「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

貧乏艦隊記! 「ひやむぎと醤油と空手」

2024年06月28日 15時30分17秒 | 『貧乏艦隊記!』
だいたい、今回の「ひやむぎと醤油と空手」って何?「部屋とワイシャツと私」じゃなくて?って話しですが…
まぁ、読み進んでくださいな。

さて、これは私が中学?高校?の頃ですが、なにせ腹ぺこ盛りなのはいいのですが離婚した後でご飯を作ってくれる母はおらず、父と兄と私です。父は仕事帰りなので私たちまで手が回らない。その当時は空手を始めていて学校帰りで稽古に行くまでお腹になにか詰めて行きたい。で、私の母はそうめん派よりも冷や麦派でした。私もそうめんの細さに心許ない、美味しくないように感じていて、それと当時は「麺つゆ」なんて市販されていなかったので、椎茸と鰹節をたっぷり使った麺つゆを作ってくれていたのですが、当然母がいませんので麺つゆなんてありません。誰も作れないし…。で、私が編み出したのが「醤油を水で割る麺つゆ」です。麺を湯がいて上がったものを冷やして麺つゆは氷を入れて醤油を入れて水で割る。もうね、座って喰ってなんていませんでした。ザル桶にあけて冷やしてそのまま立って食べる。早いし洗い物も少ない。腹を満たして稽古に行くといったところです。勉強もしないでそんなことばかりでしたね、その後遺症で頭が悪い…。
後遺症?

今もそうめん派よりひやむぎ派です。
これも後遺症。
後遺症?






読まずに死ねるか!(書籍紹介) 「『対人援助の現場で使える聴く・伝える・共感する技術便利帖 大谷佳子 著』職場や資料作りの参考文献」

2024年06月21日 00時13分22秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
この本は職場にあって、私が研修で登壇する際の資料として読んでいて、「これは買わねば」と思い購入しました。前回紹介した雑誌「臨床心理学」もそうです。去年やった研修なので同じ原稿でも良いのですが、なにせ「飽き性」なものでマンネリが許せない。
私が担当するのは「コミュニケーションの基本」という所なので良い資料になりました。読んでいると自分のやっていることを再確認できたり、「あぁ、こういう風なやりかたもあるのか」と気付かされることも多々ありました。専門職の方向けでお勉強になると思いますよ。やりとりの具体例も豊富で説明もごく易しい物になっています。シリーズになっていて、計5冊出ていて傾聴や勇気づけなどに分けて出ていて、今回紹介したのは「入門編」みたいなものです。大谷さんは別の出版社からもコミュニケーションに関する書籍を出していますので検索してみてください。その本も解りやすいものになっています。(回し者じゃない)
日常のコミュニケーションにも使えるので、介護している家族や障害者家族にも使えると思います。もちろん、管理職にも。

※サンプル画像より


にほんブログ村 介護ブログ 障がい者へ

にほんブログ村 その他日記ブログ 底辺男日記へ






読まずに死ねるか!(書籍紹介) 「『臨床心理学第16巻第5号―治療的コミュニケーション(金剛出版)』-コミュニケーション学習」

2024年06月18日 23時06分50秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
病院にいたときから、病院が定期購読していたのを借りてきて職場で読んで「これは良い」と思ったのは買ってたりしてました。で、何冊目かのこれです。
ちなみに2016年9月発行のものです。
内容は医師や心理士などが書いていますが、精神疾患から子供や認知症の患者さんとのコミュウニケーション、それぞれに関わっている方々が別々に書いてありますが、「傾聴」「会話」「観察」「幻聴が聞こえる方とのコミュニケーション」「トラウマケア」「虐待親」「少年受刑者との関わり方」「過去を振り返る」などなどです。
「あぁ、そうだな」とか「はっ!そういうことだったんだ。」と思うことがあって大変参考になりました。
私の考えですがコミュニケーションにはしっかりとした基礎部分が必要で、これはなにも特別な術ではなくて、家族や友人との日々の何気ないやりとりからでも養えるものだと思います。まっ、そういうことをやる仕事であったり、コミュニケーション能力を磨きたい人にとってはと言うことですが…。私のように『病的』に、人のことが気になってドンドン進んでいくのもどうかな?と我ながら思うのですが、なにせ『病的』なのでご容赦ください。初手として「相手に興味を持つ」ということが大事で、そう思うと「どんなことを考えているんだろう?」「どんな人なんだろう?」と知りたくなる。それをするためには、話す環境や話し手の気持ちなどを考えながら接していくことが必要で、ただ「聞きたいだけ」の興味本位では話し手に「なんだよコイツ」と思われるだけです。悪意やいい加減な気持ちは結構見抜かれます。「引く・押す」という術は当然持っていなくてはならないでしょう。
こちらの自己満足=自己満ではなくて、話し手である他人が満足する=他人満でなくてはね。
どんなことでもそうなんだと思います。よく身勝手にものを売りつける店員はまさに自己満。相手がなにを欲しいか考えて、店の中にそれに近いものがあるか、あれば客がそれに納得するための店員の技術は必要でしょう。相手の意向に沿って勧めるとお客さんが「これを買って良かった」と思うでしょうね。ここまで来るには応用的な術が必要で勉強が必要なんだと思います。反面、「なんでこんなの買ったんだろう?」と客が思って、返品したり即ネットで売ったりするようなものしか勧められない店員じゃあプロ辞めた方が良いね、ということです。

話しは大いに脱線しましたが…

この本、読まずに死ねるか!!













うつせみ和尚のお説教 「最近、気になる言葉『確かにぃ~』そんなに世の中に確かなものなんて無い」

2024年06月15日 15時02分53秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
題名書いたらもう書かなくていいな、と思ってしまいました(笑)
最近気になる言葉は、元々はTV発信なんでしょうが、妙に気になる。というか「そりゃどうなんだい?」なんて思う。

『確かにぃ』
特に語尾の「ぃ~」が気に障る。
テレビを観てるとNHKのアナウンサーも連呼してる。話し言葉って、どんどん移り変わって行くものだから、私がここで踏ん張ったところで、どうしようもないのですが、ちょっと言葉にこだわりがあるので最近の傾向が気になります。本の文章がそのまま話し言葉になるわけじゃないけど、本を読んでいるとそれに近くなる、影響されるというわけです。その意味で言うと「確かにぃ」というのもTVに影響されているのですが、どうもTVのバラエティで話される言葉は崩れすぎているように思えて成りません。本はさすがに話し言葉で書くことは少ない、やわらかい本だと話し言葉に近づきますが、それでもバラエティほど崩れていない。今さら「まろは・・・」という平安貴族のような話し言葉にしなさいとは言いませんが、ここで釘を刺さずにいられなかった。
釘?針?
私がここで書いたって、世の中に影響がないので「無痛針」かぁ…。










うつせみ演芸の時間&奇論、迷論人物評 「桂ざこばさん死去-豪快な語り口で泣き虫だった師匠」

2024年06月13日 13時58分16秒 | うつせみ「演芸の時間」


繁昌亭口上

二代目 桂ざこばさんが亡くなりました。
ここ最近、上方の芸能人が立て続けにお亡くなりになって誠に残念なことです。キダタロウさん、今くるよさん...。
私が若いころ大阪にいたときに「米朝一門会」「桂米朝独演会」「桂枝雀独演会」「桂ざこば独演会」によく行ってました。米朝一門の中では、枝雀さんとざこばさんは異端な感じで、米朝さんの精緻な語り口とはかけ離れていました。それでけに面白かった。感情の起伏が激しくて。
ざこばさんで言えば「豪快な語り口」で、どちらかというと「六代目 笑福亭松鶴」さんのような感じです。独演会に行ったときに「猫の忠信」という噺を最後にやったのですが、ざこばさんにとっては大きな挑戦だったと思います。登場人物や語り口などは、いつものざこばさんというわけにはいかず、細かな描写が必要だったのです。その当時は「ざこば・鶴瓶のらくごのご」という番組をやっていて、これは観客から三つのキーワードをもらって、一旦楽屋に引っ込んでその間に噺を即席で作って落語をするという番組でした。この手法(三題噺)は元々寄席であったものをテレビ番組として作ったものですが、鶴瓶さんはフリートークが得意なので無難にこなしていましたが、ざこばさんは苦手だったようで、練り切れずに舞台に出て泣く日もありました(笑)そんな番組に出ていたこともあって、独演会は盛況でそんな中「猫の忠信」をやったわけですが、本人の思う噺の出来ではなかったようで、幕が下りるときに「あきまへんでした」といって幕が下りたのですが、まだ話していたので一旦幕が止まって「下げておくなはれ」といってまた下がったということがありました。これもまたざこばさんらしいエピソードです。
小さい寄席でGWに一週間落語家が入れ替わり、独演会や一門会をする時があって、その時にも見に行って、その当時「米朝一門会」に出演する落語の出し物はすべて米朝さんが決めていて、先ほど言った「らくごのご」で人気だったざこばさんの出番には米朝さんが「らくごのご」と書いて、ざこばさんが出ていました。「だって、米朝がそう書いたんや」といいながら(笑)
思い出すと、自分は結構ざこばさんの落語を聞いていたんだなと思いました。私の好みは米朝さんなんですが(笑)
今、上方落語は多くの噺家さんがいていいのですが、ざこばさん、松鶴さんのような「型」の噺家さんていないなぁと感じます。
ちなみに「ざこば」というのは、魚市場のことで「雑魚場(ざこば)」が語源です。

ただただ、残念

南無三




にほんブログ村 その他日記ブログ 底辺男日記へ