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 言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

うんぶくれる

2023年06月13日 | 球磨弁

 久しぶりに(球磨弁)の話題です。

 今朝の孫ムスメとの会話です、今日は(プール開き)で水泳授業の授業はじまりのことを聞きました。5年生なのですが、まだ泳ぎは得意なほうではないはずです。スポーツ全般に苦手なようです。そこで朝の出がけの私の一声(うんぶくるんなよ)でした。孫ムスメも、その母親もポカン!でした。

 うんぶくれる=おぼれる  ということなのです。その語源はわかりませんが調べる必要はありそうです。今のところあしからず。

         

 今日は午前中に西瀬小5年生の(水生生物調査)でした。天候が心配されましたが実施できてよかったです。学校すぐ下の永野川(球磨川支流)です、運動場の下にあるのでいちばん近い調査場所です。ヤゴ(トンボの幼虫)が多かったことには他の地区とは違った傾向のように感じました。

 天気予報とは違った一日になりました。梅雨空ではあるのですが雨が降らずにいろんな行事ができた一日になりました。

 


カシどん4

2021年09月11日 | 球磨弁

         

 今日もカシどんの話を。

  ある時、カシどんよば、村ン子供どもが、えろうで、といかくうで、わいわい言いをるげなもんじゃッでなんじゃろかともうて、だいかがそろッと、のぞいて見たげなたい。そしたげないば、「ほうらほうら、蛇よば出すぞ出すぞ」ちいさみやあに、カシどんの、左のそで口から、よごれェたてんげよば、入れてやいながら、右のそで口よば前へ出ァて、「ほらほら、よかやよかや」ちいをらるとこいじやッたげな、とこいが本当にふとうかヤクグイのにょろにょろして右のそで口から、つら出ァたげなもん、子供どもが恐ろししゃァ、わいわい言い出すと、カシどんな、「よかよか、そいじゃまた、おとなしう中ァ入っとれ」ちいさみやあに、蛇の頭よばなでてやらいたげな。そすッと、蛇ァすうッと中ァひやッていったげなが、あとで、本当はこいじやッつたとぞ、て、出ァて見せらいたとは、さっきのよごれェたてんげやッたげな、カシどんな、いさぎい子供好きじやッたげなもんじやッで・・・。

 (また私訳をしてみます、相変わらず難しいことです)

 ある時、カシどんに 村の子どもたちが大勢で取り囲んでわいわい喋っていたので、何だろうかと思って誰かが、そーっと覗いてみました。そうしたら、「ほぅらほぅら、蛇を出すぞ、出すぞ!」と言いながら、カシどんが左のそで口から汚れた手拭いを入れながら右のそで口を前へ出して、「ほぅら、ほぅら、よいかよいか」と言っているときでした、本当に大きなヤクグイ(青大将のこと)がにょろにょろしながら右のそで口から顔をのぞかしました。子どもたちは怖がって驚き声を出すと、カシどんは「よいよい、それではまた、おとなしく中に入っておけ」と言いながら蛇の頭をなでました、すると蛇はスーっと中へ入っていきました、あとから、本当はこれだったんだ、と出して見せたものは先ほどの汚れた手拭いでした。カシどんはたいへんな子ども好きだったので・・・。

 カシどんは本当にマジックをつかって子どもたちをビックリさせたり喜ばせる術を知っていたようです。‘幻術’といえばそうだったのかもしれません。それにしても面白い話です。もっとあるので、少しずつ紹介していきます。

 台風14号が九州を向いています。今後の針路が心配です。実りの季節に困ったことです。

 今日の天気( 一時 

 


カシどん3

2021年09月09日 | 球磨弁

           

 先日のカシどんの話しの続きです。また、昭和39年5月16日付人吉新聞に掲載されたそのままで。

 

 ある時、藤倉さんかたン、カシどんの銭借りいいかいたげなたい。そして「貞六さん、貞六さん、いさぎい、さしつけでぐざんすいども、銭よばちッとばかい貸ァてくだいさんか」て、座りこまいたげなたい。藤倉さんの、カシどんに銭貸ァても、決して戻しゃせんでともうて「おいぎゃあにゃ、銭ァなかがない」て、いいはると、カシどんな、藤倉さんの座っとんなはるすぐうしろのタンスよば指しゃァて、「はら、あの、上から三段目の左のこまかひき出しン中ァ、千三百六十五円八十せんはいッとんもすどうが、あん中から、十円札よば二枚でゆがんすで、どうぞ貸ァてくだんしな」て、拍手ばたたかいたげなたい、そしたげないばひき出しのカギやつが、自分で、パチンちうてはずれさみゃあに、ひといですうッとあかって、中から十円札の二枚、ひらひら、ひらひらして飛うで出て来たげなもん、そして、カシどんが右手ばあげて手まねきさると、カシどんのひざの上ェ飛うて来てとまったげなたい。これェにや、いかな藤倉さんもたまがんなはいつろうが、そん話よば聞いた村のへんしもびつくいしたげなちう話たい。

 

 この話が『日本の民話22 肥後編』になると、日本中で読まれるためか、次のように標準弁に変えられて紹介されています。こうなると分かりやすく通じる言葉使いになっています。

 平良のカシどんとうのが、ある日、貞六さんところにきて、「貞六さん、銭よば少しばかい貸して下はんもさんか」と相談をもちかけました。貞六さんはこまった顔つきで、「実ぁ銭ぁ無かがない」というと、カシどんは向こうのタンスを指さして、「ほら、あの、上から三段目の左のこまんかひきだしの中ン、千三百六十五円八十五銭はいっとんもすどうが、あのなかから十円札よば二枚でゆうぐざんもすで(よろしいですよ)」といいながら、パチパチと拍手を打ちました。すると、ひきだしのカギがパチンとはずれて、ひとりでにすーとあいて、中から十円札が二枚、ひらひら飛んできたということです。これには貞六さんもびっくりしましたが、このかしドンは信州戸隠山の飯綱大権現からでている幻術を、日向でおぼえてきたといっていたそうです。

 

 とあります。違っているのは80銭が85銭になってはいます。藤倉さんと云う固有名詞がありますが、どうも実名なようですが「日本の民話」でははぐらされています。本当のはなしだと高田さんは書いていますが、本当にカシどんは幻術使いだったのでしょうか。あるいは高田さんの創作民話だったのでしょうか。木上の平良の人に聞いてみたいものです。

 今日も昼間は暑くなりました。朝夕は秋らしくなっています。

 今日の天気(

 


カシどん2

2021年09月07日 | 球磨弁

     

        牛塚観音堂

 昨日のカシどんの話を私訳してみます。ところどころ高田さんも訳しておられたので大いに参考にしながらです。

 『きのいの ちゃあら ちうとこれえな、カシどんちうて、てずまの名人のおらいたげなもん。

  木上の平良というところにナ、カシどんという手品の名人がいました。  

本当の名前は、蓑田嘉治ちうとじゃッたとないどん、みんなカシどんちうて呼うどッたげなたい。

  本当の名前は、蓑田嘉治という人でしたが、みんなは「カシどん」と呼んでいました。

昭和30年の6月9日に44で死んだちうて、戸籍にもちゃんッのとッとじやッで、仮空の人間じゃなかとないどん、 昭和30年6月9日に44歳で亡くなったと、戸籍にもちゃんとあるので、架空の人ではないのです。

そのさいたことがあんまい不思議なことばかいじゃるもんじゃッで、知らんもんなウソじゃなかろうか、

 ところが、その為されたことがとても不思議なことばっかりだったので、知らない人は嘘ではなかろうか、

ていういども、きのいのもんな だいでん いんにゃウソじゃなか、ほんとんことちうて信じきッとるとじゃッで、おもしろかたい。

 というのですが、木上の人たちは、だれでもが、いやいや嘘ではない、本当のことだと信じていたから、面白いことなのです。

実をいえば、そのてずまちうた、天道兵法鞭之法摩利支天飯綱之法ちうてな、信州の戸隠山の飯綱大権現から出た幻術で、

 実を言えば、その手品というのは、「天道兵法鞭之法摩利支天飯綱之法」と云って、信州の戸隠山の飯綱大権現から出た幻術で、

カシどんな、日向のどこてろで、そいよば習うて来たとちうて、言いおらいたげないどん、

 カシどんは日向の(宮崎の)どこかで、それを習ってきたと言っていました。

どこからじやらじやッつろうもねえろ、はっきり聞きとめとったもんなおらんげなで分からんたい。

 どこからであったのでしょうが、はっきり聞きとめる人がいなかったのでわからないのです。

幾らか銭よばやれば、教えとくぞ、ちうて言わいたこともあったげないどん、だいも習うとかじやッたた惜しかったない、

  いくらかお金をやれば、教えるぞ、とも言われたこともあったそうですが、誰も習う人がいなかったのはおしことでした。

です。

 今になると実話か逸話か分からない‘民話’になっているようなのです。昨日も述べたように‘民話’‘むかし話’はこんなふうにスタートしてたのではないでしょうか。このあとに、カシどんの幻術話が続くのです。そのことは、また、後日にでも紹介します。

 今日は資料館勤務でした。10月15日から「やまえのほとけ展2021」をする予定です。その準備を進めています。今年は予算をつけて貰ったのでポスター等は印刷屋さんです。一歩前進です。コロナが収まって多くの人が来館できるようになることを願っています。

 今日の天気(


カシどん

2021年09月06日 | 球磨弁

   

 今日は「びゃァどん」の続きで、高田素次さんの‘球磨民話集’に掲載されていた「平良のカシどん」の話を紹介します。「カシどん」の話は(日本の民話 肥後・薩摩・大隅編)にも紹介されています。ところが人吉新聞昭和39年には「カシどん」自身のことをも紹介されているのです。それも球磨弁丸出しで。

 『きのいの ちゃあら ちうとこれえな、カシどんちうて、てずまの名人のおらいたげなもん。本当の名前は、蓑田嘉治ちうとじゃッたとないどん、みんなカシどんちうて呼うどッたげなたい。昭和30年の6月9日に44で死んだちうて、戸籍にもちゃんッのとッとじやッで、仮空の人間じゃなかとないどん、そのさいたことがあんまい不思議なことばかいじゃるもんじゃッで、知らんもんなウソじゃなかろうか、ていういども、きのいのもんな だいでん いんにゃウソじゃなか、ほんとんことちうて信じきッとるとじゃッで、おもしろかたい。実をいえば、そのてずまちうた、天道兵法鞭之法摩利支天飯綱之法ちうてな、信州の戸隠山の飯綱大権現から出た幻術で、カシどんな、日向のどこてろで、そいよば習うて来たとちうて、言いおらいたげないどん、どこからじやらじやッつろうもねえろ、はっきり聞きとめとったもんなおらんげなで分からんたい。幾らか銭よばやれば、教えとくぞ、ちうて言わいたこともあったげないどん、だいも習うとかじやッたた惜しかったない、』

 と前段部分が書かれてあります。‘カシどん’は戸籍にも載っておられる人なのです。架空の人ではないのです。高田さんはどこでこの話を聞いてこられたのでしょうか。このことから、民話ー昔話は、いつからか、こんな身近にいる人(近所の面白いおじさん)のことからはじまったのではないでしょうか。

 それにしても、高田さんは球磨弁喋りも上手だったですが、その表記(書き方)も絶妙です。(じやッで)の(ツ)の使い方は絶妙だと思うのですが。私にも難しい球磨弁表記です。ずるいですが明日にでも私流の訳をして見ますので、その前に試みながら一度読んで見られてください。

 今日の天気(時おり パラリと小雨)


びゃァどんの話

2021年08月27日 | 球磨弁

      

 昨日の(びゃァどん)の続きから・・・・球磨弁なので訳してみます。

 

『五木の、びゃァどんとこれェな、ぢうぜんかづらの皮ひァで持ってけェちう、ふれの来たげなもん、

(五木のびゃァどんのところへ、じゅうぜん葛の皮を剥いで持ってくるように、というお触れがきたそうな)

そしたげないば、びゃァどんなひといの、年よいよば連れさみやァに、藩庁に出かけて行かいたげなたい。

(そうしたら、びゃァどんは一人の年寄りを連れて、藩の役所に出かけて行ったのです)

そして言わいたことがわや。「十善が、つらの皮ひゃァで持ってけェ、ちうふれよば貰ァもしたいども、

(そして申したことには、「十善(という人名)の顔の皮を剥いで持ってこい、というお触れをもらったけど)

まァだわたしァ、こん年ィないもすまで、人間のつらの皮だきァ、ひやァだしたァぐざんさん、・・・・・』

(まーだ、私はこの年になるまで、人間の顔の皮だけは剝いだことがありませんでしたので)

 そして「狸の皮を剥ぐのはヒマなくできるのですが、人間の皮だけは剥ぎたくありません、ここに十善という男を連れてきましたので、どうか役人さんで直接剥いでもらえないでしょうか、私もあとあとの為もありますので、見てから帰ろうと思っています。どうかよろしくお願いします。」と言って座り込んでしまったそうです。役人は{じゅうぜん葛かずらの皮}・・びゃァどんは{十善が面の皮}と言って役人を手こずらせたという話です。なお、{じゅうぜん葛}とは{のうぜんかずら}のことのようです。山に自生している葛(つる)を縄のように利用していて五木の山の人に物納で納めさせていたのではないでしょうか。

 話は頓智話で、このびゃァどんは五木の庄屋さん(〇〇兵衛さん)ではないでしょうか。彦一頓智話にも似ている話で、おじいさんが(おばあさんが)孫に面白おかしく球磨弁丸出しで話しているのを想像させられました。

 いまは使われていない球磨弁なので訳するのもたいへんです。文化も中央集権化する中で(ことば)は部分的にも大切にしたいものです。

 今日の天気(

 


云わんばよかった

2020年09月30日 | 球磨弁

    

 このブログのタイトルは「言わなければよかったのに日記」です。深沢七郎さんの本のタイトルのパクリです。球磨弁で言うと「言わんばよかったて 日記」でしょうか。「のに」があるから、ちょっとニュアンスが違うのかもしれません。

 ふだんの生活で「云わんばよかった」という反省はあんまりありません。歳おってからは(いちおう)言葉には気を使いながら喋っているつもりなので、「云わんばよかった」ということは激減したと思っています。

 ところが若いころは、学校教員で目の前に子どもがいたときは、しょっちゅう「云わんばよかった発言」をしていたと思います。そのときの私の目の前にいた子どもたち、ごめんなさい。ただ、言い訳だけさせてもらうと、“よかれ”と思って言っていた言葉です。「なんばしょっとやー」「さっさ、せんか」「そぎゃんた、ヒマいらんどが」・・・ほとんどが否定形の言葉です。しかし、否定した言葉に励ましの意味合いが含まれていたと思っています。「なんばしょっとやー」→(一生けん命するともっとできるだろうに)というようにです。

 ところが、いまの時代は100%outです。許されない言葉遣いになると思います。ある意味、世の中が優しくなっています。少し首をかしげるところもありますが、世の流れは“人にやさしく”です。

 怖いのは、せからしかで、もう黙ってうっちょこい、なんも云わんほうがよか、と本音を抜きに人と語ったり接したりすることです。表面だけで接する人が増えることです。「云わんばよか」こともありますが、「云うた方がよか」こともあるはずです。

 これからは、けっこう気を使いながら「云わんばよかったて日記」を書き綴っていこうと思っています。(笑)やおいかん、時代の到来です。トランプさんが羨ましい!!

 今日の天気(


球磨弁 ~ひゅう

2020年09月12日 | 球磨弁

 午前中は(雨)になりました、人吉球磨の中学校では今日と明日に運動会するところが多いようです。孫ムスコの第一中学校は明日です、今日は準備で学校に出かけました。

 今日も球磨弁のことを。私の母親からすれば私の孫は「ひゅうまご」になります。(ひまご)(ひいまご)の訛形のようです。しかし、逆に「ひゅうじい」「ひゅうばば」という云い方はありません。どうも「ひゅうまご」とは、‘おしまい’、‘一番あと’という意味があって、孫の後に生まれた孫という心理が働いているのではないか(東秀吉著『球磨弁』より)ということでした。「ひゅう孫」の次は「やしゃご玄孫」なのでしょうが、ここには球磨弁はないようです。

 「ひゅう」は、(お尻)のことも言います。今日はテレビで「おしりたんてい」があっていましたが、球磨弁で言うと「ひゅうたんてい」ということになります。お尻の盛り上がった肉を「ひゅうたぶら」・・ついでに「たぶら」とは筋肉、大腿筋は「ももたぶら」です。

 また「ひゅう」は‘いちばん後’という意があるので、運動会の時にビリになったら「ひゅうになった」と使います。「どべ」も同じビリのことです。孫ムスコはちょっとは走るのは速い方なので「ひゅう」にはならないはずです。(途中でつっこけなければ、です)

    

 今日の写真は(おみなえし)の花です。秋の花です。そういえば今日資料館に行ったらツバメは見かけませんでした。もう帰ったのかもしれません。秋は一日一日と迫ってきているようです。

 今日の天気(


初びんた

2020年09月11日 | 球磨弁

         

    この郵便配達バイクのナンバープレートは(玉名市)とあります、人吉郵便局も被災したのでアチコチからバイクも借りだされたようです。1ヶ月近く集配はストップしていました。

 昨日、孫ムスコが床屋さんで髪を切ってきました。むろん今の時代なので“長髪”です。サッカーをしているし中学生なので短い髪形ではあります。

 私たちの頃は高校まで(坊主頭)でした。私の息子たちも中学校までは(坊主)でした。

 月1回くらいバリカンで刈ってもらって学校にいくと‘洗礼’があったのです。ほとんど後ろから(はつ び ん た!)と云われて頭を叩かれるのです。髪を切ったら(おめでとう、カッコよい)とかいう意での友達行為なのです。いまの時代は“いじめ”にあたる行為かもしれません。私どもの時代は“洗礼行事”でした。しかし、坊主でもあるので叩かれたら痛かったです。それも一人ではなく数名からやられるのでタマッタものではなかったのです。

 髪の毛のことを(びんた毛)というのが球磨弁です。共通語では‘びんた’は頬っぺた。(びんた打たれた)のことは私どもは(頭を叩かれること)、普通では(頬っぺたを叩かれること)です。部位が違います、痛さも違うと思われます。

 東秀吉さん『球磨弁』によると、(びんた)とは(鬢所)と書いて、「びん」は「鬢」で耳ぎわの髪、「た」は「所」の意の「ト」の転で「びんの毛の生えているあたり」だそうです。江戸期の歌舞伎台本にも「びんた」があるそうで、古くには使われていた言葉が今や球磨弁(九州では使っている)しか聞かれないのかもしれません。

 「びんたの痛か」(頭痛)、「びんたきた」(怒って頭にきた)などと使われています。

 髪の毛を切った孫ムスコは学校で「初びんた」をくらったかどうかは分かりませんが、たぶん「びんた」という言葉と共に‘洗礼行事’もなくなっているのかもしれません。

 今日は秋雨前線とかで曇天模様でした、初びんたの孫ムスコの運動会は13日の日曜日・・そういえば秋の運動会の頃は天気を心配しなければならない頃です。

 今日の天気(一時


球磨弁 ~ やお、いかん

2020年08月31日 | 球磨弁

   

    そろそろ栗がではじめます、今年の出来はどうなのでしょうか。

 「球磨弁」のこと、チャレンジするつもりですが、どういう形にするか迷っております。とりあえず、今日は私がよく使っている(やお、いかん)のことを。日本語に訳すると(容易ではない)(たやすくない)の意になると思います。

 私の同級生(女の子)にhigashiさんという人がいました。その人がどうというのではなく、その人のお父さんの印象が残っているのです。本を書いて残しておられます。「球磨弁」という本です。5冊くらいのシリーズ本です。人吉高校の国語の先生をされた方で、球磨弁の語彙、語法について研究された本です。西間下町の(通称:車道)に自宅がありました。学者のような姿をしておられたのが印象的です。家もそんな雰囲気の家でした。明治の文豪的に和服姿でした。いまはその家はなくなっています。別の方が新しい近代的な家で暮しています。

 higashi先生の著書を引用してみます。

 『「やおい」を方言で「容易である」「たやすい」という意味に使うところが、京都府や山口県にあるというが、球磨弁の「やお」は、この「やおい」の連用形「やおう」が副詞に転成して短呼せられたものであろう、』

とあります。「やお」が「いかん」のですから、(容易でない)になるのです。

 『球磨弁ば喋りながら、ヒトに説明すっとは、やおいかんばい』なのです。もう、ほとんど使われなくなっている球磨弁をこの人吉盆地内で喋ることも「やおいかん」時代になっています。日本中の田舎が‘東京ふう’になってしまったからかもしれません。わが家の孫に「やおいかん」と云ったらポカン!とされてしまいます。まるでフランス語のように思われているのかもしれません。地方の言葉はもうすっかり死語になってしまっているようです。

 どんな球磨弁紹介にすればいいのか、わかりませんが、今後、思いつくままに書き綴っていきます。

 今日の天気( 今日もぬっかったー暑かった