『桂雀々さん死去』※gooニュースへ移動します。
桂雀々さんが、亡くなりました。
このブログでも何人かお笑いの方が亡くなったことを書いていますが、雀々さんに関しては、まだまだ若いといった感じです。雀々さんの師匠は二代目 桂枝雀さんで枝雀さんが自宅で自死されたときには、雀々さんが担いで横たわらせたということです。雀々さんの幼少期は過酷な環境で、父母が次々と居なくなって子供の頃から「自活」せざるを得ない生活をしてきたそうです。雀々さんの考えにも影響して、結婚した後もちょっと夫婦ケンカしたときには「もう、やめじゃ!」とすぐに結婚生活を投げてしまうような所があって、ずいぶん前に雀々さんを取り上げた番組で奥様が話していました。
え~、私も似たような感覚でお付き合いや友達が出来たときには「どうせ、この関係なんか長続きしないんだろ」と内心考えてしまう。となると、ちょっとしたトラブルがあったときに、やはり「もう、やめじゃ!」という考えになってしまって、修復ができる時期であったりタイミングであっても、分かっていながら見過ごしてしまう傾向があります。
さて、本論に戻してっと。
雀々さんは枝雀一門の中で一番、師匠に影響されているようです。枝雀さんが存命の時に雀々さんと名前を交換しようとしていて、枝雀さんが「私の枝雀をあげるさかい、雀々は私が名乗る。『雀々家雀々(じゃくじゃくやじゃくじゃく)』だ!これで子供から『あっ、雀々や!雀々!!』って云われるやろ!?」
という話しが残っています。この話しは上岡龍太郎さんが云ったとか云わないとかという話もありますが...。芸風は師匠の枝雀さん並ですから、ジェスチャーなども似ています。面白いので芸風に関しては問題無いと思いますが師匠の枝雀さんは当時の芸風に悩み、「今のままではいけない」と悩んだ末に自死されたということです。雀々さんがまだ生き続けるとしたら、芸風は今のままだったのか、更なる変化を起こすのか、「今となっては...」という話しですが、江戸落語では初代 林家三平、上方では枝雀と「爆笑派」は円熟期に入っていくと、いわゆるうるさ方の先輩や演芸評論家から変化を求められたり、自分でも「これで良いのか?」と悩むみたいです。亡くなった桂米朝さんが「これから枝雀は化ける(芸風が変わる)」と云っていました。枝雀さん自体も「小米」と名乗っていたときは、師である米朝さんそっくりの落語をやっていて、「今のままでは...」と思い悩み「爆笑派」の落語家に化けています。「枝雀さんが築いた芸風を引き継いだ雀々さんが、この先きっと化けるはず」と勝手に私は考えていたところの訃報は誠に残念な話しです。
南無三