「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ演芸の時間&奇論、迷論人物批評「今くるよさん亡くなる『漫才ブームの女性コンビ代表的存在』」

2024年05月28日 23時12分31秒 | うつせみ「演芸の時間」

女流漫才コンビ「今いくよ・いくよ」さんのボケ担当の「くるよさん」がお亡くなりになりました。今の段階では吉本は年齢を出していませんが、NHKは野暮なので年齢を出していましたね。(アホ)
「いく・くる」さん以前に女性漫才コンビはありました。漫才ブームの時期では対抗関係にあったのは、春やすこ・けいこで、これ以前には海原お浜・こはま、海原千里・万里(千里は上沼恵美子)の他、音曲漫才(トリオ漫才)では、フラワーショウ、ちゃっきり娘など女流漫才(音曲)がいました。
春やすこ・けいこは結婚があって、自然消滅したものの「いく・くる」さんは、いくよさんのガン闘病に入るまで活動を続けていました。いくよさんがガンで亡くなってからは、劇場では漫談、TVでは中川家と絡んで出ていました。
一時期は会社に勤めたものの吉本に入って「今喜多代」さんに弟子入りした異色のコンビでした。
※今喜多代さんは「島田洋之介・今喜多代」の夫婦漫才師で、島田洋之介さんの弟子にはB&B、島田紳助などがいます。

「いく・くる」さんは京都出身でソフトボール部のチームメイトで、それが漫才のネタにもなっていました。
いくよ:「私(いくよ)がピッチャーで、くるよちゃんがボールで...(ホームベースの時もあった)」
くるよ:「それどうゆうことやの?自分ばっかり良いとこ取って!」

また、くるよさんの体格をいじったネタでは
肩を出したくるよさんの腕を掴んで
いくよ:「くるよちゃん、いややわぁーこんなところから足出して!」
くるよ:「腕やっ!」

他にもいくよさんの細身をいじって、浮いた首筋でギター?ができるとか、ツッコみに肩をパンッ!と叩いたり、思い出せばいくらでも場面が浮かび上がります。他にも、漫才ブーム後期からは、くるよさんの衣装が目を引くようになりましたね。お二人の衣装の収納にマンション一部屋借りていたそうです。

いくよさんとくるよさんの命日が一日違いというのもなにかの縁のようにも思えます。

南無三

今いくよ・くるよ(お笑いネットワークより)

今いくよ・くるよ「わたしの魅力」(1982年)




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うつせみ和尚のお説教 「専門が細分化され過ぎる学問」

2024年05月10日 11時08分29秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
これもおそらく前に書いたと思います、思います…。(頭の中で考えていて書かなかったのかもしれません)

いろいろな分野の学者や研究者、野良学者なんかと話をしたり、専門書なんかをつまみ読みしますと、内容がまー細かいね。深掘りはいいけど他の専門分野の学者も理解できないようなものになってたりします。
専門性を高めることにより自分の「売り」を打ち出しているのだと思いますが、反面その分野を網羅しているような書物に会うことが難しくなっているように思います。昔は一人の学者が網羅するような本を出していたりするのですが、あとに続くよう学者は少なく本も出版されない。いつまで経っても50年以上前の「大御所学者の大金字塔的書物」を講義のテキストとしてつかっていたり…。近年、見るのはそれぞれの専門家が共著して何巻組かで出版されることが、多いようです。
正直、深堀りも結構ですが網羅した書物は必要です。あとに続く学生がより専門化されていって堀にほってブラジルにまで到達するころには一般人が興味を惹かないものになっているのが現状でしょう。奇特な一般人がしたり顔で酒の肴に話すだけではもったいない。その学問分野からそれぞれがエッセンスを抽出して今後の生活に活かしていけるようなものでないと、いずれその学問分野は社会との距離が離れすぎて、なくなってしまうかもしれません。支援するのはマニアではなく政府であったり、それを指示する国民だったりするのだから。
偉い学者さんなんかは大学を退官した後に市民と車座になって話をすることがありますが、若い学者にもそれをやって欲しいとおもいます。
(現役大学教員が大学の事務に忙殺されているのはよく聞く話ですが)
まぁ、自己満学者ではなくて、市井の人あっての学問ということを頭の中に置いて研究を深めていってほしいものです。


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うつせみ精神世界への誘い 「高齢、障害を嫌う一理由を考える」

2024年05月06日 06時16分05秒 | うつせみの精神世界への誘い
若者なんかのSNSの投稿などを見てみると、例えば「あぁ、30歳になってしまった。爺です。」という感じののものが目立ちます。こういうのを見ると「50で悪かったな」なんて思ってしまいますが、私の年齢から見ると「たかだか30歳ごときでなにを嘆く?」と思います。考えるに20歳の人間から30歳を見ると「あんなふうになりたくない、カッコ悪い」という人を見ているのかもしれない。「私も30歳になったらあんな風になってしまうのか」と。厭う、蔑む、嫌う対象になっているのではないかと…。アンチエイジングなんかは、そのことを端的に表している単語ですね。意味は『アンチ=反抗、反対、排斥』ということですからね。私なんかから見ると「どうせ年取りゃ、体が不自由になったり、外見が醜くなったり、考えが回らなくなってしまうのだから、なぜ悪あがきするのか?」と思ってしまいます。やはり忌み嫌う存在なんでしょうね。格好いい高齢の方は崇拝の対象になっているということは稀有な存在だからなんでしょう。
障害を抱える人を見て、同様の感情を抱くは「あんな風になりたくない」という思いからなんでしょう。相当斜めな見方をすると、看護や介護、支援を職業とする方は恋愛や結婚対象が患者や障害者であることは稀有な存在でしょう。あるとすれば、完治しやすい外傷患者ぐらいでしょう。忌み嫌う対象との間に一線を引くのは人間の正直なのは感情なのかな?と思います。となると、「差別」も自然な感情なのか?さらに考えると「差別をなくす」というのは越えるべき壁ではなくて、叶えられない目標なのではないかと考えます。なので差別する人間とは一線を引いてしまうのも正直なのは感情、行動なんでしょね。


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淀長の世界 「『オッペンハイマー』を観てきました。」

2024年05月05日 15時21分50秒 | 淀長の世界
この映画は世界の映画賞をとっているという触れ込みでした。なんと、上映時間は3時間!ん〜疲れました。
オッペンハイマー博士は言わずと知れた『原子爆弾の父』と言われる方で、第二次世界大戦中でドイツと核開発競争がありアメリカは当時最先端の科学者を世界から呼び集めて作ったものですが、蓋を開けてみれば完成前にドイツは降伏、核開発はアメリカと比べると周回遅れ。お試しで日本に使われたと言われても仕方ない。広島と長崎に投下されたわけですが、地形の違いを試して被害を比較したかったようです。
以上はNHKのドキュメンタリーのネタです。

あい変わらず、前段が高いですがオッペンハイマー自身は開発途中から「こりゃ、マズいもん作っちゃったな」と気付き、軍部に掛け合いますが、当然軍人でもなけりゃ政治家でもないオッペンハイマーの意見は聞き入れられません。また、オッペンハイマーが集めた優れた科学者たちも「世界的発明」「世界大戦を終わらせるため」という意欲は強くオッペンハイマーの意見は聞き入れられません。オッペンハイマーの気持ちとは裏腹に原爆は投下されてしまいます。そして、世界大戦終戦。ルーズベルトが死去した後の大統領であるトルーマン大統領が「原子爆弾の父」であるオッペンハイマーをホワイトハウスに招き称えますが、オッペンハイマーは、世界規模での核管理を訴えますが当然受け付けてもらえず、やんわりと退室を促されます。そのあとは、トルーマン大統領は側近に「あの泣き虫を二度といれるな」といいます。戦後、核開発以前に関わりがあった共産党について様々な委員会などで吊るし上げられます。映画ではオッペンハイマーを陥れた人間を後半で改めて登場させますが、それはご覧になって下さい。

余談ですがアメリカでの核開発はルーズベルト大統領が推進していたわけですが副大統領であったトルーマンには一切知らされておらず、ルーズベルト死後このことを知らされて驚愕したとのことです。
また、戦後のアメリカはソ連との緊張状態から国内での『赤狩り』が吹き荒れるのですがオッペンハイマーだけでなく、後に大統領になるレーガンを委員会に呼び出されて質問をされています。さらにチャップリンも委員会に呼び出されて、潔白を訴えたのですが映画のキャンペーンで国外に出て帰国をした際にアメリカへの入国を拒否されます。そして、アメリカ映画界からも追放されます。後に入国は許されますが、このアメリカに吹き荒れた『赤狩り』を皮肉った「ニューヨークの王様」という映画を制作しています。

また、映画にもどりますが映画の冒頭でオッペンハイマーとアインシュタインが何かしら立ち話をしているシーンがあって、最後の方に何を話していたか種明かしが観られます。
観て損のない映画だと思いますが体調を整えて観ることをオススメします。