言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

令和の大みそかに

2019年12月31日 | 日記
     

 平成から令和にかわった2019年も終わろうとしています。本当に1年がすぎるのは早いものです、あっという間にという感がします。しかし、今年(古稀の年)もどうなりに無事に過ごせたことを感謝しています。この歳になって1年を何事もないに過ごせるということは有難いことです。
 先日、同級生にひょい!と会いました。お互いに(元気?)と声かけました。わが家から5分ちょっとのところでケーキ屋さんをしているのです。ケーキを食べるというガラではないので数回しか行ったことはありませんでした。彼曰く‘12月いっぱいで店閉める’、‘もうここまで仕事してきたからよかろう’という話をしてくれました。(冗談で)‘借金も返したので’、これから‘今までできなかったことをしようかと思って’ということでした。
 あ!今日が終わりだと、昼過ぎに思い出してラストのケーキを買いに行きました。奥さんがおられて売り切れました!とのこと、本人も出かけていて留守でした。元気なうちに区切りをつけて次のことを求めて・・・いいぞ!と思いました。古稀を過ぎても次があるからです。私も見習おうと思いました。
 
 今年の終わりの日に‘紅白’ではなくて、アレクサで‘高田渡’の曲を聞いて夜を過ごしています。高田渡のけだるそうな音楽を聴きながら寝るまでを過ごしています。まあ、今年も何とはなしに過ごせたのでよしとして来年を迎えます。

 大晦日の夜は三日月がきれいな夜です。今年もたいへんお世話になりました、よいお年を(正月)をお迎えください。

 今日の天気( 寒い一日でした)

今日のこと 12/30

2019年12月30日 | 日記
      
         11月の熊本上通りです、ハンドボール世界大会があっていました、外国メディアの放送局の方が街頭インタービューしていました。ちょっと遠くからパチリ!

 今日は一日中の雨で‘正月準備’も外の部分はままなりませんでした。昼からちょっと買い物に。わが家玄関の‘注連縄飾り’・・安いのをよく見ると、made in Chinaです。わが家にも多くの日常品などにmade in Chinatoと書かれています。我が国はすでに中国品抜きでは生活できなくなっているのかもしれません。
 しかし‘注連縄’なのです。気持ちの問題だと思ってmade in Japanのを買ってきました。ちょっと高めでした。数年前まで山江の人がリヤカーに注連縄を積んで郵便局のところで売っておられたのを思い出しました。高齢になられて止められましたが年末の風物詩でした。むろん、私も‘縄はなえません’・・来年は70の手習いで‘縄ない’を習おうと思いました。

 先日のこと、消防出初式の話し合いに消防団詰め所に行きました。神棚の榊が枯れていました、若い団員に‘変えたら!’と言ったら、‘買ってきます’でした。ビックリして、わが家の榊を切って持っていきました。

 正月の初もうでで神頼みはしますが、店頼み、人頼みです、そういう時代なのでしょうが「ここ」までも頼まなければならないとは憐れすら感じます。そんな思いをした暮れの30日のことでした。今年もあと1日です。

 今日の天気(

今年もあと2日

2019年12月29日 | 歴史探偵
     

 年賀状が終わって、今日は人吉球磨の郷土研究の会誌「郷土」を読み返しています。昭和47年からの活動スタート、月1回の巡検活動の記録が残されています。特に‘鰐口’と‘毘沙門天像’を中心に読み返しています。忘れないようにパソコンに入力しながらなのでちょっと時間がかかっています。40年ほど前からの記録なので、その当時にしか見れなかったことも多々あります。例えば淡島阿弥陀堂の鰐口は(たぶん)盗られていて現存しません、ところが昭和50年、60年の冊子に記録が残っていて「延徳元年」作(1489年)の銘があったこと、鉄製で径が31.8㎝だったことが記されているのです。他の本に記載されていて、写真は残っているのですが残念なことに鮮明ではありません。他のところの鰐口も‘郷土’には記録されているのですが現存していないものがいくつかあります。

 現存していないことは悲しいことですが、先人の歴史探偵家の人たちが記録には残してもらっていたのは幸いと言ってもいいかもしれません。それにしても何処かに持ち去ってしまった‘罰当たりなヤツ’には、ほんとうにばち当たれ!と言いたいものです。
 すべてを読んでしまうにはもう少し時間がかかりそうです。先人が記録されたものを自分のものとして次のことに役立てればと思っています。

 今日の天気(

今日のこと 12/28

2019年12月28日 | 日記
     
           九日町通りで

 今日の熊日:新生面に「紙の本離れ」のことが話題になっていました。今年の書籍と雑誌を合わせた紙の出版物の販売金額は15年連続で前の年を下回る見通しがついたというのです。その大きな原因はネット社会への依存が大きくなっているからだろうと思われます。コラムの中に述べられているように‘日本人の基礎教養は長い時間をかけて「本」が作りあげた’とあります。本離れが続く日本の社会が今後どう変わっていくかを危惧されています。しかし、この流れを15年以上前に戻すことは不可能に近いと思います。本を読んでいう目標が変わってしまって元に戻ることは無理だろうと思います。comeback!という悲痛にも思える懐古的なやり方は空しいだけです。
 ネットからの情報収集という方法ももっともっと便利になるはずです。

 せめて、と思われることは、子どもたちには‘文字を読む’ということを徹底させたいということです。まずは、学校での‘教科書音読’です、小さいころから文字を声を出して読むというクセはつけさせるべきではないでしょうか。このクセから図書館に行って本を手に取らせるというところまでいくといいのでしょうが。いまの学校ではそこまでいっていないのでは。そして高学年、中学行へ・・・もう完全にネット社会に組み込まれてしまいます。その前に本(文字を読むこと)を刷り込ませるのが得策ではないのかな?
 私も1日・・30分~1時間の読書時間です。まだ本から得た知識が入ってきます。それが楽しみでもあります。そんな喜びを小さな子どもたちに身につけさせたいものです。

 今日の天気( 今朝は霧が深くて太陽が見えたのは11時くらいでした)

ようやく

2019年12月27日 | 日記
     
        今年の撮った写真でベストなひとつです、大柿毘沙門堂の毘沙門天像に踏みつけられている‘邪鬼’です。
        いま、この‘邪鬼’の写真を、踏みつけている毘沙門さんとともに撮っています。‘邪鬼’まできちんと
        作ってあるのはそう多くはないのです。この‘邪鬼’はいい顔?をしています。

 今年は土日がうまい具合にあって、今日は27日ですが官公庁では‘仕事納め’でした。1日早めの納めで、仕事始めも1月6日・・年末年始の休みは多くなってサラーリマンはちょっと儲けた感ではないでしょうか。

 私は昨日が(いちおう)仕事納めで、今日は一日中パソコンの前に座って年賀状に取り組みました。ようやく終わりました。明日朝から点検して郵便局に出しにいきます。
 年賀状も終活の一環にしなければならないものだと思っています。少しずつボツボツと閉じていこうと思っています。大先輩のK先生は去年に一気に閉じられました。一気に閉じることはできないので、少しずつかなと、去年より少なめに作りました。
 また、明日の投かんしますので遠くの方は1日(元旦)には今年も届きません、あしからず、すみません。

 年賀状は年々少なくなっているそうです、若い人の離れが一番の原因か、若い人はSNSという便利なる道具でOKなのでしょう。ちょっと寂しいけど世の流れなようです。

 今日の天気(

今日のこと 12/26

2019年12月26日 | 日記
 今日は今年最後の資料館勤務(28日にはちょっくらとは出かける予定ですが)でした。先日、借りてきたTakaさんの写真をスキャンしました。昭和17年8月15日下段橋落成記念と書かれた写真もありました。神官さんを中央にして橋をバックに撮られていました。ところがこの橋は2年後の19年水害で流されました。まだ木橋の時代です、大きな雨量には耐えきれなかったのでしょう、むかしの川は水害との戦いだったと思われます。
 Takaさんの分とスキャンは済ませていたyamaさんのものを印刷して(A3サイズ)、ラミネートをして掲示しました、展示するスペースがないのでちょっと苦労しました、見てもらわなければならないモノなので高さには苦慮しなければなりません。
 村内の方が見にこられて1時間ほど喋られて帰られました、(これは)と言って情報をいただきました。前に述べましたが1枚の写真でいろんなことを語れます。何人かで喋るといい物語ができると思います。今日もそんな話が聞けました。

         

 写真は山田小学校です。今の中央グラウンド時代の校舎です。子どもたちが遊んでいます。回旋搭で遊んでいます、今はこの遊具は危険遊具とされて撤去され見ることはできないと思います。1枚の写真でいろんなことが思い出せると思います。

 まだ年賀状は手を付けていません、明日にでも頑張ろうかな?

 今日の天気(&

20バーツ 

2019年12月25日 | 町内会活動
      

 12月1日の町内回覧で「年末助け合い袋募金」なるものをお願いしました。人吉市共同募金委員会、社会福祉協議会からのお願いです。市内の生活に困っている世帯、寝たきり・認知症高齢者介護世帯などへあたたかい正月を迎えていただくための見舞い金品として使われているものです。回覧で各世帯→班長さん→地区委員さんをとおして私のところへ、そして、今日、社協に届けてきました。町内全体で9万円ほどでした。みなさんの志に感謝したことでした。
 私は集まった袋を一括して届けただけでした。中身を確認することはできなかったからです。社協で1枚ずつ袋を開封されて集計されました。その中に写真のタイ国の20パーツ紙幣が4枚あったそうです。日本のお金しか扱えないということで返却されました。

       

 町内には縫製工場などがあって外国の人が働いています。その方たちの浄財ではないかと思って、わが家に帰ってからネットで交換レートを調べたら(3.71円)・・・約300円・・私が両替して追加で届けなおしました。銀行を通すと手数料も取られてイヤだったからです。外国から来ている人の温かい心遣いに感動したからかもしれません。クリスマスの日に気分の良い思いをしました。

 孫ムスメ②は夜にやってきたサンタさんのプレゼントに感謝して喜んでいました。ジイさんたのプレゼントもありました。

 今日の天気( → 

12月24日のこと

2019年12月24日 | 日記
      

 今日はクリスマス・イブ・・何故かしらGodに寛容な日本人は、今夜は似非クリスチャンに国民の多くがなっているのでは。どうしてこんなになんでも受け入れることができるのか、不思議でなりません、しかし、そこがこの国の人の好さなのかもしれません。
 ちょうど今読んでいる本(山崎正和:室町記)には、室町時代にザビエルが日本にキリスト教を伝えてからその信徒は中国やインドと比したらたいへん多かったそうです、その理由の一つとして「日本社会そのものの文化的柔軟さがあったことは忘れてならないであろう」と指摘されています。当時の京都では、‘洗礼を受けてロザリオを持ち歩くことが一種の流行’でもあったそうです。
 信長がブイブイ言っていたころのことです。そんな日本人の気質は今もそうは変わらないのかもしれません。世の中の闇で誰かが信長のようにブイブイと国民を躍らせているような気がします。むろん、信長のような露骨にではなくて、静かに潜行しながら操っているのです。私どもは黙され続けながら静かに踊っているのです。(アレクサ!クリスマス、プレゼント買ってきて)、私たちは従順なアレクサのようにご主人様の言うがままに今夜を迎えている気がするのですが。さーて、そんな夜に私は静かに少しばかりの晩酌でメリークリスマス!をしました。

 今日の天気(

遊び道具を手に入れて

2019年12月23日 | 日記
       

 先日、アマゾンのAlexaなるものを買ってきました。よくわからないままに何となく興味津々で、面白そうなので買ってきたのです。ところが箱の中には説明書らしきものはとても簡単なるものでした。いろいろと接続を試みましたが買ってきた日は無理でした。昨日はいろいろと試してみたら、ようやくつながりました。「アレクサ、カントリーミュージックをかけて」がいちばんは初めのお願い(要求)でした。スマホ上の説明によればいろんなことができるようです。しかし、便利がいいのやらどうなのやら!
 アマゾンの音楽(Music)は1ヶ月無料体験で聞けるとか、その後のことはあまり考えもせずに(OK)を押してしましました。また、いろんな利用ができるようなのですが、むろん使いこなすことは無理で、ほんの一部分を使うことになるのだと思います。そのことが人の生活に便利な道具ではあるのでしょうが、倖せ感につながるかどうかについては??です。ただ、これからの人にとっては必要なものであるような気がします。孫にはXmasか正月プレゼントにでもしようかなと思っているところです。
 70を過ぎたものにとんでもない道具が現れたものだと思いながらしばらく使ってみることにします。明日朝はAlexaに起こされる予定です。

 今日もほぼ一日中、昭和50年代の「郷土」を睨めこっこしていました。たいへん興味ある記事があってこれからの歴史探偵ごっこに役立てそうです。

 今日の天気(

冬至

2019年12月22日 | 日記
 ここ2年くらい前から夕方:夕食前には風呂に入るようになりました。むかしは寝る前に・・冬場は寝る前に温まってというように風呂を利用していましたが。今日は夕方6時ころに風呂に入りました。入ったら柚子が入っていました、その時今日は‘冬至だ!’と気づきました。今日は雨が降って‘冬至らしく’寒い一日になりました。孫ムスメ①は昨日からサッカーで佐賀遠征、孫ムスコも丸岡でサッカーでした。ぶるぶる震えながら帰ってきました。

  

         

 私は10時過ぎから合戦峰の“天子祭り”に、あいにくの雨だったので個人宅の納屋の軒先で準備の縄ないでした。タブノキに7周り半の大繩を巻かれます、(一ひろ)=1.7mを17ひろ・・・やく30mほどの長さの縄をなわれました。1時間半ほどかかっての準備、そして100mほど離れた‘天子’のタブノキに時計と反対周りに巻かれました。供え物をしてお詣りしての神事でした。どれくらい続いているのかはわかりませんが、景行天皇が熊襲征伐に来られたときの名残りだそうです。分かっていないことが多いのですがこの行事は延々と行われています。今年も寒い雨の中に行われました、私も寒い中に見学していました。

 今日の天気(