「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ和尚のお説教 「大阪万博『ギャンブル依存』の危険を無視した開催か?」

2022年10月25日 10時31分33秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
以前に別のブログ「徳兵衛の~」で取り上げたか、このブログで書いたのか覚えていませんが再掲ということですかな?
さて、「EXPO2025 大阪・関西万博」が開催される中でドサクサに紛れて「IR(統合型リゾート)」を2029年から始めようとしている。場所は埋め立て地の『夢洲』。大阪市/大阪府はこの二つを抱き合わせにして進めています。経緯は横浜市、和歌山県の途中脱落によって大阪が当選したわけですが、大阪は「景気が良くなりますよ!」という謳い文句で進めているわけですが、前職の関係で「ギャンブル依存」の方も多く見てきたし「仮・ギャンブル依存」の方も多く知っています。ギャンブルとは無縁の私にとっては「なぜ夢中になるの?」と思うのですが、どうやら「成功体験」が『追銭』を呼ぶようです。私の田舎はパチンコ屋が多くてもちろん愛好家も多いのですが、以前の職場にも会社を終えてから必ず寄っている方も多かったです。「パチンコ・パチスロ雑誌」を休憩中に愛読していました。私にはさっぱりわからない世界でしたが…。全く否定はしませんがのめり込むことによって家庭崩壊や破産したことによって入院された方もいます。何事もやり過ぎるのは危険です。他にも「アルコール」「過食」「拒食」「自傷行為」などもそれぞれ『依存』と言えると思います。「私はいつでも止められる」という方の多くが「やめられない人」が多いのも現実。せめて「誘惑の根源」を絶つのが行政の仕事のひとつだと思うのですが国民も行政も「拝金主義、欲望最優先」でつっぱしている様にしか思えません。適度な娯楽は誰にでも必要なことは当然ですが、行政がバクチへ誘導するのはいかがなものか…。大阪としても「入場制限」などをして一応の次善策のつもりらしい案を上げているようですが、まっアカンでしょうな。人生が狂えば一朝一夕で軌道修正が出来るわけではありません。そこの所を大阪市/大阪府の首長さんには考えて欲しいものです。


















うつせみ和尚のお説教 「携帯電話に魂を抜かれている方々」

2022年10月14日 11時56分00秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
私は通勤や外出にバスや電車をよく使うのですが、私が車内にいるときの過ごし方はだいたい「景色を眺める」か「車内の人間観察」です。まぁ、私が足を悪くして歩くのもつらいときに席を譲ってくれずに「優先座席」で下を向いて携帯電話とにらめっこしてるのを見たり、寝たふりしてたり(笑)足が良くなった後も立っている時も座っている時も携帯とにらめっこしてる。そんな人達を観察しているわけです(笑)
私の職場で30代の方と話しをしている中で私が「検索でも出てこない情報ってあるよね」というと「えっ!?」っと驚いてましたね。「携帯、ネット万能」というのが脳に擦り込まれているようで、話していて「こういう状態は危ないな」と思いました。確かにいろんな情報が得られるとは思いますが、私としてはまだまだ「万能」という言葉からは掛け離れているように思います。このネット空間をあたかも「これが世界の全て」という考えは非常に危険に思うし考えが狭くなると思います。「ミイラ取りがミイラになる」ネットを使っているつもりが沼にはまって抜けられない、また沼にはまっていることが分からずにはまっているという風に私には見えます。また、検索して得られた情報を丸呑みして「これが正解でこれ以外の答えはない」という錯覚に陥っている人も多いようです。某ネットニュースの冒頭に出てくるトピックもくだらないものが多いし、キャッチーなものしかない。深掘りするには専門家のコラムややはり紙ベースの情報が大切だと私は思っています。今は年間購読している雑誌が貴重な情報源。また、各分野の専門家(出している書籍などで判断してます)のブログや定期配信のコラムなどを読んでおります。最近は専門家が出しているYouTubeなども参考程度に見てます。(これまた出している書籍などで判断してます)
ネット以前の世界、または現在でもネットを必要としない世界/業界でさえも「ネットという土俵に無理矢理上げられている」という感じもします。そのことで本来必要としてこなかったのに頼らざるを得ないような関係になってしまった業界もあると思います。残念…
『アナログは過去のものデジタルは最先端』という考えではなくて、『アナログとデジタルは併走するもの』と考えた方が豊かな世界になると思うんですがね。





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交遊録 「師匠からの手紙」

2022年10月14日 10時59分33秒 | 交遊録
由紀さおり 『手紙』  

先月、引っ越しをして「引っ越しのお知らせ」の案内を送らせていただいたのですが、昨日以前勤めていたときの大先輩からのお便りが届きました。「メールが送れなくなったこと」「近況のおしらせ」「いつでも役立てることがあれば連絡してください」「また食事をしましょう」などなど綴ってありました。手紙を頂くだけでも涙がチョチョギレンばかりに嬉しいですね。メールは諸事情(不可抗力)で使えなくなってしまいました。コロナ禍になる前に大阪で食事をしたり、私も師匠も会社は辞めていますが、まだまだ関係は切れておりません。師匠にはひとつしんどいことをお知らせしなくてはなりませんでいた。それは私の一つ下の後輩がちょうど一年前に亡くなったこと。これは多分以前にこのブログで書いたと思いますが、その後輩が脳内出血で急死してしまいました。年下が先に亡くなることのツラさを久しぶりに痛感したのですが、師匠にとってこの後輩は大変てこずらせた奴で入社してまずは大阪の本社で1年は働かなければならないのですが「田舎に帰りたい!」とわがままを言って、師匠もなだめたのですが、なんと3ヶ月で工場がある田舎に帰ってしまいました(笑)その反動で3年で本社勤務を終える約束だった私が半年、半年とずるずる長引いて4年いることになって後輩と呑むたびに「お前が悪い!」などといって笑い話になっていました。師匠は私の手紙を読んでどんな思いになっているのやら…。師匠は人工透析治療を続けていて、今はシルバー人材センターで事務の仕事に就いて忙しくしているとのことでした。もともと仕事は出来て、理路整然と弁は立つし、深謀遠慮。こんな師匠を当初私は「キツい人」と思った時もありました(初めての関西弁と言うこともあって)。でも、私をちゃんと「しつけ」てくれた人とまだまだ関係が切れていないことはありがたい話しです。私はこんな存在にはなっていないなぁ~(・_・、)

また食事をしてお話ししたいものです。





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へなちょこお勤め日記 「怠けていた私に大きな試煉?」

2022年10月09日 23時26分25秒 | へなちょこお勤め日誌
Louis Armstrong -「 Nobody Knows the Trouble I've Seen」(1962)
      邦題  「誰も知らない私に悩み」
 
BGMにどうぞ

私の職場は障害者雇用で採用された方々で、私も含めてみなさんなんらかの「障害を抱えた方々」です。お互い違う障害の場合が多いので『相互理解』はみなさん苦労しているようです。私の例に漏れず悩んでいる一人です。自分以外は障害者に会ったことが初めてという方も多いです。理解が難しいというところからでるのが「グチ(愚痴)」です。結構聞きます(笑)一所懸命にお互いの誤解がないようまたお互いに説明したりして…。
しかし、誤解を解くのに一所懸命になっていた私ですが今まで接したことのない「精神障害」で出くわして戸惑っております。まぁ、今まで精神障害の方を支援してきた「驕り(おごり)」があったのではないと今反省しきりです。言い訳をすると「支援の対象」として、または「友人として」接してきたことはあるものの同じ職場でちがう精神障害の方と接して経験は少なくて、以前の職場では私と同じ「うつ」の方と同じ仕事していたことがありましたが、今回は難しい…。精神的にシンドクなって一日休んだほどです。(トホホ)障害というのは複合的に背負ってしまうことがよくあります。以前の職場では「統合失調症+軽度知的障害」という方をフォローしたことがありましたが接する時間は一日長くて2時間ほどでした。先日、接し方に悩んで職場で空き時間に『当事者研究』をコツコツとするほどです。ある程度光が見えてきたように思えますが、光にたどり着くには、まだまだ苦難が続きそうです。

『当事者研究』をしながら思ったのですが「これはオレが裁かなくてはいけないトラブルなのか?」ということです。今の職場を管理する担当課があるのですが、みな健常者で社会福祉士なのですが幾度か相談したのですが移ってきた担当者は障害者対応に関しては、まだまだ経験不足のようです。ん~、社会人の『い・ろ・は』として「報(告)・連(絡)・相(談)」といいますが、なかなか向こうに相談しても苦慮していうるようです。私一人で抱えることでもないのでしつこいほどに「報連相」しましょうかね。







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精神世界へのいざない 「『ピアサポート』界隈のお話し」

2022年10月05日 21時01分47秒 | うつせみの精神世界への誘い
「ピアサポート」というと聞いたとこがないお方も多いと思います。「ピア」というのは『仲間』という意味のようです。昨今では「障害者をサポートする障害者としての『ピア』」という事が多いようです。
私は前職にあったときに一般社団法人の精神障害者向けのピアサポートの研修を受けたことがありまして、3年前程から厚生労働省の方で、全ての障害者向けの「ピアサポート研修」が全都道府県で行われているハズです。私の住んでいるところでは昨年度に「基礎研修」を行いました。今年は「専門研修」が行われる予定です。微力ながら私は講師側でお手伝いさせていただいていますが「いいのかな?」と思いながらやっております(⌒-⌒; )
さて、YouTubeやTwitterなどのさまざまなネットツールを用いて、障害当事者が意見を発信して「孤独な障害者」をネットでつないでいるようです。そんなちょっとした「ネット上の障害者カリスマ」の様な存在が『相談室』というようなことを始めている方をみかけます。自分の経験を持って答えると言うことだと思います。まっ、私が「障害者ピアサポーター研修」で登壇していることや仲間の方とあって話しをしていることと同じように思えます。私から見ると非常に前屈みになって鼻息荒い様に見えて心配ではあるのですが、また自分より明らかに重症な方にどう接していくのか、違う障害を抱えている方にどう関わっていくのか?ということです。考えるにそこで障害になってくるのが「ネット上での相談」ということ。私自身、症状が酷いときに「電話相談室」という所に電話を掛けてあまりに許容の無さにガッカリしたことがありました。体験的に実際にあってその空気感の中で話すことにより、相談者が思っていて以上に話せたり、他者とのつながりを感じ社会への足掛かりと言っては大げさかも知れませんが人間関係の広がりを感じると思います。私が経験したことがある「電話」や今のコロナ禍で広がっている「ネット」では正直関わりが「薄いなぁ~」と思うわけです。
今、研修の準備で会議をしているのですがZoom会議です。やっぱり空気感が伝わらないわけです。回数を重ねて慣れては来ましたが実際にあって開く会議と比べてどうなのか?と思って毎回出席しております。