言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

大晦日に

2023年12月31日 | 日記

 今年も大みそかを迎えました。この1年のこと 反省することばかりです。何とはなしに1つ年を喰ったという感じがしています。悪いことはほとんどありませんでしたが一日一日が過ぎ去って、そして1年が、というような気がしています。

 年賀状も今年も遅くなりましたが少なめに出しました。令和5年の年賀状では(納める)方が数名おられました。ちょっと寂しいな、と思ってオレもとチラっとよぎりましたが6年用も出しました。しかし、来年はハガキが高くなりそうで・・・考えものかな・・・どうしよう・・・来年 高くなってから考えます。

 今年は高寺院の鎌倉毘沙門さんをお借りして展示出来ました。よかったです。来年は県指定の文化財になるように頑張ろうと思っています。

      

 なにせこのブログ更新もママなりませんでした、来年はもうちょっと頑張ろうとは思っています。

 よいお年をお迎えください。


豊野相良神社祭 

2023年12月03日 | 歴史探偵

 また、また、久しぶりのUPです。

昨日、宇城市豊野にある“相良神社祭”に出かけてきました。熊本地震とコロナでしばらく中止になっていたお祭りが去年から復活再開されました。去年、masudaくんや息子たちが呼びかけて参加することになって、今年はその続きでした。21名の方の参加でした。

   

地元の人たちが朝早くから掃除や準備をしておられました。aitouさんがいろいろと準備取締りをしておられます。この神社は“相良神社” 別名“相良堂” 天正2年(1581)陰暦12月2日、神社周辺で戦いが行われ(響ヶ原合戦)、相良18代当主義陽が討死した場所なのです。相手は阿蘇氏の家臣 甲斐宗運です。この戦いで相良勢の戦死者は700人を超えたといわれています。そして、この場所に義陽の胴体を埋めて祀っておられるのです。豊野の人たちにとってはいい迷惑だったに違いありません。それを400年以上も豊野の人たちが守ってこられていることにビックリです。熊本地震によって神社は壊れてしまいましたが、それも建て直されたのです。またまた驚きです。

 戦いの後、義陽の首だけは家臣によって八代まで運び込まれて埋葬されました。当時は松橋から八代,水俣まで相良氏の支配地だったのです。首だけは地元にという気持ちが働いたのではないでしょうか。義陽の首塚にも行ってお参りしてきました。