言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

久しぶりに鰐口のこと

2020年11月30日 | 人吉球磨の文化財)

 先日、岩野小に行ったとき、生善院に立ち寄りました。“猫寺”の別名の方が有名かもしれません。天正10年(1582年)無実の罪で殺された盛誉(お坊さん)とその母親:玖月善女とその愛猫玉垂の霊を鎮めるために、寛永2年(1625年)に建てられた寺院です。観音堂は、国指定の文化財です。

 写真を撮っていたら、住職のお母さんヵから上がって見てくださいと(猫を描いたふすま絵)を見せてもらいました。ウロウロとしていて(不審者と間違われたのか)本堂に上げてもらってよかったです。

  

               

 今日は久しぶりに(鰐口)のことです。気になっていた鰐口だったので見てきました。観音堂の入り口に掛けられています。高いところにあるので下から見上げるようにしか写真撮れませんでした。刻銘もすべては読めませんでしたが「藤原頼尚」は読めました。頼尚とは、(21代藩主相良頼寛)のことです。

 「洛陽三条釜座藤原対馬守国久作」「奉寄進/藤原頼尚/寛永二年卯月吉日」と刻銘があるそうです。脚立を持って行って全文わかるように写真におさめたいものです。寛永2年作で、生善院建立と同時に掛けられたもののようです。藩主自らの名がみられるのはこの鰐口だけと思われます。

 本堂にも鰐口が掛けられていて、こちらは刻銘を見つけることはできませんでした。こちらも高く掛けてあって、しっかりと見てみたいものです。

 今日の天気( 寒い一日になりました)


唐渡神社と小柿へ

2020年11月29日 | 日記

 今日は午前中に小柿観音堂に出かけました。日曜日に集落の人が集まって公民館とお堂の修復をしておられると聞いたからです。西瀬橋を渡って小柿に向かっていたら唐渡神社に軽トラが止まっていたので急きょ立ち寄ってきました。一人で銀杏の葉っぱを掃いておられました。はじめて行った神社でした。拝殿の床上80㎝ほど浸水したとのことでした。本殿は高いので大丈夫だったそうです。総代さんが一人で銀杏の葉っぱを片付け中でした。しばらく話をすることができました。神社運営の苦労話をされました。氏子が少なくなってたいへんなようです。神社のみならずお寺も今後たいへんな時期を迎えると思われます。どうにかせんと、です。

       

        小柿観音堂です、床の張替は終わっていました。

 それから小柿に。同じ場所に公民館と館内に八王子神社、隣接して小柿観音堂があります。20戸の町内で14戸が被災、6戸が被害なし、お互いで復旧作業をして、いまは公民館等を日曜日ごとに集まって修理中とのことでした。たいへんな目にあいながらも拠り所の場は自分たちで、という気持ちなようです。かえって小さな町内だから力あわせての気持ちが働くのかもしれないと思いました。お堂はもう少しかかるようでした、小柿観音堂の仏さまはそれまで預かりますからと約束して帰ってきました。

 復旧、復興に向けて力を出し合っておられる姿に感動しました。一歩一歩です。

 今日の天気(一時


下里大師堂に

2020年11月28日 | 人吉球磨の文化財)

        

 昨日、岩野小学校に行く前に、岩野霧島神社、猫寺、下里大師堂に立ち寄りました。

 写真の下里大師堂は、かなり傷んでいるため、近々、解体修理されるそうです。お堂はロープでくくられていました。修理前の姿をと思って写真におさめてきました。何時から工事にかかられるか分かりませんが、中の仏像はすでに運び出されていました。文化財案内看板によると、県指定の(弘法大師坐像)、毘沙門天立像とあと1体が安置してあったようです。

 最近知った「九州の中世美術」という報告書には、県指定弘法大師坐像のことは書かれていません。

 ~「九州の中世美術」は水曜日と今日、人吉市図書館に行ってコピーしてきました。昭和56~58年に九州大学の調査が為されてその報告書です。人吉球磨の287の仏神像が調査されています。写真は数点しかないのが残念ですが、きちんとした資料です、今まで知らなかったことを後悔しています、102ページの報告書ですが著作権法上のことで一度に全部はコピーできないのだそうです。2日に分けてできました、何かおかしな話です、法改正の必要あり、です。~

 この報告書には、弘法大師坐像のことが記されていないのは何故?という疑問、昭和58年以降にこのお堂に持ち込まれたはずはないので全く不思議です。調べてみます。まあ、このお堂が造り替えられるのを楽しみにしています。

 今夜はこれから飲み会です、久しぶりです。

 今日の天気(一時 ちょっと寒くなりそうです)


今日のこと ~ 小柿から岩野まで

2020年11月27日 | 日記

 今日はアチコチと動き回りました。市役所へ行って町内会長の仕事を・・陳情です。横断歩道の設置、ゴミ集積所の件などといろいろなお願い事です。一度には無理なることなので、度々何度となく出向くしかないと思っています。町内で集めた“赤い羽根募金”も納めてきました。今年は水害被災を受けた町内は未実施だったので例年とは違った取り組みだったようです、おかげさまで多くの方に協力いただきました。

     

      小柿観音堂 まだ片づけリフォーム中でした

 市役所の用事が終わって小柿に、小柿観音堂の仏さまを返しにいく段取りについてご意向を聞きに行ったのです。資料館に来られたおばあちゃんと話してきました。神社の方は片付けを終わって先日お祭りをされたとのことでした。私もお詣りをしてきました。ご神像さんが4体おられて綺麗に片付けが済んでいました。お堂の方は日曜日ごとに小柿の方が集まられてリフォーム中だそうです。自分たちで協力して(集落のお堂を守り抜く)心を感じました。私も今度の日曜に応援に行こうと思いました。

    

 昼から岩野に出かけました。岩野小の道徳授業に応援にいきます、その事前打ち合わせでした。ずいぶん久しぶりの岩野小学校でした。いつ、何の用で行ったのかを思い出せませんでした。十数年前のことだから致し方ないことです。しかし、写真の(岩野ミカン)(幸野ミカン)のことは覚えていました。帰りにお土産にもらって帰りました。小ミカンですが美味しかったです。数年ぶりで子どもたちの授業にかかわります、来週土曜日です。楽しみにしています。

 今日の天気(一時


今日のこと 11月26日

2020年11月26日 | 日記

        

 今日は木曜日で資料館出勤でした。お客さんが(次々、パラパラと)来られたので4時まであっという間に過ぎ去りました。10時過ぎに、湯前の観光案内人の方たち7名、“気になっていたので被災文化財展”に、と来られました。1時間半ほどゆっくりと見て帰られました。人吉球磨は日本遺産指定以来、それまで以上に観光案内人組織ができて活動しておられます。7月水害では上球磨は文化財の被害は出なかったのでビックリして見ておられました。同じ文化圏のものとして共感しておられました。

 菊池からのご夫婦での来館もありました。新聞でみてこられましたが間接的にしろ“一見にしかず”で状況を知って帰られました。

 O新聞記者さんも来館、4度目の来館です、熊本からなのでこまめに歩き回っての取材、大切な活動だなと思います。1月4日の被災6か月(半年)に向けての取材なようです。先を見据えての活動・・・参考になります。私どもも企画展を12月5日までを27日まで延長しました。①延長したことをどう生かすのか、②その後はどうつなげていくのかを考えるべきだと思っています。とりあえず、仏さまたちがわが家(お堂)にいつ帰られるのかの話をしていきたいと思っています。通常の企画展の借りものだと(いつまで)という期限付きなので終わりがはっきりしているのですが、今回は全く見えません、長くなる仏さまは数年は預からなければならないかもしれません。所有者の方と話し合いをしながらいい方向性を見出したいと思っています。

 神仏さんも早くわが家に帰りたいと思っておられるのでしょうが、さーて、いつになることやら。

 今日の天気(一時


久しぶりに 大柿、渡に

2020年11月25日 | 日記

 今日はarikiさんが資料館に立ち寄ってくれました。お忙しい人なのでなかなか外には出づらくなっておられます。被災した神仏さんを見てもらいました。ザっとですがコメントをもらいました。また、ゆっくりと見たいということでしたが、そんな時間が取れる方なのでしょうか。でも、来てもらって見てもらってよかったです。

     

      大柿毘沙門堂  建物がすっかり傾いています

 久しぶりに大柿と渡に行ってきました。大柿町内会長さんと毘沙門堂の再建について語ってきました。写真のようにお堂は傾いています、解体して建て直すしかないとど素人眼には写りました。しかし、お金です、町内会長さんはわが家のことと町内会館のこともあられます、今日もわが家をコツコツとリフォームしておられました。まだ大工さんの手配が付かないのだそうです。どうにかお手伝いができないか、私もコソコソ動こうと思いました。

        

         一王子神社 倒れていた本殿を起こして、屋根はまだ後ろに置いたままです

 そのあと、朝日権現社yamagamiさん宅へ、仮設住宅にようやく移られたとのこと・・まだまだたいへんなようでした。それから、渡の山口釈迦堂のことでyamaguchiさん宅へ。お堂と仏像も流され何もなくなった処をどうしようかという話をされました。まだ、釈迦如来さんは出てこられることを願ってそのまま待っておられることがよいのではと話してきました。

 それから一王子神社へ。少しずつ片づけをしておられました。復興へ向けて動かれておられる様子が見えて嬉しく思いました。もっとお手伝いをしなければと思いました。

 今日の天気(一時


新聞のこと

2020年11月24日 | 日記

       

        先日山に行ったときに見つけた紫色の豆です、何の植物豆なのか分かりません。

 企画展(被災した神仏像展)を行ったので、新聞、テレビ報道機関にずいぶんと取り上げてもらいました。企画展に来られた方に(何で知られました?)とよく尋ねます、新聞も〇〇新聞ですか?まで聞いています。はじまって1か月半くらい経ったのですが、18日の朝日新聞夕刊、昨日の西日本新聞に取り上げてもらいました。またまたありがたいことでした。

 この企画展でいろんな記者さんと出会いました、お話もさせてもらいました。いろんな所を廻っていろんな人と接しておられる職種の方なので私どもと違って幅広い視野を持っておられます、したがって話をすることは私にとってたいへん有意義なることです。

 我が家は熊日と人吉新聞購読です。もっとたくさん読みたいのですが経済的に無理です。熊日は夕刊もとっています。ところが田舎なのであくる日の朝刊と一緒に配達です。それでも夕刊らしい面白さがあります。だから夕刊の記事は楽しみでもあります。

 今回の朝日新聞夕刊は人吉ではたぶん無理です。朝日新聞デジタルの無料会員登録をして18日の記事を読むことができました。デジタル版なので“見る”かもしれません。ところがImai記者さんから新聞紙を送ってもらいました。やっぱり新聞は“紙”だなと思いました、読むべきだと思いました。そして私はまだまだアナログ派だなと思いました。日本らしさだそうで、朝早く配達してくれる人がいて、朝食前に新聞を読めるというのは素晴らしい習慣なのかもしれません。ありがたいことです。そんな新聞に感謝をした今日でした。

 今日の天気(


山田城のこと 

2020年11月23日 | 日記

     

      いちばん深く掘られた“堀切1”

 「山田城」のことを少し紹介、山田城が文献上に初めて登場するのは建武5年(1338年)のことです。足利尊氏が後醍醐天皇の政権に謀叛の意を表した建武2年・・・日曜日朝6時から大河ドラマ“太平記”(リニューアル再放送)はちょうどこの頃の話し中です・・・人吉盆地も、人吉の下相良一族が足利尊氏に応じて北朝方に、多良木の上相良氏は南朝方に分かれます。北朝方の下相良の相良定頼の文書に「足利尊氏に味方して、自分は少数ながら兵を二手に分け、山田城には親類若党を楯籠らせ所々で防戦した」といった内容のものです。平和なときには兵士たちは農業をしながら平地で暮し、いざ闘うときには山城に籠って戦っていたものを思われます。中世のまだのどかな時代の山あいの村の様子はそのようなことだったようです。中世の山城は人吉盆地内にもたくさんありますが、山田城のように広大に築かれているのはそうそうはないと思われます。忽然と消え去ったこともあって中世のまま手付かずになっているはずです。隠れた“中世のようす”がそのまま封印状態なはずです。

 したがって、将来的なイメージとして、発掘を含めた調査をして全容を明らかにする必要があると思います。そして人が気軽に立ち寄れるように公園化をめざすのが望ましいのではないでしょうか。ヒノキを切って見晴らしをよくして桜の木でも植えて公園化するのが望ましいと考えます。

 冬場は“山城”のシーズンです、またご案内します、いっしょに‘中世城’、“山城”を探索してみませんか。

 今日の天気(一時 寒くなりそうです、ふだんの11月末頃になったとは思いますが、気温の変化に体がついていけばいいのですが)


今日のこと 11月22日

2020年11月22日 | 日記

      

 午後、資料館でのことです、親子連れのお客さんが来られました。子どもさんは大学1年とのこと、“歴史”に興味があって、と企画展に来られたのです。これは!と思って、説明を詳しくしました。説明を食い入るように聞いておられました。歴史については100人中一人二人くらいしか興味を持ってくれません。今日は“当たり”だなと思いました。そしてそんな人がちょっとだけいてくれたことは嬉しかったです。後継者(若い人)をどれだけ食い止めるかが、その種のことの生き残りにかかります。一人でも興味ある人を見つけ出して伝えていく活動が求められると思います。そんな意味からも今日は一人見つけました。付き添いのお母さんはたいへんだったかもしれませんが、ずっと付き合っておられました。(お母さんもエライ!)

 スポーツのこと、貴景勝はおめでとう!です。今日は2番のうち1つ勝てば“優勝”と思っていたかどうか、そのくらいの余裕があるならば、横綱でOKだと思います。しかし、いまのお相撲さんは充分な練習ができないのでケガには十分に気をつけたいものです。負けた照ノ富士も立派でした。ケガに負けずにコツコツと努力した結果が今日だったようです。来場所はもっといいはずです。

 ロアッソには困ったものです、去年に引き続き、後半になっての失速です。

 コロナには困ったものです。GoToの悪い面が出てきたようです。外には出かけないようがいいようです。“君子危うきに近寄らず”です。

 今日の天気(ちょっと→ 小あり)

 


山田城探索

2020年11月21日 | 日記

 求麻郷土研究会の11月例会で(山田城探索)が午前中に実施されました。会員と私とNakayamaさん、人吉新聞higashi記者20名で登りました。木曜日が雨だったので滑ることが心配でしたが思ったより大丈夫でした。しかし、人がたくさん行くとコースをもう少し考慮する必要を感じました。3郭から4郭は小さな2つの堀切を回り道して歩いたのですが、けっこう遠い道のりになって&歩きにくくもあります。堀切を回らずに橋などをかけるようにして真っすく行った方がいいのかなと思いました。今後の検討課題です。

  

     堀切の地点です、5つの堀切が見られます。

         

           西南戦争台場跡?と思われるところがコースの最後の方にあります

 約2時間のゆっくりめのコースは少しキツメのトレッキングとハイキングの中間的な「中世城・山田城廻り」としてもっと整備すべきだと思っています。観光にも健康増進にも使えると思われます。参加したからは(国の史跡)にも十分なりうるとの評価もありました。

 歴史的にも調べなおし、現地調査も加えながら、もっとその価値を深めようと思いました。少しキツメでしたが、まだ私の足は大丈夫でした、足が丈夫なうちにもっと探索をしたいものです。また、登ります、ご希望の方はどーぞ!案内します。

 今日の天気(時々