釈尊こと本名「ゴータマ・シッタールタ(表記方法は様々)」は、
当時インドで盛んに行われていた「苦行」に当初は傾倒し、
苦行に励んでおりましたが、あるとき「アカン!苦行やっても煩悩から抜けられへん!」
と思い、かと言って彼自身「釈迦族の王子」時代の毎日繰り返される享楽の日々でも
いけないと知っていたので、『苦楽中道』という道を導き出します。
ちょっと、話は飛びますがゴータマが大事にしたのは、「今、現在どうあるか」です。
『「過去」や「未来」に思いを馳せても小が無い』ということです。
あるお弟子がゴータマに「人間は死んだらどうなるのですか?」と問いました。
「お前さん、そんなこと考えてどうすんだい!?今を一所懸命生きなさいよ!?」
つまりは、そんな解らないことを考えて不安になるのは馬鹿げている。
大切なのは、それぞれが「今」をどう生きているかが大事だと。
ゴータマは、非常に現実を大事にします。
正直、今の日本佛教のような仏像を拝み「あ~、ありがたい。合掌。」というのは
ゴータマが嫌った形態です。
つまりは、「全ての指針は自分の中にあり、常に『自分は正しいのか?』チェックする」
ことが大事なのです。
だから、「自分の『今』、『今』、『今』」を見つめること」が大事なのです。
「自分のチェック機能は自分の中にある。」というわけです。