言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

うーむ!

2023年06月21日 | 教育

 16日に人吉市内小学5年生の水生生物調査が終わりました、今年は雨で2校ほど延期にはなりましたが順調に無事に6校とも終えることができました、子どもたちも楽しく学習できてよかったです。

 そんな学校の話題です、熊本ではなく別の県でのことですが  (ウーム!) です。

 「ラーケーション」とかいうのだそうです。(ラーニング)と(バーケーション)の合語 ・・・ 学習と休養 ・・・校外学習活動の日と称して1年に3日間 子どもに休みを与えるのだそうです。“学校より家族との思い出の方が大事” なのだそうです。  (ウーム!) です。 こんなふうに世の中変わっていいのか!という疑問です。 子どもを親を甘やかしているのでは?

 (水生生物調査 このことの方がよほど校外学習活動なのですが。)

 親さんの働き方が変わってきて子どもと休日が合わないということはわかります、それを学校が、子どもが合わせるのではなく、親が or 親の働き元(企業)が考えるべきでは、ないでしょうか。

 世の中が変わりすぎてしまって、子どもたちが(我慢すること)ができなくなっています。(我慢)できなくなっているのは世の中が前述のように(甘やかし)をしているからではと思うのです。子どもだけではなく大人も我慢できなくなっているように思えます。したがって犯罪の多くの原因は(我慢不足)です、だから犯罪が多発しているのでは、と思うのです。

 昨今は(甘やかし?)的な政策がよく見らます、子育て支援とかいう名目で。そんな傾向を危惧しているのですが如何でしょうか。何かが変わってしまっています。この国はもうちょっとマシな国であったはずです。   ウーム!


うんぶくれる

2023年06月13日 | 球磨弁

 久しぶりに(球磨弁)の話題です。

 今朝の孫ムスメとの会話です、今日は(プール開き)で水泳授業の授業はじまりのことを聞きました。5年生なのですが、まだ泳ぎは得意なほうではないはずです。スポーツ全般に苦手なようです。そこで朝の出がけの私の一声(うんぶくるんなよ)でした。孫ムスメも、その母親もポカン!でした。

 うんぶくれる=おぼれる  ということなのです。その語源はわかりませんが調べる必要はありそうです。今のところあしからず。

         

 今日は午前中に西瀬小5年生の(水生生物調査)でした。天候が心配されましたが実施できてよかったです。学校すぐ下の永野川(球磨川支流)です、運動場の下にあるのでいちばん近い調査場所です。ヤゴ(トンボの幼虫)が多かったことには他の地区とは違った傾向のように感じました。

 天気予報とは違った一日になりました。梅雨空ではあるのですが雨が降らずにいろんな行事ができた一日になりました。

 


五木 九折瀬に

2023年06月07日 | 日記

 4日に久しぶりに五木まで行ってきました。ヒストリアテラスで行われていた企画展を見に行ったのです。5日が最終日だったので慌てて行ったのです。「球磨の民話・方言・民俗に親しむ春」という企画展です。五木には(びゃあどん)の話が残っています。そんな話を方言交えて紹介してありました。山江の「横手の五郎」の話も紹介されていました。人吉球磨のことを視点を変えて見れてよかったです。

 「九折瀬」の観音堂に行こうと思って久しぶりに行きました。久しぶりといっても50年近く前なので“はじめて”と同じことかもしれません。目当ての観音堂は全く初めてでした。50年ほど前に行ったのは家庭訪問です。そのころ五木東小学校に勤めていて3年くらいは家庭訪問に行った覚えがあります。「九折瀬」は「つづらせ」と読みます。頭地から川辺川をのぼって途中から登り坂、くねくねと登っていく集落です。「九折」ほど曲がりくねっているからこの地名が付いたのかもしれません。

  

    

 立派な観音様でした。お参りして畑作業をしておられたオバさんに話を聞きました。するとヒョイと50年ほど前に担任した子どもの名前を思い出したのです。「Yoshida」くんでした。名も覚えていました。その名をオバさんに尋ねたら元気にしているとのことでした。他の2人の名前も言われたので記憶がよみがえって懐かしく思いました。

 さいきん、物忘れが激しくなって脳みその低下を嘆いていました、昔のことは違う脳みそが支配しているのだと思わされる出来事でした。

 

 


6月になって

2023年06月04日 | 日記

 早いです、今年も今月で1年の半分が終わるという時期になりました、梅雨入りまでして何かとあわただしくなってきています。資料館前の田んぼでは田植えも終わってしまいました。

 人吉にNagaoさんという漬物屋さんがおられます、3年前の豪雨被害にあわれました、そのときの水害にあった木製樽がそのまま放置してありました、あちこちにその処遇を相談されたのですが、宙ぶらりんになって私にも相談がありました。私もいろんな人に語りましたが???でした。写真のように何せ大きな木樽なのです。吊り上げるとしたらバラバラになりそうでした。

    

 工場を建てられるので邪魔になるタイムリミットが6月3日か4日のことでした。数名の仲間に相談して(そのまま保存)から(致し方ないバラす)ことにしました。1枚1枚に番号を振って4人でバラしました。直径、高さともに2mほどの大樽でした。竹製のタガは1輪を残して残りは腐れていました。

 さしおり、3日にバラして山江資料館に持っていきました。もう、組み立てることは(私には)不可能に近いです。職人さんもこの近くにはおられないと思います。でも、写真等を撮って番号を振って保管しました。ひょっとすると将来に組み立てることがあるかもしれません。数日後には灰になるはずのものをさしおり保存しておきました。あとは未来に託します。