「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

日々是仏滅 「調子が悪きとき噺 部屋の中に人影が通る」

2024年07月31日 21時11分25秒 | 日日是佛滅
調子が悪くなると、まず倦怠感が続いて、その後皮膚炎が体の所々に出てきてきます。起床が難しくなってきて、職場でも動きがいまいち、頭の回転が更に悪くなる。(日常+ボーナスポイント)そんでTVやネットの映像、音楽などで暗めのストーリーのものを見聞きすると気分が急降下、さらにさらに悪化すると視覚の端に人影が見えて振り向くとスーッと通り過ぎて消える。ボンヤリとした人型で白く淡い感じ。幻覚の中の幻視というやつです。以前から続いていて更に悪くなると金縛りが起きてなにかが近づいてくる...。
金縛りは最近ありませんが変な人影は室内を跋扈しているようです。


誰の許可を得て我が部屋に入ったのやら。




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うつせみ精神世界への誘い 「『素人の付け焼き刃』学も無いのに専門書を読むことについて」

2024年07月29日 16時17分36秒 | うつせみの精神世界への誘い
最近、書籍紹介が多くなっていると思いますが、元々膝を悪くして通勤時に座れる保証のない特急から確実に座れる準急・普通電車に変えたことで、その間約50分ほどは読書が出来るわけです。
それはそれなんですが、読んでいる本としては史学・精神・物語系・演芸本などです。
以前に勤めていた職場の時から精神医学の専門書を7~8年前?くらいから読んでいます。これは精神障害の方と接する上で、どんな病気か?どのような傾向があるのか?症状はどんなものがあるのか?という疑問から読み始めていて読んでいる本もずいぶんな量になって、ほとんどは今の職場に寄贈しました。
正直、私のように頭の血の巡りが良くない人間は、専門的な教育機関で学んだ人には足元にも及ばず、時々嫌になってしまいますが「読まないよりはいいだろう」と言うことで読んでいます。
私は飲んでいる薬に関しては、意図的に頭に入れないようになりました。以前に通院していた病院で入院中に知り合った人と外来の待合中に「この薬はこんな感じで、副作用はこんな感じだよね」というのを聞いていて、「副作用なんて、大まかなことは同じだろうが、それぞれ体の特徴があるからそんなに詳しくなくてもいいのでは?」と内心思っていて、どちらかというと嫌な気持ちになっていました。
で、私が専門書を読むことについて考えるときに薬の話しをしていた知人のような所詮は「素人の付け焼き刃」になっていると感じました。史学や物語、演芸の本は趣味ですが、血の巡りの悪い頭で精神医学の専門書を読むことは、「本の内容を間違った解釈をしまうのではないか?」と思ってしまいます。
な~んだか、そんなことを考えると「知っているような顔」して登壇してお話しするのも止めたくなる思いになります。




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へなちょこ空手道 「日本空手協会 退会と66回大会、植木首席師範逝去」

2024年07月18日 22時17分19秒 | へなちょこ空手道
66th JKA All Japan Karate Championship 2024 - Man kumite final - uncutted

先日、(公・社)日本空手協会第66回全国空手道選手権大会が行われました。
で、上が一般男子組手決勝戦です。
優勝した総本部指導員の廣瀬選手は二度目の優勝です。対戦相手の同じく総本部指導員で前回優勝者の五十嵐選手とは、テクニックの廣瀬と直線的な攻撃の五十嵐という対照的な試合でしたね。互いに負傷して中断が多い試合でしたがよくある話しです。準決勝までの廣瀬選手は落ち着いた試合運びでした。決勝でも途中まではよく見て試合をしていましたが途中から猛烈な攻撃を見せる場面があって、意外な面も見られました。
まっ、組手はそんな感じ。
どうしても厳しく見てしまうのは「形」です。男子決勝では優勝者以外は全員(厳しいので)。かかとは床から離れてるのが目立つし、技の正確さを欠く形が多かった。

まっま、そんな大会が終わって間もなく植木首席師範の訃報が届きました。直接指導していただく機会はありませんでしたが、植木師範の現役当時の試合を見た先生に以前聞いたことがあって「他の選手とは違った動きをしていた」と仰っていました。当時の総本部指導員は奇抜な動きをする方が多かったですね。他の特徴的な先生方の映像も画像も多く残っております。機会があればご覧ください。
一時代を築いた伝説が、またお亡くなりになりました。
合掌

まっ、最後ですが私、永らく所属しておりました日本空手協会を退会いたしました。というかしたハズです。(笑)
手続きを任せているので…。
足も大変ですし、もうお世話するような立場でもないのでね。
私が今後空手をするとしても所属していなくても一人で空手は出来ます。

お世話になりました。









読まずに死ねるか!(書籍紹介) 「『天皇が十九人いた』保阪正康 著 角川文庫」

2024年07月15日 15時17分00秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
なかなかショッキングな題名ですね。
まっ、この表題ひとつのセクションの名前で...

1.天皇
2.東條英機
3.官僚とその周辺
4.映画俳優
5.普通の人々
6.補章
となっていて、「1.天皇」の中の一つが「天皇が十九人いた」なんです。天皇のもう一つは終戦後間もない日本を慰安した天皇巡幸のテストケースであった神奈川を視察したときの様子を書いたものです。

今回は全部の感想を書くのは大変なので表題の「天皇が十九人いた」のところについて書こうと思います。
<(`^´)>エッヘン。
この本自体、太平洋戦争後の様子を書いたものですが、この「天皇が~」も戦後の混乱期の様子を書いたものです。
この本に出てくる代表的な「自称 天皇」は熊沢天皇というお方。数名いて有名なのは「熊沢寬道」で、当時ずいぶんマスコミにも出ていて時の人だったそうです。この「自称 天皇」は、南朝の後醍醐天皇の末裔で南朝百十七代天皇とのこと。他の「自称 天皇」の中にも南朝の末裔を語る人は多く、酒本天皇(後亀山天皇)、竹山天皇(大覚寺統天皇家※特定の天皇を特定していない)、田宮天皇(後醍醐天皇)、長田天皇(長慶天皇)、上村天皇(後村上天皇)、外村天皇(後醍醐天皇)、伊藤天皇(南朝、尚尊王)です。なぜ、南朝の末裔を名乗る者が多いのか?これは明治時代に入って、様々な事情から南朝正閏論→国会から天皇へ上奏→明治天皇の勅裁。自身が北朝の末裔であった明治天皇であるのに、南朝の正当性を認め南朝の天皇も天皇の代数に入れたことが事の発端らしい。
「自称 南朝末裔天皇」以外は源平時代で海に没したと言われる「安徳天皇の末裔」✕2名などがいる。読んでいて大方の「自称天皇」の先祖と言われる方の時代は源平合戦時、南北朝、承久の乱といった混乱期の天皇であることが言えると思う。避難先、流刑先での落とし胤、生存説(安徳天皇)で、よくある話しなのかな?と思う。明治天皇の南朝正閏の勅裁前から地方には「自称 天皇」はいたのかも知れないが、勅裁後からマスコミに取り上げられたり、熊沢(寬道)天皇のように昭和天皇の全国巡幸について歩いた人、宮内庁に自分の正当性を訴える書簡を送った人、自分の結婚式の招待状を官僚や時の大臣に送ったという積極派もいる。また、これらを担いだ人もいた。またまた、よくある話しですが「自称 天皇家正当論争」。これは熊沢天皇家で起きていて、熊沢天皇だけでも5名いる。もう、混乱の上の混乱ですね。
この章の最期に保阪さんが小島廣次(※当時 名古屋市立女子短期大学教授)にインタビューしている。(要約)「自分の生活が良くなるわけでも無いのに、なぜ南朝の天皇にすがるのか、その心理やエネルギーそれがわからない」。殊に熊沢天皇宗家争いを見ても「なぜ?なぜ?」と思う。
十九人の他にも「実は〇〇天皇は暗殺されていて、替え玉が据えられた。」という手合いの話もあるそうです。根拠は無いようですが。

京都銘菓「八つ橋」でも以前に裁判があったなぁ。これは正当性を世間に知らしめることによって販売量が変わるからですが。
これまた余談ですが、「自称 天皇」までとは言わなくても「自称 有栖川家の後継」として結婚式を挙げるに当たって、芸能人や右翼、暴力団関係者を呼んで祝儀を巻き上げる詐欺がありましたね。(有栖川家はすでに断絶しています)

この熊沢天皇騒ぎは途中まで当時の占領軍であるGHQやアメリカのメジャーなマスコミも興味を示していて、特にGHQはある程度の配慮もしていたそうです。その事もまた「自称天皇」が勢いを増す一つの『燃料』みたいなものになったんだろうと思います。
調べてみると保阪さんだけでなくいろいろ資料があるようなので、機会を見つけて読んでみたいと思います。

ん~、この本読まずに死ねるか!

※Wikipedia『皇室詐欺』、『南朝正閏論』参照資料



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かしまし娘・正司照枝さん死去1月には長女・歌江さんが…三女・花江は衝撃「まだ隣にいるよう…

2024年07月14日 13時21分42秒 | うつせみ「演芸の時間」

ウチら陽気なかしまし娘 誰が言ったか知らないが 女三人寄ったら 姦しいとは愉快だね。ベリーグッド ベリーグッド お笑い お喋り ミュージック 明るく歌って ナイトアンドデイ ピーチクパーチク かしましい

 

「かしまし娘」の次女 正司照枝さんが亡くなりました。向かって左側が照枝さんです。正月には長女の歌江さんが亡くなったことは、このブログでも書きましたが照枝さんも亡くなってしまいました。享年91歳でした。歌江さんと同じ記事になってしまいますので割愛しますが、子供の頃から演奏家、劇団員、漫才と芸道を歩んできた方です。三人とも長命です。
長女の歌江さん、三女の花江さんと違い声がそれほど...なので、その悪声をネタに漫才をしていました。夢路いとし喜味こいしさんを「兄ちゃん、兄ちゃん」と慕っていました。未熟な漫才の稽古を付けてもらっていたからです。

しかし、関西のお笑いは去年あたりから亡くなる方が多く、残念でなりません。現役を引退されてTVや寄席に出ていなくても訃報を聞くと悲しいです。

芸達者な昔ながらの芸人さん、貴重な音曲姉妹トリオ漫才師が亡くなってしまいました。


これでお仕舞いかしまし娘、それではみなさんご機嫌よぉ~



南無三