言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

GW真っ最中に

2018年04月30日 | 日記
 GW3日目、今日もいい天気に恵まれました。我が家は孫ムスメ①が熊本、孫ムスコは宮崎・綾に部活の大会に、朝早くから出かけました。孫の母親もついていったので孫ムスメ②の子守りの一日でした。(父親は仕事です)

     
           フィルムスキャーナです
          
 資料館に数多くの写真が残されています。地域づくり研究所でも‘写真で語る山江村’を行いましたが、資料館では‘文化財’と‘民俗的行事’を中心に写真のデータ化をしようと思っています。「フィルムスキャナー」を買ってもらいました。プリントアウトしたものとネガフィルムを取り込むことができます。面倒なのは1枚1枚取り込まなければなりません。時間とヒマが必要です。まあ、この連休はたっぷりと時間があるので頑張って取り込む予定です。
  
          十王堂です(いつ頃撮られたのか不明です)

          
                 山田城発掘写真です。

 白黒写真もあります、いまは見れない山田城発掘写真もあります。何処なかわからない写真もあります。聞き取り調査が必要です。しかし、いまはデジタルデータ化しておかないと、ネガやプリント写真では保存も難しいです。プリント写真はかなり変色しています。ネガも湿気いっぱい含んでいる状態でした。
(いつ、何)という記録も書かれていないのでこれまた難解です。‘90.4.30’と日付プリントしてあるのもあってそれはたいへん助かります。
 いまはデジタルの時代です、データには日付等はいっしょに記録されますが、それでも何なのかと記録しておかないと後がたいへんです。今回は気が付く限りの記録をくっつけて保存しておきたいと思っています。

 今日の天気(

大王神社に

2018年04月29日 | 日記
 
 
 今日は教育長の代理で‘大王神社総会’に行きました。10時から1時間足らずで総会は終了→懇親会がありました。GW中でもあるし、役場駐車場では‘ふくし祭り’はあっているし、地区では田んぼ準備の溝さらいなどがあるしで、小総代と呼ばれる地区委員さんたちの出席は少なかったです。
 少数での懇親会になりましたが、わたしが参加を拒否しなかったのは焼酎好きではなく(笑)、語って聞くことが好きなのです。今日も2時間ほど参加しましたがいろんな話を聞くことができました。M総代さんは大王神社の‘茅葺き’経験者です。その経験もMさん一人になっているようです。‘茅葺き’のことや‘茅’のことを聞くことができました。他にも‘あそこの墓はめずらしい?’とか聞くことができました。昼前から呑んでいて時間は費やしましたが収穫はありました。
 最近は秋の例大祭がさみしいものです‘山田ん祭り’を盛り上げようと提案してきました。ぜひとも仕掛けていきたいものです。

 多良木高校が城南大会で優勝したそうです。監督からLINEがありました。ラストシーズンに快挙です。監督の悩みは‘来年の優勝旗返還’のようです。責任取って監督が返還しなければならないのでしょうか。

 今日の天気(
 
 

西南の役展~講演会⓵

2018年04月28日 | 日記
      
  
 今日は‘西南の役展’にかかる講演会第1弾を行いました。aokiさんに来てもらってです。昨夜も遅くからの呑み会でいっしょでした。今日も昼からで、2日間aoki節に付き合わされました。
 頭の中にいっぱい詰まっていることを口から吐き出すというような喋り方です。今日もあっという間の2時間でした。たぶんほっとけば、まだいくらでもお喋りは続いたと思いました。学者さんはすごいな!と思わされました。ここぞという所を突っ込んで突き詰められなければ研究は深まらないと思います。そんな学者さんの雰囲気いっぱいの人でした。

 終わってから資料館に寄ってもらって、展示等のアドバイスももらいました。詳しいことは山江の若い学芸員に指導してもらいました。その道のことはその道に人に!です。教員が若き先生にアドバイスするように懇切丁寧に指導されていました。あ!こうやって教わって育てるのはどこも一緒だなと思いました。
 今日の参加者は30数名だったでしょうか、GWの初日だっただけに心配していましたがよかったです。とくに山江村民の方に多く来てもらってよかったです。

 今日の天気(

明日から

2018年04月27日 | 日記
    

 明日からゴールデンウィークだそうです。今日ラジオを聞いていたら(GWはナニして過ごしますか)とあっていました。毎日がゴールデン・デーな私にとってはあんまり関係ないことです。これまた毎年、愚痴っていることですが出かけたとしても人が多いばっかりなので‘人吉盆地’から出ないようにします。天気次第ですが‘資料館でお客さんと過ごす’or‘盆地内で歴史探偵ごっこ’したいと思っています。みどりが鮮やかなときでもあるのでカメラもってウロウロもいいかもしれません。

 今日、ニュースでは‘南北首脳会談’のことが大きく報じられていました。同じ民族が緯度線で区切られて行き来もできないとは不幸なることです。この情況になったのは日本も深くかかわっているからヌスケているわけにはいきません。話し合いがスムーズにいっていい状況になることを願っています。

 TOKIOのメンバーさんがヤラカシテしまいました。これまたマスコミが喜びそうな話題提供です。かなりアルコール呑む人だったらしく、深酒しすぎた結果のようです。私の疑問は(なぜ、高校生の電話番号知っていて)(なぜ、高校生は出かけていったのか)ということです。私も酒スキなのでご用心です。

 といいながら今夜は8時から呑み会です。スタートが遅すぎるのでたいへんです。したがって今日は早めにブログUPします。

 今日の天気(

4月26日

2018年04月26日 | 日記
    
 
 今日も資料館に出かけました。‘五木歴史研究会’から来館予約があったので出かけたのです。6名でした。20数名の会員だそうですが普通日だとなかなか参加者は少ないそうです。それでも3名の人は知った人で久しぶりの方もいて懐かしく語れました。山江以上の戦いがあった五木です、五木の戦いの様子の記録も別史料で準備して配布しました。その史料の中で141年前の‘今日’が五木での最後に近い戦いがあったことを伝えました。感慨深く聞いておられました。
 人吉出身で沖縄に住んでおられる方も来られました。人吉の実家にいる兄弟の人と一緒にです。はじめてきた!とのこと、いろいろと興味深く見て帰ってもらいました。‘地元近くなのに初めてです!’という言葉といっしょにです。‘そんなものですよ’と答えておきました。

 新聞記事の残り半分が掲載されました。今回の件でちょっと気になったことは‘著作権’のことです。資料館の展示も今回の新聞記事のときも県立図書館に申請をしました。‘面倒くさ!’でした。‘展示’にしろ‘記事内容’にしろ、まったく迷惑かけていないのでは、と私勝手な疑問です。2次利用ということで許可申請が必要なのでしょう。‘面倒な’世の中になりましたね。‘著作権’、‘肖像権’などまだぜんぜんわかっていません、はっきり線が引けないところが難しいのでしょうね、これから勉強です。自分たちで自らの首を絞めているような気がしてならないのですが。

 今日の天気(


西南の役展

2018年04月25日 | 日記
        

 何度かふれたことはありましたが、今日は(西南の役展)のことを。
 企画展はおおむね2か月くらい行っています。今回の「やまえと西南の役展」も3月16日から5月20日までの約2か月間です。いま、ちょうど半分くらいを過ぎたところです。必ずとといっていいほど‘講演’を入れようと計画します。今回も終盤に2回。今週の土曜日(4月28日)と5月12日にです。
 講演会のCMにと思って、展示準備したことで気づいたことを(原稿)にして人吉新聞に売り込みしました。人吉新聞さんも快く取り入れてくれて今日と明日に2回に分けて掲載してくれました。明日に‘講演会のこと’は載るそうです。
 
 今日の分は、西南の役で山田村、万江村の民家が焼失したことです。そのときの記録が役場から県に報告された書類が県立図書館に保管されていまのした。それをコピーしてきたものをちょっとまとめたのです。山江で41軒分の家の記録が報告されていました。1軒ごとに(坪数)や(萱葺、板葺、藁葺・・・)などが記されています。
 明日には寺町から山田村へ‘一井正典’が引っ越してきた証拠の文書を紹介します。わからないことがまだたくさんありますが、これまた一歩ずつです。
 
ちなみに講演会のことは新聞よりも早めに。(このブログでは報告しましたが)
 ●4月28日(土) 「西郷」どんに因んで1877西南戦争~約140年前の熊本~
                青木勝士氏(県立図書館)
 ●5月12日(土) 「西南の役」人吉隊と新宮簡
                益田啓三氏(郷土史家)
      どちらも午後1時30分受付 午後2時~3時30分(予定) 
          山江村農村改善センター2階
 です。どうぞ、興味ある方もない方も、お待ちしています。

 今日の天気(

家庭訪問のこと

2018年04月24日 | 教育
     

 車に乗っているときに、子どもたちが早く帰っているのを見かけます。あ!学校では‘家庭訪問’がはじまっているんだと思いました。孫たちの小中学校ではまだなのです。孫たちの中学校区では去年からやり方が変わったようです。したがって去年も同じような内容で投稿したのかもしれません。
 いまの‘家庭訪問’では、あんまり意味がないはずです。❓❓  形ばっかりで‘住んでいる家を確認する’だけになっているのでは❓❓  保護者の方とじっくりと子育てについて意見交換ということが主目的のはずです。1日に何軒も回っては時間的にも不可能です。親さんとのコミュニケーションを図ることも不十分です。止めた方がいいのでしょうがそれに代わる手段は模索すべきです。孫たちの中学校区ではその模索中だと思います。
 (私の若いころは家庭訪問=呑みニケーションでしたが、はるか昔の話です)

 ‘家庭調査票’のことです。これもまだ学校で毎年実施されているのではないでしょうか。個人情報満載のペーパーです。それだけの内容を把握していた方が子どもを育てるには必要なことです。孫の母親がせっせと2枚の調査票を書いていました。いまは自宅周辺地図もグーグルマップを添付している家庭もあるやに聞いています。
 手書きで面倒なことをお願いするよりも、データを学校HPからダウンロードして出してもよい、とする方法もあると思います。次年度から情報をちょっと変えるくらいで済むはずです。ペーパーの提出は時代に遅れているかも。
 
 学校を取り巻く環境も変化しています。学校も家庭も変わっていいものは変えた方がいいのかもしれませんね。

 今日は一日中、雨が降っていました。私は一日中、家の中で過ごしました。

 今日の天気()

知らないことを

2018年04月23日 | 日記
     
        八代妙見宮

 昨日から‘風邪気味’で今日は一日中、家の中。今夜は早めに布団の中です。歳をとるごとに‘体力と耐力’が下がっていることを痛感させられます。昨日は暑いと思ってちょっと薄着で資料館にいたのです。資料館の中はけっこうヒンヤリしています。建物の造りからそうなるのでしょうか。ちょっとゾクッと寒気を感じました。帰ったら‘風邪気味’になっていました。体力と耐力が低下しているので温度変化等での対応力が無くなってしまっているのかもしれません。悲しいことです。
 
 おかげで今読んでいる「神になった隼人」をずいぶんと読み進めることができました。帯に「神話に秘められた謎に迫る、日本史の裏にひそむ隼人の哀愁」とあります。神話が偽装されたこと、日向神話に登場するニニギ、ヒコホホデミ、ウガヤフキアエズのいわゆる神代三代の陵墓のことなどです。明治7年になって鹿児島県の3ヶ所に治定されたのです。したがって3ヶ所とも宮内庁管轄地です。
 明治新政府による宗教政策です。天皇制と神道を軸に動きはじめたのです。神代三代の陵墓治定も廃仏毀釈もこの政策によるものです。そして教育もそれに合わせるようにして動いていきます。
 日向はずっと昔は(日向、薩摩、大隅)でした。3陵とも鹿児島県とは政治の力が働いたといわれても仕方ないのかもしれません。日向(宮崎県)からは反論があったそうです。
 初めて知った神代三代陵墓・・・近くなので訪れてみたいと思いました。
 歴史って知れば知るほど面白いです。すべてが分からないから、また面白いのかもしれません。

 今日の天気()

4月22日

2018年04月22日 | 日記
 今日も日曜日でいい天気の一日でした、山江では丸岡公園で‘つつじ祭り’が行われました。私は丸岡までは出かけませんでした。資料館に3時頃まで行ってコセコセとしていました。来館者の八代からのご夫婦はつつじ祭りの帰り、「丸岡に‘二の丸’とか表示してあったがお城だったのか?」という問いがありました。どうしてなかったモノを偽物表示したのか???です。資料館展示の‘山田城と高城コーナー’できちんと説明しておきました。
 もう一人は、高松からの熊本城の復興支援で来ている学芸員さんでした。多良木に行って山江に寄ってみた、とのこと、遠いところから3か月の支援だそうですが、まだまだ復興まではいろんな所からの支援が必要なのでしょうね。いま、山江からも御船町にNakayamaさんが毎日出勤です。‘共助’のこころで一歩ずつです。
 

          

 昨日、2つのお寺さんを訪ねました。‘廃仏毀釈’のせいで?貧乏寺になった話を住職さんがされました。写真の石像も売り払われて、取り戻すのに行った先の場所探しからたいへんだったとか、(戦乱とか政治)の影響が少なかった人吉球磨の寺院のことを羨ましがっておられました。だから、人吉球磨には文化財がたくさん残っているとのことでした。
 残存はしていますが、文化財にとってもっとたいへんな試練なときをこれから迎えます。早めに手を打たなければいけないと思っています。

 今日の天気(

 

 

豊野から八代へ

2018年04月21日 | 日記
     
          相良神社(相良堂)
 
 今日は‘求麻郷土研究会’の研修場所が「豊野、八代方面」だったので、いい機会と思って参加してきました。いまは宇城市豊野町・・・3月終わりころに一人で行った「相良神社」(相良堂)です。再度の訪問でした。
 戦国時代の天正9年(1581年)、豊臣秀吉が天下統一するちょっと前のことです。この神社の近く:響野原で相良義陽と甲斐親直の戦いがあって義陽が討ち死にした場所なのです。江戸時代に石屋造りの祠堂を作って祀っておられたのです。2年前の地震で壊れたものを地元の人たちで復旧修復されました。
 修復にかかわっておられた地元の人と神主さんが対応説明されました。わが家も地震の被害があったのに即対応されたのです。周辺の草払いも十分でなくてと恐縮されながら対応してもらいました。
 豊野の「常楽院」、小川町の「娑婆神峠」「三宝寺」を経て八代へ。「妙見社」と「相良義陽の墓」を見て、坂本の「相良長毎の供養塔」を見て球磨川沿岸道を通って帰ってきました。ちょっと山中にある「相良義陽」の墓は荒れ放題でした。
 
 「相良堂」は宇城市の「相良義陽の墓」は八代市の文化財指定を受けています。その取扱い方に差がみられました。行政ばかりではなく地域の人たちの‘こころの差’のようにも思えました。豊野の人たちの気持ちに頭が下がる思いがしました。
 
 「西南の役」では遠く鹿児島や北海道(屯田兵)などから球磨の地まで来て亡くなられた人がいます。私どもも荒れ放題にしているのではとビクッとしました。場所が特定されていないなど分かっていないということもあるのですがもう少し調べてみる必要を感じました。そんな思いを持ちながら球磨川沿岸を帰ってきました。

 今日の天気(