いましたように、組織の中で初めてという存在はなにかと風当たりが
強いモノで、健常な方でもおかしくなりそうなモノですが、
一度心が傷ついた人間ならなおさらであります。
その上(まだあるのか!?)、理解ある上司からは「ストレスのはけ口」のように
強く当たられることもしばしば・・・。
このような状態をフランス語で「四面楚歌」と言います(どこがフランス語?)。
降伏(離職)しようにも次の就職先に苦労しますから、今の職場でなんとか
『自分の陣地』を開拓していくほかありません。
なんだか、本当に言いたいことが書けていないような気もしますが・・・なんだっけ?
あっ、そうそう!健常者の方は例えばこの時期「インフルエンザ」や「風邪」などを
引いてしまって休むことがありますよね、勤務先が病院であるので
インフルエンザになれば一週間自宅療養を余儀なくされます。
ですがね、私のような精神疾患者が精神の不調で二、三日休もうものなら、
「やっぱりあいつは精神疾患者だから、仕事を任せられない」ときたもんだ。
「おめぇら!病気で休んだことないんかぁ!」と言いたいぐらいです。
精神科の病院なのに精神疾患者の職員には冷たい職場なのです。

嫌いな言葉なのですが「スキルアップ」のために自費で3回も東京へ出張して
研修を受け資格も取ってきたのですが、「独りよがり」に見えるらしく、周りの反応は今ひとつです。

もっと「良き理解者」が増えてくれればなぁ。と、切実に願う今日この頃です。ハイ





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