大きな枠での「社会的弱者」や「障害者」は、世界から離れたところに存在して社会参加なんて出来ない存在です。みなさんが時折耳目に触れるような方は障害者の分母から考えるとほんの一握りです。そんな方々やSNSで当事者が発信していると思うのですが「もっと障害者に寄り添った支援を!」とか「こんなヒドイ目に遭った」なんかもよく見ます。そりゃ世間が健常者仕様ですから不便なことを改善してもらう必要は大いにありますよね。「0(ゼロ)から+(プラス)へ改善」と言うより「-(マイナス)からの出発」といえるかもしれませんね。
今まで「-(マイナス)の世界」に居たからか0か、もしくは少しの+になると、私は「こっち側が要求しすぎじゃないかな?」「ちょっと障害者の要求が乱暴になってやしないか?」と感じてしまいます。そんなことはないのだろうと思いますが、多少言い過ぎと思われても「健常者並み」にまではならないのかなぁ~と思ったり逡巡しております。
今も障害者は社会から虐げられていると思います。私も生活をしていて、そのような態度に出られることはよくあるんです。そんなことが日常になっていると、自分が「ひがみ根性になってやしないか?」と思ってしまう。障害を抱えていても根性はひねてはいけないと思うのです。「だって、差別されているのは事実なのだから…」という意見はあると思いますが、それとは別次元の話しだと思います。改善を求める側が冷静でいないと、相手に正当な要求として受け取ってもらえない。
仮に改善されていたとしてもそれに浴していてはならないし、冷静な気持ちは持続していなければならない。
マイナスの状態でもプラスの状態になっても周りの環境に左右されてはならないと思う。「自分がこの世の中で一番不幸だ!」なんて思ったら(つかの間、そんな思いになるのは仕方ないとして)、その後ずーーっと、そんなおもいに取り憑かれ続けたら、障害者であろうが健常者であろうが、その方はもう「アウト」だと思う。
満たされなくとも満たされていなくとも「淀む水はいずれ腐る」。
満たされること満たされないことに永続性はないし、満たされていない現状でも、さらに満たされない状態なるかも知れない。その逆も、その真ん中も、さまざまで自分を含めて全ては流動的で「常という常はない」し、「連続に連続性はない」ちゅうことです。はい