「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ演芸の時間 「『桂雀々さん死去、64歳「爆笑王」桂枝雀さんの弟子』-これから円熟味を出すハズだった東京在住の上方落語家」

2024年12月06日 14時19分27秒 | うつせみ「演芸の時間」
桂雀々さん死去』※gooニュースへ移動します。

桂雀々さんが、亡くなりました。
このブログでも何人かお笑いの方が亡くなったことを書いていますが、雀々さんに関しては、まだまだ若いといった感じです。雀々さんの師匠は二代目 桂枝雀さんで枝雀さんが自宅で自死されたときには、雀々さんが担いで横たわらせたということです。雀々さんの幼少期は過酷な環境で、父母が次々と居なくなって子供の頃から「自活」せざるを得ない生活をしてきたそうです。雀々さんの考えにも影響して、結婚した後もちょっと夫婦ケンカしたときには「もう、やめじゃ!」とすぐに結婚生活を投げてしまうような所があって、ずいぶん前に雀々さんを取り上げた番組で奥様が話していました。
え~、私も似たような感覚でお付き合いや友達が出来たときには「どうせ、この関係なんか長続きしないんだろ」と内心考えてしまう。となると、ちょっとしたトラブルがあったときに、やはり「もう、やめじゃ!」という考えになってしまって、修復ができる時期であったりタイミングであっても、分かっていながら見過ごしてしまう傾向があります。
さて、本論に戻してっと。
雀々さんは枝雀一門の中で一番、師匠に影響されているようです。枝雀さんが存命の時に雀々さんと名前を交換しようとしていて、枝雀さんが「私の枝雀をあげるさかい、雀々は私が名乗る。『雀々家雀々(じゃくじゃくやじゃくじゃく)』だ!これで子供から『あっ、雀々や!雀々!!』って云われるやろ!?」
という話しが残っています。この話しは上岡龍太郎さんが云ったとか云わないとかという話もありますが...。芸風は師匠の枝雀さん並ですから、ジェスチャーなども似ています。面白いので芸風に関しては問題無いと思いますが師匠の枝雀さんは当時の芸風に悩み、「今のままではいけない」と悩んだ末に自死されたということです。雀々さんがまだ生き続けるとしたら、芸風は今のままだったのか、更なる変化を起こすのか、「今となっては...」という話しですが、江戸落語では初代 林家三平、上方では枝雀と「爆笑派」は円熟期に入っていくと、いわゆるうるさ方の先輩や演芸評論家から変化を求められたり、自分でも「これで良いのか?」と悩むみたいです。亡くなった桂米朝さんが「これから枝雀は化ける(芸風が変わる)」と云っていました。枝雀さん自体も「小米」と名乗っていたときは、師である米朝さんそっくりの落語をやっていて、「今のままでは...」と思い悩み「爆笑派」の落語家に化けています。「枝雀さんが築いた芸風を引き継いだ雀々さんが、この先きっと化けるはず」と勝手に私は考えていたところの訃報は誠に残念な話しです。


南無三



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うつせみ演芸の時間 「懲りずに、またまた落語CD収集の日々」

2024年09月03日 16時05分08秒 | うつせみ「演芸の時間」
これを知ったのは何が切っ掛けだったかもう覚えていませんが、「三代目(一説には二代目)古今亭志ん朝のCD化されていない音源がある」という謳い文句に、ホイホイと乗ってしまい買うことになってしまった…。
これは1ヶ月に一度「定期購読」という形で、CD二枚が送られて来ます。
二枚で¥3200です。ハードケースには入っていなくて紙の袋?には入っています。この志ん朝の噺はテンポが良く江戸っ子語りで聞いていて淀みが無いのがよく分かる。この志ん朝シリーズには「三代目 古今亭志ん朝襲名口上」も録音されているのでなかなか貴重のものではないかと思う。

これは古今亭志ん朝のシリーズですが、この後六代目圓生や志ん朝の父の志ん生、兄の十代目馬生などなど、いわゆる「名人上手(めいじんじょうず)」と言われる、今や伝説の落語家の未収録音源が続々発売されることになっている。

PS:落語や漫才などお笑いが好きだと言っても、私自身は面白いことを言う人間ではないので悪しからず。



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うつせみ演芸の時間 「新作落語の名手で最高齢落語家『桂米丸さん死去99歳』」

2024年08月06日 14時48分54秒 | うつせみ「演芸の時間」

桂米丸さんがお亡くなりになりました。御年99歳ニュースによると老衰ということでした。
私自身で言えば「一度観たかな?」という程度の記憶しかありません。
米丸さんが手がける「新作落語」自体若い頃は好きでななくて、敬遠していました。最晩年、TVでお元気なお姿を観て「元気だな」と思っていました。その際に後の新作『ドローン出前 』を聞いて面白いと思いました。私自身片意地なところがあるので、十年と少し前まで新作はほとんど聞いていませんでした。
ただ、新作にも二種類あって時代は意見が昔になっている「新作」と現代をベースにした「新作」がありますが、私は後者の現代をベースにした「新作」がどうも合わなかった。昔をベースにした「新作」だと、上方落語に多くて落語作家の小佐田定雄さんが作られるものは昔をベースにしたものが多いですね。私が「これ古典だよね」と思っていたものが、実は新作だった事も多々ありました。
米丸さんは思いっきり現代、時代を捉えた落語で良かったのですが、新作落語家の悩ましいことは、その時にはうけても少し立てば「微妙に昔」でうけなくなる。これも確か米丸さんの言葉だったと思います。米丸さんは古今亭今輔さんに入門して、師匠の前名である「米丸(四代目)」を襲名されました。大喜利番組の「笑点」に出ていた桂歌丸さんとは兄弟弟子であったものの歌丸さんが今輔さんと折り合いが悪くなって、一時落語家を廃業の後復帰した際に今輔さんの門下に入ることはなくて米丸さんが「預かり弟子」のような形で受け入れることになり、兄弟弟子から弟子になった珍しいケースだと思います。(今輔さんと歌丸さんの関係は米丸さんの配慮で良くなっています)歌丸さん自身も新作が多くて後年古典が多くなります。歌丸さんは米丸一門の筆頭弟子になります。米丸さんと言えば、特徴的な声と表情の動きですね。甲高い声が特徴です。あと言葉も早いかな?新作を作るとなると時代の流れに一層敏感で情報収集が必要になるのは米丸さんの性格には合っていたのではないかと思います。

「新作落語≒創作落語」

桂米丸「相合い傘」
8分ほどの話しです。








かしまし娘・正司照枝さん死去1月には長女・歌江さんが…三女・花江は衝撃「まだ隣にいるよう…

2024年07月14日 13時21分42秒 | うつせみ「演芸の時間」

ウチら陽気なかしまし娘 誰が言ったか知らないが 女三人寄ったら 姦しいとは愉快だね。ベリーグッド ベリーグッド お笑い お喋り ミュージック 明るく歌って ナイトアンドデイ ピーチクパーチク かしましい

 

「かしまし娘」の次女 正司照枝さんが亡くなりました。向かって左側が照枝さんです。正月には長女の歌江さんが亡くなったことは、このブログでも書きましたが照枝さんも亡くなってしまいました。享年91歳でした。歌江さんと同じ記事になってしまいますので割愛しますが、子供の頃から演奏家、劇団員、漫才と芸道を歩んできた方です。三人とも長命です。
長女の歌江さん、三女の花江さんと違い声がそれほど...なので、その悪声をネタに漫才をしていました。夢路いとし喜味こいしさんを「兄ちゃん、兄ちゃん」と慕っていました。未熟な漫才の稽古を付けてもらっていたからです。

しかし、関西のお笑いは去年あたりから亡くなる方が多く、残念でなりません。現役を引退されてTVや寄席に出ていなくても訃報を聞くと悲しいです。

芸達者な昔ながらの芸人さん、貴重な音曲姉妹トリオ漫才師が亡くなってしまいました。


これでお仕舞いかしまし娘、それではみなさんご機嫌よぉ~



南無三







うつせみ演芸の時間&奇論、迷論人物評 「桂ざこばさん死去-豪快な語り口で泣き虫だった師匠」

2024年06月13日 13時58分16秒 | うつせみ「演芸の時間」


繁昌亭口上

二代目 桂ざこばさんが亡くなりました。
ここ最近、上方の芸能人が立て続けにお亡くなりになって誠に残念なことです。キダタロウさん、今くるよさん...。
私が若いころ大阪にいたときに「米朝一門会」「桂米朝独演会」「桂枝雀独演会」「桂ざこば独演会」によく行ってました。米朝一門の中では、枝雀さんとざこばさんは異端な感じで、米朝さんの精緻な語り口とはかけ離れていました。それでけに面白かった。感情の起伏が激しくて。
ざこばさんで言えば「豪快な語り口」で、どちらかというと「六代目 笑福亭松鶴」さんのような感じです。独演会に行ったときに「猫の忠信」という噺を最後にやったのですが、ざこばさんにとっては大きな挑戦だったと思います。登場人物や語り口などは、いつものざこばさんというわけにはいかず、細かな描写が必要だったのです。その当時は「ざこば・鶴瓶のらくごのご」という番組をやっていて、これは観客から三つのキーワードをもらって、一旦楽屋に引っ込んでその間に噺を即席で作って落語をするという番組でした。この手法(三題噺)は元々寄席であったものをテレビ番組として作ったものですが、鶴瓶さんはフリートークが得意なので無難にこなしていましたが、ざこばさんは苦手だったようで、練り切れずに舞台に出て泣く日もありました(笑)そんな番組に出ていたこともあって、独演会は盛況でそんな中「猫の忠信」をやったわけですが、本人の思う噺の出来ではなかったようで、幕が下りるときに「あきまへんでした」といって幕が下りたのですが、まだ話していたので一旦幕が止まって「下げておくなはれ」といってまた下がったということがありました。これもまたざこばさんらしいエピソードです。
小さい寄席でGWに一週間落語家が入れ替わり、独演会や一門会をする時があって、その時にも見に行って、その当時「米朝一門会」に出演する落語の出し物はすべて米朝さんが決めていて、先ほど言った「らくごのご」で人気だったざこばさんの出番には米朝さんが「らくごのご」と書いて、ざこばさんが出ていました。「だって、米朝がそう書いたんや」といいながら(笑)
思い出すと、自分は結構ざこばさんの落語を聞いていたんだなと思いました。私の好みは米朝さんなんですが(笑)
今、上方落語は多くの噺家さんがいていいのですが、ざこばさん、松鶴さんのような「型」の噺家さんていないなぁと感じます。
ちなみに「ざこば」というのは、魚市場のことで「雑魚場(ざこば)」が語源です。

ただただ、残念

南無三




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