言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

庚申塔のこと

2020年12月22日 | 人吉球磨の文化財)

 
   

 岩ヶ野公民館横にある「庚申塔」です。「庚申供養塔 万治四季辛丑 三月十日」と刻まれています。いつの日か3つに折れていたらしいのですが、いまはきちんとくっ付けてあります。万治4年は1661年です。上の方に地蔵菩薩像が陽刻されています。下の方には十数名の名が刻まれています。「与右衛門」などは読めるのですがすべては無理でした。どうにか読めないものかとここ数回訪れて読もうと?努力しています。陽の当たり具合で見えやすくもなるのです。したがって午前中に行ったり昼間に行ったりとしています。もうしばらく挑戦してみます。この場所にはすぐ隣にもう1基「青面金剛塔」があります。こちらは正徳2年(1712年)と刻まれています。同じ場所に50年くらい経ってもう1基建てられたことになります。何も記録もないので建てられた由来も分かりません、いま、お詣りする人もいなくなって2基の庚申塔はポツンと立っているだけです。

 このように忘れ去られている文化財がアチコチに存在しています。この庚申塔にも花が絶えることはなかったと思うのですが、いまは無縁仏と一緒になっています。世の中が急激に変わりすぎたことに大きな原因があると思っています。このように人が作ったものがそのまま放置されていることに寂しさを覚えます。360年前にこの塔を建てられた「与右衛門」さんも嘆いておられるのではないでしょうか。最近、この庚申塔を見に行くたびに思うことでした。

 今日の天気( 今朝もうんと冷えました)


猫寺 白澤

2020年12月04日 | 人吉球磨の文化財)

 先日、水上岩野の生善院(猫寺)に行ったときのことです。本堂の玄関上に変わった彫刻物がありました。はじめて見るものでした。玄関のところに説明があって「白澤」(はくたく)とありました。また、「神獣で、9つの目と6つの角があって、人間の言葉を理解し、あらゆる知識を持ち合わせていて、世の中が平和になり優れた為政者がでると出現する」と書かれてありました。

   

     白澤(表)

            

                裏からみた白澤

 「麒麟」や「鳳凰」と同じような中国に伝わる空想上の動物?なようです、その姿を描いた図画は魔除け(厄除け)として用いられているようです。ネットで引いたら「絵」がダウンロードできました。

 この「白澤」が、なぜ生善院の玄関に彫刻されているのかはわかりませんが、玄関(入口)であり、悪魔が入り込まないようにと為されているように思えました。はじめて見た神獣でした、見上げての写真撮影だったので次回は脚立使用して撮ってみたいものです。

 

 7月豪雨から5か月が経ちました。早いものですが復旧復興はまだまだです、今日は東西コミセン運営委員会が行われました。コミセンも1階部分と体育館が被災して使えない状態です。令和4年度に使えるようになればいい方だそうです。行政手続き上の遅滞です、緊急事態です、もう少しパパっとできないものかと思いました。

 今日の天気(


山口釈迦堂

2020年12月01日 | 人吉球磨の文化財)

 被災して仏像3体が行方不明の文化財のことです、球磨村渡の山口釈迦堂のことです。7月の豪雨でお堂が流されて仏像も流失してしまいました。前にも述べたように7月豪雨の1週間前6月28日にこのお堂に行ったのです。はじめて行ったのですが戸は施錠してあったので外から写真を撮ってきました。

  

 3体の仏像が祀られていました、左は石造地蔵坐像、中央 木造釈迦如来立像、右 木造不動明王坐像

  真ん中の釈迦如来立像のことです。

 高さ43㎝、円形光背、台座に「大円自作敬白」台座心棒に「二千仏法界大円菩薩文政五年十二月▢」と朱書きしてある、と平成26年の郷土研究会の例会記録にあります。外からの写真しか撮れませんでした、朱の墨書も見たかったものです。残念なことに今はそれも叶わなくなりました。

      

 不動明王坐像のことです。高さ15.5㎝、「文政五年午十月仏生日大円自作」と墨書があったそうです。

 2体とも大円さんの作、大円さん作の仏像の最西にあたる場所にあるお堂でした。この貴重なる仏像が流されたことを大変残念に思っています。このお堂を守っておられた近くにYamaguchiさんと先週話してきました。何もなくなったお堂の跡をどうしようかという相談でした。(まだ、どこかで見つかるかもしれない、もう少し、そのままにしておいた方がいいのでは)と話してきました。希望的観測な思いです。どこかで見つかってくれたらいいなと思っています。

 これまで自然災害や火事などの災難によって多くの文化財は姿を消してきました。今回の水害でも幾つかの文化財が行方不明です。5か月が経とうとしていますが(どうにか)という気持ちは持ち続けたいと思っています。少なくとも記録には、です。

 今日の天気(  今朝は氷点下近くまで冷え込みました。わが家周辺でも初霜でした、昼間はポカポカ陽気になりました)


久しぶりに鰐口のこと

2020年11月30日 | 人吉球磨の文化財)

 先日、岩野小に行ったとき、生善院に立ち寄りました。“猫寺”の別名の方が有名かもしれません。天正10年(1582年)無実の罪で殺された盛誉(お坊さん)とその母親:玖月善女とその愛猫玉垂の霊を鎮めるために、寛永2年(1625年)に建てられた寺院です。観音堂は、国指定の文化財です。

 写真を撮っていたら、住職のお母さんヵから上がって見てくださいと(猫を描いたふすま絵)を見せてもらいました。ウロウロとしていて(不審者と間違われたのか)本堂に上げてもらってよかったです。

  

               

 今日は久しぶりに(鰐口)のことです。気になっていた鰐口だったので見てきました。観音堂の入り口に掛けられています。高いところにあるので下から見上げるようにしか写真撮れませんでした。刻銘もすべては読めませんでしたが「藤原頼尚」は読めました。頼尚とは、(21代藩主相良頼寛)のことです。

 「洛陽三条釜座藤原対馬守国久作」「奉寄進/藤原頼尚/寛永二年卯月吉日」と刻銘があるそうです。脚立を持って行って全文わかるように写真におさめたいものです。寛永2年作で、生善院建立と同時に掛けられたもののようです。藩主自らの名がみられるのはこの鰐口だけと思われます。

 本堂にも鰐口が掛けられていて、こちらは刻銘を見つけることはできませんでした。こちらも高く掛けてあって、しっかりと見てみたいものです。

 今日の天気( 寒い一日になりました)


下里大師堂に

2020年11月28日 | 人吉球磨の文化財)

        

 昨日、岩野小学校に行く前に、岩野霧島神社、猫寺、下里大師堂に立ち寄りました。

 写真の下里大師堂は、かなり傷んでいるため、近々、解体修理されるそうです。お堂はロープでくくられていました。修理前の姿をと思って写真におさめてきました。何時から工事にかかられるか分かりませんが、中の仏像はすでに運び出されていました。文化財案内看板によると、県指定の(弘法大師坐像)、毘沙門天立像とあと1体が安置してあったようです。

 最近知った「九州の中世美術」という報告書には、県指定弘法大師坐像のことは書かれていません。

 ~「九州の中世美術」は水曜日と今日、人吉市図書館に行ってコピーしてきました。昭和56~58年に九州大学の調査が為されてその報告書です。人吉球磨の287の仏神像が調査されています。写真は数点しかないのが残念ですが、きちんとした資料です、今まで知らなかったことを後悔しています、102ページの報告書ですが著作権法上のことで一度に全部はコピーできないのだそうです。2日に分けてできました、何かおかしな話です、法改正の必要あり、です。~

 この報告書には、弘法大師坐像のことが記されていないのは何故?という疑問、昭和58年以降にこのお堂に持ち込まれたはずはないので全く不思議です。調べてみます。まあ、このお堂が造り替えられるのを楽しみにしています。

 今夜はこれから飲み会です、久しぶりです。

 今日の天気(一時 ちょっと寒くなりそうです)


1/33観音巡り

2020年09月23日 | 人吉球磨の文化財)

 三十三観音巡りも。今年は被災している観音堂もあって(一斉開帳)とはなっていないようです。湯の元観音のように本尊さんが山江に避難されていて観音さん不在のお堂すらあります。この秋は春もでしたが、コロナのこともあって‘接待’もしないということで話し合いもなされたようです。

  

 私もこの秋は気になる観音堂を廻ろうと思っていたのですが、1/33だけにして‘合戦峰観音堂’にお詣りに行ってきました。200mほど先にあるので歩いてちょっと、です。

 開帳はしてありますがお詣りの人は少なかったです。私が行った2時過ぎは私も含めて5名でした。接待は無しでしたが物品販売所ではクリなどが販売してありました。

             

 この合戦峰観音堂のご本尊は(聖観音)です。室町(南北朝か)といわれていた仏像が、5年ほど前の調査で平安末期の作と確認されたものです。少し傷んできてはいますが一見の価値がある仏さまです。村指定文化財ですが、県指定にされてもよいような仏さまです。

 

           

 この隣に(毘沙門像)があったのですが20数年前に盗難にあいました。いまは写真でしか見れない仏さまです。

このお堂は春と秋の一斉開帳のほかは毎月1日と15日は開帳されています。一斉開帳のときは(鰐口)も出ておられます。秋は金曜日までです。時間があられたらぜひに!

 今日の天気(


彼岸に

2020年09月22日 | 人吉球磨の文化財)

 今日は彼岸で祝日でした。昨日が敬老の日(むかしは9月15日、いまは、ここいら辺の期日、今年は4連休にするために21日ヵ)・・土日をあわせて4連休になりました。ニュースを見ていたら、都会では‘高速渋滞’・・もう、コロナは忘れ去って?バカンス放題なようです。少しは落ち着いたとはいえ、まだまだ猛威中だと思われます。東京では200人を超えたとか、100人を下回ったと、一喜一憂しすぎな感じがします。まだまだご用心注意報発令中です。

 私は彼岸の三十三観音巡りは、今年は止しておこうと思っています。合戦峰だけはお参りはと思っていますが今日までは止めておきました。明日にはお詣りしてこようと思っています。

 人吉球磨の文化財を紹介しようと思って、新しいカテゴリー(人吉球磨の文化財)を作りました。これまで紹介したことがあって重なりもあるかとは思いますが、人吉球磨の歴史的魅力を紹介していきます。

 今日は(庚申塔)のことを。なぜかしら、人吉球磨には‘庚申塔’がアチコチに建っています。人吉市内だけで120基ほど、人吉盆地内だといくつほど建っているのでしょうか。

 多くは江戸時代に立てられたものです。江戸時代にはかなり庚申信仰が盛んにおこなわれていたのだろうと思われます。仏堂も多いので人吉球磨の人たちは信仰深かったともいえます。(庚 かのえ)(申 さる)は日の場合は60日で一回り、年の場合は60年に一回りします。庚申(かのえさる)の日が‘庚申信仰の日’です。この日の夜は村で集まって一晩中寝ずに過ごすのだそうです。1年に6回廻って来る庚申の日に寝ないで過ごし、記念碑みたいに建てられたのが‘庚申塔’です。庚申塔にもいろいろと種類があって面白いです、この(人吉球磨の文化財)でも紹介していきます。

      

 今日はわが家にすぐ近くにある庚申塔を。普通のノーマルな庚申塔です。「庚申塔 宝永六己丑年 三月吉祥日 當村中」と刻まれています。1709年です。今から300年ほど前に建てられたことになります。庚申信仰も、もう廃れてしまって塔だけが地区の片隅でポツンと立っているだけになっています。わが家の近くの庚申塔も誰が参るでもなく静かに建っています。

 今日の天気(