言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

被災神仏像と人との出会い

2020年10月31日 | 日記

      

           深水寺の弁天像と地蔵像

 資料館にいたら自転車用ヘルメットをかぶった方が見学に来られました。新聞で企画展のことを知ったとのことでした。(柳瀬からきた)(埼玉にいて帰省してきた)(2年前に退職した)(コロナで帰れずに母親の死に目にも会えなかった)(7月4日に帰る予定が災害があって帰れなくなった、キャンセルした)(実家には父親一人、今日はデーサービス)(帰ってきたら車がないので自転車でアチコチ)(しばらくしたら埼玉にまたいく)というようなことを語られました。いろいろと喋っていたら、お父さんや妹さんも知っている方でした。被災した仏さんの説明の合間に喋ったことです。

 (相良の方ですか?)(私は相良南小に勤めたことあります)という切り口で喋りはじめたのです。むろん相良出身の方でしたので(八ツ田薬師堂の仏さん)と(深水寺の仏さん)にはきちんと登場してもらいました。高校出てから都会くらし・・自転車で三十三観音巡りをしながら、郷土の歴史に触れた・素晴らしさに気づかされたと話されました。62,3歳の方でしょうか、仕事を定年で辞めて、人生に落ち着いたころに気づくことなのです。まさしく(余生のたまもの)なのかもしれません。

 夜になってyamagamiさんから電話がありました。(どうも私が帰った後に)資料館に行かれたようで、権現社の神像さんをきちんと展示してもらっていたことへのお礼と対応してもらったtateishiの評価(親切に説明もらった)とのことでした。yamagamiさんとも今度の水害と神像さんのことがなければ出会わなかったはずです。

 今日のことでした。被災した神仏さんがいろんな人に出合わせてくれました。これも神仏さんのおかげではないかと思っています。ありがたい出会いです。

 今日はハロウィンと十五夜でした。何か珍しいのだそうです。10月は2回も満月というのも珍しいのだそうです。こんなことも(出会い)(めぐり合い)なのかもしれません、大切にしたいものです。

 今日の天気(霧→


陣の内に捜索

2020年10月30日 | 歴史探偵

     

 

          

           電信柱の右にお堂が在った場所です、向こう側に流れていったようです。

 午前中に陣の内・池王堂の神仏さんを捜索に協力しました。跡形もなくなったお堂のすぐ近くの田んぼに瓦がたくさん散らばっていました。地元の方と一緒に探しました。瓦がたくさん集中しておる場所の瓦をどかしてみました。田んぼも数十cmは土砂で埋まっています。その下にだと見つけることは難しいです。田んぼから数百m下流域の球磨川まで歩きながら見つけ歩きました。それらしきものは見当たりませんでした。お堂の建物の破損残がいすら見当たりませんでした。たぶん球磨川まで流れていったのかもしれないと思いました。大柿まで流れ着いていた‘女神さん’はこのお堂のものなのかもしれません。

             

      まだ、こんな様子です、前は球磨川、先には高速橋が見えます。

 相良村誌をみると、このお堂には5体の神仏像があったと記録されていますが、地元の方は4体だと言われます。この中の1体・女神さんが記録してある30㎝とは一致するのですが、はっきりとは分かりません。市町村で悉皆調査をしてきちんと記録しておく必要性を感じました。

 お堂の近くに“五輪塔があった”ということだったので、近くを探したら地輪だけは見つかりました。上の方は見つかりませんでしたが、石なので近くの何処かに埋まっているのかもしれません。いちおう終わってからお茶を飲みながら‘陣の内’のことをいろいろと話してもらいました。いろんな(わたし的には)面白いことがたくさん聞けました。

    

     五輪塔の地輪(陀 佛)が見えます

 今日の捜索でいい結果はありませんでしたが、地域の方の思いを引き出すことができてよかったです。まだまだ(続く)のことでした。

 今日の天気(


今日のこと 10/29

2020年10月29日 | 日記

     

      元所在地不明の女神像です、池王堂では?という女神さんです

 資料館勤務でした。今日は約束していた相良村陣ノ内の方が来られました。今度の水害で集落内の(池王堂)が流されました。記録や地元の人たちの話では4体の神仏像が鎮座されていたとのことでした。しかしお堂は跡形もなく流され4体とも行方不明です。中神町大柿に流れ着いていたという女神像さんはヒョッとして池王堂?と話をしました。その確認のために資料館を訪ねて来られました。3人で見られましたが(わからない??)でした。これまでしっかりと見られたことはなかったようです、当たり前です。写真を持ってこられましたがドUPではなくはっきりとわかりません・・印象だけで(似ているが)でした。今後しっかり確かめて、ということにしました。そして明日に池王堂近くを他の仏神像さんも含めて捜索することにしました。

 午後から大柿毘沙門さんを小さいころから見ていた!という方が来られました。流されなくてよかったと話されました。大柿の川反対側の集落の方で7月4日は大水の様子を見ていたとのことでした。わが家も床下浸水。その水の凄さを語ってもらいました。

 これからが復興へ向けての取り組みです、被災を受けられた方も外に出られるようになったことは復興への第1歩かもしれません。少し時間はかかるかもしれませんが、ひとつ、ひとつです。

 昼間の気温は1年のうちでいちばん過ごしやすいのかもしれません。ところが一日の温度差が激しいので体調崩しやすいです。歳取るとこたえるのです。

 今日の天気(


歴史に学ぶ

2020年10月28日 | 歴史探偵

 被災してきた文化財資料をみるといろんなことがわかってきます。先人たちが今の私たちに伝えてくれていることもよくわかります。今日はその一つの例を紹介してみます。

     

 一王子神社から運ばれてきた棟札2枚です。棟札とはお堂や祠や寺社、民家などの屋根裏の高いところに附けられた記念碑的な木の札です。この家(神社、お堂)は誰が何時作ったというようなことが書かれてあるのです。どこの家の屋根裏にもあるはずです。

 今回被災した一王子神社からも2枚の棟札がみつかって運び込まれて見ることができます。神社は整理統合されているものが多いです。一王子神社(渡阿蘇神社)も近くの熊太郎神社が一緒になっています。(合祀と云われています)。 写真の左が熊太郎神社の棟札です。右が一王子神社のものです。

 熊太郎神社のには(貞享3年再興)と書かれています、1686年に造り替えたときの棟札です。むろん、そのときの建物はなく、棟札だけが残されているのですが、今では貴重なる歴史史料になっています。

 一王子神社のは「奉造作一王子大権現宮社者地頭願阿并長直息災安穏子孫 應永四丁卯季・・・」と表面に書かれています。応永4年(1397年)に建てられたときのもののようです、ところが裏面に「当社棟札星霜相積難文字見故新造之書写畢 于時宝暦十四甲申・・」と書かれているのです。要約すると、應永の棟札は字がかすれて見えにくくなったのでそのまま買い写して新しくした、ということのようです。書き写した年が宝暦14年(1764年)とあります。應永のままで600年経っていたら、見えなくなっている文字がたくさんあったかもしれません、宝暦に書き直してもらったので、いまでもきちんと読むことができます。ありがたい判断をしてもらったと思います。おかげで今の時代に一王子神社の歴史が正確に伝わっているのです。記録の大切さを痛感させられる貴重な棟札です。

 その棟札も含めた神社の貴重な文化財が被災したのです。600年で初めての大きな被害だったのではないでしょうか。600年も繋がってきた文化財をここで絶やさないように今の私たちは頑張るしかないのです。復旧復興にご協力ください。

 今日の天気(


復旧、復興へ 3

2020年10月27日 | 歴史探偵

    

       球磨村 一王子神社の神像

 被災した文化財のことで、今後のことを、先日の続きです。

 まず、仏像のことから。住民の方は、仏像が流されてしまったら心配ですが、流されずに現存しておられたら一安心なようです。流されたり水に浸っておられるのでダメージは受けておられます。ところが壊れていても居られるので安心なのです。問題は坐しておられる堂宇のことです。神さま仏さまもわが家が必要です。

 その棲み家はぜったいに必要です。ところが棲み家を再建するゆとりがいま地方にはないのです。湯の元観音堂はクラウドファンティングで資金を募られるようです。ぜんぶの堂や祠が、クラウドファンティングに手を挙げたら共倒れになるはずです。返礼品は無しでしょうからなおのことです。

 たぶん、いくつかのお堂や祠は無くなってしまうのではないかと思っています。歴史的にもそんな風にして無くなって(合祀)というようになっているのだと思います。湯の元観音堂には(女神像さん)もおられるようにです。致し方ない、世の流れかな、です。しかし、一つでもそのようなことがないように頑張るべきです。まずは地元の人、そして私ども周りの者、それから多くの方に協力してもらうことだと思います。

 新聞、テレビで被災した仏様たちのことを知ったと(寄付金)を資料館まで郵送してもらった方がおられます、ありがたいことです、そんな人たちの善意の気持ちで一つでも多くの仏さんたちの居場所を再建したいものです。ぜひにご協力を。資料館に来てもらって募金箱に協力してもらうのがいちばんですが、遠くの方は

 〒868-8502 熊本県球磨郡山江村大字山田甲1360 山江村歴史民俗資料館宛 でもOKです。よろしくご協力をお願いします。

 今日の天気(

 


今日のこと 10/26

2020年10月26日 | 日記

        

            弁才天像(深水寺)

 早いもので私が胃がんの手術をしてから5年が経過しようとしています。(5年目点検)なるものを医療センターで受けてきました。血液検査とCTと胃カメラです。毎年のことなので慣れてはきましたが、CTの造影剤のカーっとくるヘンな雰囲気、胃カメラでののどをマヒさせるときのヘンな味を3分間くわえておくことは、やっぱりイヤなことです。8時半前には着いて昼過ぎまでかかりました。

 知っている先生とロビーでバッタリ会ってお互いの病気のことを語りました。60を過ぎたらいろいろとたいへんです。

 待ち時間があると思って文庫本を1冊持っていきました。「仏像を観る」(紀野一義著)です。最近(仏像鑑賞の本)を8冊ほどネットで買いました。その中の1冊です。ところが本の中は棒線が引いてありました。・・・本を売る人の常識~書き込みは厳禁~・・・ネットなので内容も状態もわからずにタイトルだけで注文しました。それにしても、売る人は常識としてこのルールは守ってほしいものです。

 奈良、京都、飛鳥の仏さんを紹介しておられます。美文でとてもわかりやすく書かれています。「仏さまは見に行くものではない。お礼言上に行くところ、心に秘めた世界を打ち明けに行くところ、死んで行くときはお頼み申します、とお願いしに行くところであう。」とありました。私も今後はそんな気持ちで仏さまと接したいと思ったことでした。写真があって入江泰吉さんです。入江さんの写真の撮り方は“4時間でも5時間でも納得のいくまで仏さまに相対し、よし、と思った時、たった一度シャッターを押すだけで写真を撮り終わった”とありました。私はデジカメでパシャパシャ撮って1枚でも気に入りがあれば、という撮り方です。むろんプロアマの違いがそこにあるのでしょうが、見習いたいという気持ちにはなりました。

 検査結果はたいへん気になるところではありますが後日です。

 今日の天気(霧→


この土日のこと

2020年10月25日 | 日記

    

 ツマグロヒョウモンのメスです、羽根もボロボロになってもツワブキの花の蜜を次世代のために食しています。

 昨日今日の土日曜日はとくだん用事もなかったので昼間は資料館に出かけました。‘被災した神仏像展’を行っているので、いろんな方が来られて話をすることができるので楽しみでもあります。今日はそんな人との出会いのことです。

 芦北からご夫婦で来られました。40代くらいでしょうか、私どもの資料館は年配ご夫婦が多いので珍しい年代の方でした。新聞で知ったとのことでした、少しだけ説明をしてあとはゆっくり見てもらいました。仏像だけを見てもらうとそれ程被災しているとは思えないのですが写真を見てビックリされます。展示の仕方ももっと工夫すればよかったと反省です。

 人吉市内から60代男性の方、企画展のときよく来てもらって、すっかり顔なじみになった方です。ふる里・人吉(実家)と神奈川(自宅)を行ったり来たりされているようです。ふるさとの歴史に興味を持たれて資料館に足を運ばれるようになりました。(テープデッキは入りませんか!)と云われました、オープンリールデッキのことでした。(捨てるのだったらください)と答えました。1時間ほどして持ってこられました。電気製品も様変わりです。いまではオープンデッキも見ることはありません。(昭和の電気製品)も保存していこうと思いました。・・・収蔵がたいへんだ!

 昨日今日とI新聞記者さんと短い時間いっしょでした。被災神仏像展を見学取材です、いろんな話の中から神園薬師堂に案内しました。山江の人吉球磨の室町期の仏像は私も大好きです。そんな田舎風の造仏に興味を持たれたのかもしれません。奈良の出身だそうで“本場の仏像”を見ておられるので眼は堪能な方でした、いろんな話を聞かせてもらったので勉強になりました。

 2日間だけでもいい出会いがありました。昨日述べた町内会長さんの切実な話など私にとっても今後の課題になることでした。人との出会い、語りを今後とも大切にしていきたいものです。

 今日の天気(霧→


復旧、復興へ 2

2020年10月24日 | 歴史探偵

           

         人吉城隅櫓周辺と球磨川

 金曜日の夜のNHKニュースの特番で(NHK+人吉新聞)コラボがあっています。昨夜で4週め、higashi記者の出番でした。所在地不明の神仏像のことを取り上げてもらいました。どこのかわからない神仏像の住み家を見つけることも復旧のひとつです。早く見つかることを願っています。流された、無くなってしまった!と完全に諦めておられるのだろうと思うのですが、私どもから探し出すことの方が難しいので、何かの手がかりがでてくると嬉しいのですが。

 今日も10時から4時前まで資料館に出かけました。午後から温泉町の町内会長さんが来られました。湯の元観音堂の神仏さんがお世話になっているというので、わざわざお礼も兼ねて見に来てもらいました。ご本尊・聖観音さんは修理に出ていましたが、あとの仏神像をみてホッとしておられました。湯の元はお堂の隣に、33観音巡りの接待所(公民館兼用)も被災しています。修復に300万ほどかかるようです。その経費捻出に頭を痛めておられました。指定文化財ではないので補助はなし、公民館に50万円の見舞金だけだそうです。

 そのはなしを聞いて何かがおかしい、GoTo・・にあれだけ金を投資するのであれば、未指定の文化財復興にも金を出してもよかろうにと思いました。

 復興に向けて何らかの行動を起こすべきだと痛感しました。湯の元観音はクラウドファンディングを考え中だそうです。私も仲間と話し合って何らかの形で被災文化財の復興に参画しようと思いました。

 私たちが受け継いだ先人からの遺産は次の世代にきちんと手渡す重い責任があります。何とかして、どうにかして、です。

 今日の天気(


復旧、復興へ(提案)

2020年10月23日 | 歴史探偵

 昨日の続きのような話です。提案と夢のような話です。

    

      湯の元観音堂 本尊 聖観音像です、いま修理中です!

 まだまだ失われた文化財(仏神像)の救出のことは(続く)です。先日も述べたあちこちに積み上げられた流木群の撤去作業には関心を持っていく必要があります。作業される方に面倒でも協力してもらう必要があります。気になっている所には自ら出かける必要もあります。そのことはしばらくはIngです。

 それと並行しながら復興のことを考えなければなりません。昨日述べたように壊れてしまったお堂等の再建です。いちばんの問題でお金もかかる話です。ずっと前も紹介した人吉藩の歴史書(嗣誠獨集覧)の中にちょっとしたヒントがありました。延宝5年のことです。1677年・・・いまから340年ほど前のことです。この記事を抜粋しながら(私ふうの現代訳にしながら)紹介、

「延宝5年2月、願成寺金堂脇に‘諸尊堂’が建立された。これは郡中のあちこちの堂の仏像を安置するため、本尊は十一面観音、脇侍に不動像と毘沙門像である。3月16日に義辰導師によって入仏供養が行われた。郡中にある破壊破損された仏堂の仏像が安置されたのである、このお堂を‘諸尊堂’と呼ばれた」  です。

 340年ほど前の人吉球磨に無住になったせいか荒れはてたお堂の仏さまがあったのでしょうか、それをまとめて尊堂を作っておさめ祀ったようなのです。残念ながらこの諸尊堂は25年後の元禄15年に火災によって焼失してしまいました。

 いま人吉球磨は少子高齢&過疎化で集落のお堂を維持しにくくなりました。それに今回の災害です。「令和の諸尊堂建立」が必要なのかもしれません。そんな動きも考えるときなのかもしれません。

 どこかのお金持ちさん、大きな会社の方・・救いの手を人吉球磨の仏神像に!よろしくお願いします。「令和の諸尊堂建立」にご寄付を。

 今日の天気(一時

 


被災から復興へ

2020年10月22日 | 日記

      

          球磨村 渡 一王子神社

 今朝、電話がありました。お堂が壊れて(どうやって復旧すればいいのか)という相談でした。そのお堂は被災以来ずっと関わってきました。建ってはいますが傾いていて全壊と思われます。建て直すしかないと、ど素人眼にも判断できます。いい材を使ってあるので部分的には残して使うこともできるのでは、と思います。

 詳しいことは分かりませんが、お堂等には見舞金などは出ないようです。解体は公費でできるのでしょうか?建て直しは(今のところ)地元でやるしかないと思われます。

 私が見た範囲だと、深水寺、八ツ田薬師堂、池王堂、朝日権現社、大柿毘沙門堂、一王子神社、山口釈迦堂は建て直すしかないです。もっとそんなお堂、祠があるのかもしれません。

 ある人が球磨工業の伝統建築科にお願いしたら、と言われました。木材等は自分持ちのはずです、そこにはお金がいるのです。高校生たちもボランティアです、こんな多くの堂祠を請け負うことなど不可能です。

 公費をつぎ込むしかないのです。どうにかして国が負担して地域の文化財を守るためのお金を捻出しかないのです。しかし国や県を充てにするのはたいへん難しいと思います。だったら、私が5億円くらいの宝くじに当たるしかないのです。これもたいへん難しいことです。

 芦北の醤油屋さんはクラウドファンディングで2000万円ほど集まったというニュースを見ました。私はやり方がわからないので、どなたか教えてください。どうにかしないと貴重な文化遺産を受け継いだ私どもは次の時代に手渡すことができなくなると思います。

 みんなで知恵を絞ってこの難局を乗り切りませんか。よろしくお願いします。

 今日の天気(