言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

懐かしく

2023年08月14日 | 日記

 昨夜、昭和51年、52年度に担任した子どもたち(58才になって、おじさんおばさんになっていました)が同級会する!というので出かけてきました。お盆と言うこともあって8名でしたが懐かしく昔を語ることができました。五木東小学校の旧校舎が取り壊されるときに集まって以来で20年近くぶりのことでした。

 22名の学級でした。5年6年と持ち上がって担任しました。女の子が7名とちょっと少ないクラスでした。 

                                   

 私もその当時の写真を見つけたのですが見つけきれずに参加、この写真は子どもたちが持参してくれました。2人だけ名前を思い出せませんでしたが、あとはほぼフルネームで言えたら(よう覚えてますね)と感心されました。

 話の中で私の記憶からなくなっていることを聞いて・・そんなことが、と驚かされました。いい印象をもってくれていたので何だかホッとしました。(悪い印象を持っている人は参加しないのでしょうが)教師冥利とはこんなことなのでしょう。

 久しぶりに2次会まで行って、人吉の夜の街がちょっとは賑やかさを取り戻しているのを感じました。2年後は彼らが還暦なので再開の約束をして早めに帰ってきました。


新町地蔵のこと

2023年08月12日 | 歴史探偵

 令和2年豪雨で被害にあって資料館で2年半ほど預かっていた(新町地蔵さん)の“開眼供養”が行われました。8月10日の5時からでした。資料館に預かっていた縁があって呼ばれて出かけてきました。

 被災して台座と光背部分が外れてバラバラになっていました。福岡の仏師さんにきちんと組み立ててもらって欠損していた部材も補填してもらって、ずいぶんと立派に修復されました。

  

 

            

 新町界隈の方10名ほどの方が集まっておられました。むかしはこの界隈は商店街通りで賑わっていましたが、いまは繊月酒造さんと2,3のお店があるだけの、ちょっと寂しい通りになっています。永国寺の住職の読経で供養が行われました、久しぶりに聞いた(喝!)に驚きましたが無事に供養が行われてよかったです。直会も行われて昭和30~40年代の新町むかし話を聞くことができました。

 この地蔵さまは人吉では珍しく(たぶん)京都辺りで造られたのでは、と思っています。たぶん、室町作・・端正な顔立ちの仏さまです。3年ぶりに我が家に還られてホッとしたお顔にも見えました。また、ひとつ復興の姿が見れました。ひとつひとつ、です。


山田城に

2023年08月05日 | 歴史探偵

 昨日 久しぶりに山田城に上ってきました。先生たちの社会科研究会があってのお願いごとでした。私に与えられたテーマは“山田城から人吉球磨地方の歴史を学ぶ”でした、たいへんなテーマでした。

 約1時間ほど“山田城とは”の話をして、資料館内の山田城遺物を見てもらったりして、いざ、山田城フィールドへ。今回もNakayamaさんにお願いしました。11時前に資料館から歩きました。ちょっとは風が吹いてはいましたが登り口まで行くのにフーフーでした。総勢25名。上がるのは15分ほどでOKですが、標高差100mほどあるので、ちょっとたいへんです。

     

 昇りつめて、展望所、3つの堀切を通って“Ⅲ郭”と呼ばれるところまで行って、同じルートで帰ってきました。約1時間 ‥ 暑い中だったので、ちょっと大変でした。やはり山登りは夏は遠慮したほうがよさそうです。しかし、先生たちは夏しか研修機会は取れないので致し方ないのでしょうか。

 

 台風が九州へ向かっています。沖縄の南を通って、そのまま中国大陸か、と思いきや、いきなりUターン・・・そして再び沖縄へ、そのあと北に向かって九州へ、6号はいやな針路をとりそうです。まさか、中国は台風の向きを変えるワザを身につけたのでは、と疑いたくなります。大きな被害が出ないことだけ願っています。


ヘンなこと 2

2023年07月29日 | 日記

 昨日 ブログ投稿しました。投稿して気づいたこと・・久しぶりだった・・びっくりしました。

 夏の暑さに負けずに・・珍しく・・2日連続の投稿です。

 今日のヘンなことは。“茶髪”のことです。もう、20年以上前のことでしょうが、日本人の“茶髪人間”を初めてみました。まったく異様な光景だったことを思い出します、それから徐々に“日本人茶髪”を見るようになりました。普通になってしまっています。スポーツ選手に多く見られるような気もします。

 私の個人的な感じです。日本人には茶髪(金髪)は似合わない。日本人(東洋人)の顔立ちには合わないのではと思うのです。

 神さまが肌の色とか髪の毛色とか目の色とか顔立ちとかを決めたのではないかと思うのです。黄色い肌には黒髪で鼻は低めに・・とかにです。差別するためではなく個性を出そうと思われて決まられたのではないでしょうか。

 したがって日本人は髪も目も黒色、肌の色は黄色、そして足を短くずんぐりむっくりに仕立てられたのです。髪の毛が“亜麻色の長い髪の少女”さんがいますが、そこまでは神さまが許された許容範囲だったのでしょう。

 神さまが仕立てたことに逆らうことは(変だ)と思うのです。私の髪は黒色から白色に変化しています。染めなさい!と言われたこともありましたが、神さまが決めたことに逆らわずにそのまま、既に9割がた白色に変化してしまいました。

 ヘンなこと、似合わないことの話題でした。2日連続のブログ投稿・・これもヘンなことです。

    

 


ヘンなこと 1

2023年07月28日 | 日記

 何かが狂っていて➡どうもヘンなことが起きすぎているような気がしています。

 地球の公転が自転が狂っているのかもしれません、とにかく何かがヘンなのです。とくに(気象)です。「前線」というのがあります。“サクラ前線”とか“梅雨前線”とかのことです。

 この2つの前線は、決まりきったように南から北の順(方向)でした。沖縄から九州⇒本州へと移っていくのが普通です。桜前線・・今年は(も)沖縄は別として、その次は九州ではありませんでした、東京でした。そしてアチコチという順でサクラ開花が発表されました。彼方此方バラバラでした。

 梅雨前線のことです、梅雨入りはほぼ南からだったようですが、梅雨明けはバラバラ・・最後の方で北部九州、その前が南部九州でした。雨のことでは、“線状降水帯”はあちこちで発生しました。

 台風シーズンになりました、まだ台風だけは南からやってくるようです。しかし、そのうちに北海道からやってくるようになってくるかもしれません。寒さ(雪)も北からの順にですが、九州が初雪というニュースが聞かれるのやもしれません。

 何かがおかしくなっているのです。今日も暑くなりそうです。40℃近くなるところもあるようです。この夏は猛暑にご用心です。

      

 資料館では「知られざる隠れ念仏展」を開催しています。お出かけください。


新町地蔵

2023年07月08日 | 歴史探偵

     

 令和2年水害で被災して資料館で預かって、福岡仏師さんに修理依頼していた新町もお地蔵さんが還ってこられました。とくに台座の部分がバラバラになっていたのですが、きちんとなってきました。忙しい仏師さんなので大変だったようですがよかったです。

 還ってきたお地蔵さんを見て、100年に一度くらいは補修修復する必要を感じました。とくにこれからは維持管理が地元だけでは難しい時代になってきます、そこを何とかシステムを作っていく必要を感じさせられました。

あとは、今村堂、八ツ田と深水の仏さんになりました、1体ずつ還っておられるのでなんとはなく寂しそうにしておられます。

 今年の梅雨は熊本県も北部の方が大雨で被害も出たようです、人吉盆地も降りましたが被害等の話は聞いていません、今日の予報も雨だったのですが(曇り一時晴れ)でした。来週は開けそうなのでこのままで今年の梅雨は終わるのかもしれません。


うーむ!

2023年06月21日 | 教育

 16日に人吉市内小学5年生の水生生物調査が終わりました、今年は雨で2校ほど延期にはなりましたが順調に無事に6校とも終えることができました、子どもたちも楽しく学習できてよかったです。

 そんな学校の話題です、熊本ではなく別の県でのことですが  (ウーム!) です。

 「ラーケーション」とかいうのだそうです。(ラーニング)と(バーケーション)の合語 ・・・ 学習と休養 ・・・校外学習活動の日と称して1年に3日間 子どもに休みを与えるのだそうです。“学校より家族との思い出の方が大事” なのだそうです。  (ウーム!) です。 こんなふうに世の中変わっていいのか!という疑問です。 子どもを親を甘やかしているのでは?

 (水生生物調査 このことの方がよほど校外学習活動なのですが。)

 親さんの働き方が変わってきて子どもと休日が合わないということはわかります、それを学校が、子どもが合わせるのではなく、親が or 親の働き元(企業)が考えるべきでは、ないでしょうか。

 世の中が変わりすぎてしまって、子どもたちが(我慢すること)ができなくなっています。(我慢)できなくなっているのは世の中が前述のように(甘やかし)をしているからではと思うのです。子どもだけではなく大人も我慢できなくなっているように思えます。したがって犯罪の多くの原因は(我慢不足)です、だから犯罪が多発しているのでは、と思うのです。

 昨今は(甘やかし?)的な政策がよく見らます、子育て支援とかいう名目で。そんな傾向を危惧しているのですが如何でしょうか。何かが変わってしまっています。この国はもうちょっとマシな国であったはずです。   ウーム!


うんぶくれる

2023年06月13日 | 球磨弁

 久しぶりに(球磨弁)の話題です。

 今朝の孫ムスメとの会話です、今日は(プール開き)で水泳授業の授業はじまりのことを聞きました。5年生なのですが、まだ泳ぎは得意なほうではないはずです。スポーツ全般に苦手なようです。そこで朝の出がけの私の一声(うんぶくるんなよ)でした。孫ムスメも、その母親もポカン!でした。

 うんぶくれる=おぼれる  ということなのです。その語源はわかりませんが調べる必要はありそうです。今のところあしからず。

         

 今日は午前中に西瀬小5年生の(水生生物調査)でした。天候が心配されましたが実施できてよかったです。学校すぐ下の永野川(球磨川支流)です、運動場の下にあるのでいちばん近い調査場所です。ヤゴ(トンボの幼虫)が多かったことには他の地区とは違った傾向のように感じました。

 天気予報とは違った一日になりました。梅雨空ではあるのですが雨が降らずにいろんな行事ができた一日になりました。

 


五木 九折瀬に

2023年06月07日 | 日記

 4日に久しぶりに五木まで行ってきました。ヒストリアテラスで行われていた企画展を見に行ったのです。5日が最終日だったので慌てて行ったのです。「球磨の民話・方言・民俗に親しむ春」という企画展です。五木には(びゃあどん)の話が残っています。そんな話を方言交えて紹介してありました。山江の「横手の五郎」の話も紹介されていました。人吉球磨のことを視点を変えて見れてよかったです。

 「九折瀬」の観音堂に行こうと思って久しぶりに行きました。久しぶりといっても50年近く前なので“はじめて”と同じことかもしれません。目当ての観音堂は全く初めてでした。50年ほど前に行ったのは家庭訪問です。そのころ五木東小学校に勤めていて3年くらいは家庭訪問に行った覚えがあります。「九折瀬」は「つづらせ」と読みます。頭地から川辺川をのぼって途中から登り坂、くねくねと登っていく集落です。「九折」ほど曲がりくねっているからこの地名が付いたのかもしれません。

  

    

 立派な観音様でした。お参りして畑作業をしておられたオバさんに話を聞きました。するとヒョイと50年ほど前に担任した子どもの名前を思い出したのです。「Yoshida」くんでした。名も覚えていました。その名をオバさんに尋ねたら元気にしているとのことでした。他の2人の名前も言われたので記憶がよみがえって懐かしく思いました。

 さいきん、物忘れが激しくなって脳みその低下を嘆いていました、昔のことは違う脳みそが支配しているのだと思わされる出来事でした。

 

 


6月になって

2023年06月04日 | 日記

 早いです、今年も今月で1年の半分が終わるという時期になりました、梅雨入りまでして何かとあわただしくなってきています。資料館前の田んぼでは田植えも終わってしまいました。

 人吉にNagaoさんという漬物屋さんがおられます、3年前の豪雨被害にあわれました、そのときの水害にあった木製樽がそのまま放置してありました、あちこちにその処遇を相談されたのですが、宙ぶらりんになって私にも相談がありました。私もいろんな人に語りましたが???でした。写真のように何せ大きな木樽なのです。吊り上げるとしたらバラバラになりそうでした。

    

 工場を建てられるので邪魔になるタイムリミットが6月3日か4日のことでした。数名の仲間に相談して(そのまま保存)から(致し方ないバラす)ことにしました。1枚1枚に番号を振って4人でバラしました。直径、高さともに2mほどの大樽でした。竹製のタガは1輪を残して残りは腐れていました。

 さしおり、3日にバラして山江資料館に持っていきました。もう、組み立てることは(私には)不可能に近いです。職人さんもこの近くにはおられないと思います。でも、写真等を撮って番号を振って保管しました。ひょっとすると将来に組み立てることがあるかもしれません。数日後には灰になるはずのものをさしおり保存しておきました。あとは未来に託します。