女流漫才コンビ「今いくよ・いくよ」さんのボケ担当の「くるよさん」がお亡くなりになりました。今の段階では吉本は年齢を出していませんが、NHKは野暮なので年齢を出していましたね。(アホ)
「いく・くる」さん以前に女性漫才コンビはありました。漫才ブームの時期では対抗関係にあったのは、春やすこ・けいこで、これ以前には海原お浜・こはま、海原千里・万里(千里は上沼恵美子)の他、音曲漫才(トリオ漫才)では、フラワーショウ、ちゃっきり娘など女流漫才(音曲)がいました。
春やすこ・けいこは結婚があって、自然消滅したものの「いく・くる」さんは、いくよさんのガン闘病に入るまで活動を続けていました。いくよさんがガンで亡くなってからは、劇場では漫談、TVでは中川家と絡んで出ていました。
一時期は会社に勤めたものの吉本に入って「今喜多代」さんに弟子入りした異色のコンビでした。
※今喜多代さんは「島田洋之介・今喜多代」の夫婦漫才師で、島田洋之介さんの弟子にはB&B、島田紳助などがいます。
「いく・くる」さんは京都出身でソフトボール部のチームメイトで、それが漫才のネタにもなっていました。
いくよ:「私(いくよ)がピッチャーで、くるよちゃんがボールで...(ホームベースの時もあった)」
くるよ:「それどうゆうことやの?自分ばっかり良いとこ取って!」
また、くるよさんの体格をいじったネタでは
肩を出したくるよさんの腕を掴んで
いくよ:「くるよちゃん、いややわぁーこんなところから足出して!」
くるよ:「腕やっ!」
他にもいくよさんの細身をいじって、浮いた首筋でギター?ができるとか、ツッコみに肩をパンッ!と叩いたり、思い出せばいくらでも場面が浮かび上がります。他にも、漫才ブーム後期からは、くるよさんの衣装が目を引くようになりましたね。お二人の衣装の収納にマンション一部屋借りていたそうです。
いくよさんとくるよさんの命日が一日違いというのもなにかの縁のようにも思えます。
南無三
今いくよ・くるよ(お笑いネットワークより)
今いくよ・くるよ「わたしの魅力」(1982年)