なかなかショッキングな題名ですね。
まっ、この表題ひとつのセクションの名前で...
1.天皇
2.東條英機
3.官僚とその周辺
4.映画俳優
5.普通の人々
6.補章
となっていて、「1.天皇」の中の一つが「天皇が十九人いた」なんです。天皇のもう一つは終戦後間もない日本を慰安した天皇巡幸のテストケースであった神奈川を視察したときの様子を書いたものです。
今回は全部の感想を書くのは大変なので表題の「天皇が十九人いた」のところについて書こうと思います。
<(`^´)>エッヘン。
この本自体、太平洋戦争後の様子を書いたものですが、この「天皇が~」も戦後の混乱期の様子を書いたものです。
この本に出てくる代表的な「自称 天皇」は熊沢天皇というお方。数名いて有名なのは「熊沢寬道」で、当時ずいぶんマスコミにも出ていて時の人だったそうです。この「自称 天皇」は、南朝の後醍醐天皇の末裔で南朝百十七代天皇とのこと。他の「自称 天皇」の中にも南朝の末裔を語る人は多く、酒本天皇(後亀山天皇)、竹山天皇(大覚寺統天皇家※特定の天皇を特定していない)、田宮天皇(後醍醐天皇)、長田天皇(長慶天皇)、上村天皇(後村上天皇)、外村天皇(後醍醐天皇)、伊藤天皇(南朝、尚尊王)です。なぜ、南朝の末裔を名乗る者が多いのか?これは明治時代に入って、様々な事情から南朝正閏論→国会から天皇へ上奏→明治天皇の勅裁。自身が北朝の末裔であった明治天皇であるのに、南朝の正当性を認め南朝の天皇も天皇の代数に入れたことが事の発端らしい。
「自称 南朝末裔天皇」以外は源平時代で海に没したと言われる「安徳天皇の末裔」✕2名などがいる。読んでいて大方の「自称天皇」の先祖と言われる方の時代は源平合戦時、南北朝、承久の乱といった混乱期の天皇であることが言えると思う。避難先、流刑先での落とし胤、生存説(安徳天皇)で、よくある話しなのかな?と思う。明治天皇の南朝正閏の勅裁前から地方には「自称 天皇」はいたのかも知れないが、勅裁後からマスコミに取り上げられたり、熊沢(寬道)天皇のように昭和天皇の全国巡幸について歩いた人、宮内庁に自分の正当性を訴える書簡を送った人、自分の結婚式の招待状を官僚や時の大臣に送ったという積極派もいる。また、これらを担いだ人もいた。またまた、よくある話しですが「自称 天皇家正当論争」。これは熊沢天皇家で起きていて、熊沢天皇だけでも5名いる。もう、混乱の上の混乱ですね。
この章の最期に保阪さんが小島廣次(※当時 名古屋市立女子短期大学教授)にインタビューしている。(要約)「自分の生活が良くなるわけでも無いのに、なぜ南朝の天皇にすがるのか、その心理やエネルギーそれがわからない」。殊に熊沢天皇宗家争いを見ても「なぜ?なぜ?」と思う。
十九人の他にも「実は〇〇天皇は暗殺されていて、替え玉が据えられた。」という手合いの話もあるそうです。根拠は無いようですが。
京都銘菓「八つ橋」でも以前に裁判があったなぁ。これは正当性を世間に知らしめることによって販売量が変わるからですが。
これまた余談ですが、「自称 天皇」までとは言わなくても「自称 有栖川家の後継」として結婚式を挙げるに当たって、芸能人や右翼、暴力団関係者を呼んで祝儀を巻き上げる詐欺がありましたね。(有栖川家はすでに断絶しています)
この熊沢天皇騒ぎは途中まで当時の占領軍であるGHQやアメリカのメジャーなマスコミも興味を示していて、特にGHQはある程度の配慮もしていたそうです。その事もまた「自称天皇」が勢いを増す一つの『燃料』みたいなものになったんだろうと思います。
調べてみると保阪さんだけでなくいろいろ資料があるようなので、機会を見つけて読んでみたいと思います。
ん~、この本読まずに死ねるか!