言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

道徳のこころ(続)

2019年02月17日 | 教育
    

 新しい言葉が続々です。カタカナ語はインテリの方たちが我こそはと新語開発?して使っています。カタカナを使うとインテリぽい言葉になるから不思議なことです。それに騙されている私たちもいけないのかもしれません。意味も分からないのに(ふふん!)と頷いて聞いているのですから。
 最近、私が知った言葉は(バイトテロ)です。これもカタカナですがインテリさんが造語したのではないと思います。マスコミかな。食に関する店に勤めている人が不衛生なことをしでかして、それを動画にして、インスタ、ツイッターなどに投稿していることです。不適切動画としてニュースでも取り上げられました。こんなことをして面白いのでしょうか。しでかしたら首になることは分かりきったことなはずです。
 やはり、(道徳のこころ)を小さいころから育むべきです。英語などはどうでもいいです、人間として(ヒトとして)いかにいくべきか!をきちんと身につけさせることが大切です。英語やほかの外国語はインテリさんにお任せです。

 今日は少し暖かかったのでウオーキングに出かけました。風はあったのですが冬の冷たい風とは違っています。2月も中旬なのでモンシロチョウもそろそろかな、と思って見渡しながら歩きましたが見当たりませんでした。もう、そろそろなはずです。

 今日の天気(

茨城から

2019年01月31日 | 教育
       

 今日は資料館勤務でした。いまは企画展もしていないので資料館はお客さんもなく閑散としたものです。資料館へも1週間に一度の勤務になってしまっています。ところが今日は!ちょっと(大)忙しでした。
 昼前に名古屋から6名の方、熊本地震の復興支援に来ておられる方(とその応援の方)でした、被災県民の一人としてお礼を述べておきました。
 3時前に茨城県からご婦人が1人で来られました。一向宗禁制の史料を見に来られたのです。別院によられて資料館のことを勧められたということでした。しっかりと見ていかれました。
 名古屋の方も茨城の方からも(一向宗禁制or山田伝助)のわかりやすい資料はないかと聞かれました。確かに私のつたない説明よりもペーパー1枚でもいいので、お持ち帰り史料があった方がいいよな!と思いました。すぐに作る自信はないのですがさっそく取り掛かりたいなと思いました。
 遠くから来てもらってお喋りすることで私自身も勉強になります。

 仏さまを資料館で預かって、というHelpのお願いもありました。これからこのようなお願いが増えるだろうと課長にも話しておきました。資料館が仏さまの寄託所になるということです。本当のことではないのでしょうが致し方ないことかもしれません。

 今日の天気(
 
 
  

英語か道徳

2019年01月30日 | 教育
       

 いま、特に小学校では(英語)(道徳)がキーになっているような気がしています。気がするというくらい・・・学校から遠ざかっています。でも、英語、道徳が話題になっていなければウソでしょう、です。

 英語のことから。あんまり頑張らなくてもよい教科だと思っています。そんなにやらなくてもよい学習です。忙しすぎる子どもたちには、その脳に英語力を詰め込む余裕がないはずなのです。もう一つはAIの出現です。スマホなのかもしれません。私どもが掛け算や割り算のひっ算で苦労していたことが、いまや安い電卓が肩代わりしてくれています。外国の人と英語で会話するということはスマホが代替わり(活躍)してくれそうなのです。それにボタン一つで中国語やフランス語の会話ができるはずです。

 それに比べて、‘道徳’はAIやスマホではぜったい無理なのです。ひとの心に関わることだからです。教科になったという意味合いは教育現場での努力義務になったということではないでしょうか。むろん学校任せではなくて地域や家庭の頑張りが求められます。
 私は英語よりも道徳教育の充実の方がより学校に求められている気がしています。これから指定校を受けようとしている学校には‘道徳’で手を挙げられることを提案します。これからは「道徳の時代」なはずです。

 今日は曇っていても寒さはそれほどではなかったのですが冬空の一日でした。

 今日の天気(

プロかアマか

2019年01月29日 | 教育
     

 プロなのかアマなのかということでの私見を。

 どうも昨今の‘働き方改革’の方向性が気にいらないのです。‘働きたくない改革’に思えることがあるのです。働きすぎはいけないと思います。心にも体にもよくないことです。
 (個人差もあるのでしょうが)働きすぎというのは残業時間という単位では測れないのではと思っています。

 大相撲:玉鷲さんのことを。お相撲さんですからプロのスポーツ選手です。練習(稽古)が仕事で、その結果を本場所で試されている職種ではないでしょうか。だから、練習(稽古)が好きでないお相撲さんは強くならないはずです。1日何時間の練習では足りないのでは?

 学校の先生も‘プロの教育者’だと思うのです。お相撲さんと違うのは給与体系・・・決まったサラリーです。
 しかし、プロになるということは同じだと思うのです。時間では割り切れないものがあるはずです。一人前になるには時間も必要なのです。大学出て1年目から目の前には子どもたちがいるのです。10年、20年経ってから・・・と待ってはくれないのです。だから、給与をうんとあげて、努力に見合うくらいのサラリーを!と思うのです。‘国の宝’を育てている学校の先生たちです。お医者さんとかわりないくらいの給与を出すべきだと思います。こんな分かりきったことを何故、国会の場で議論為されないのでしょうか。

 今日も昼間はポカポカ陽気でした。

 今日の天気(

時短

2019年01月26日 | 教育
         

 新聞で中教審が時短答申をしたという記事がありました。長時間労働が常態化していて‘働き方改革’の波にのっての答申だろうと思います。(ブラック学校)と呼ばれているようで、それでは私の若いころは何だったんだろうと思いました。ただ、(残業上限指針)、(部活動の時間)等を見直すくらいでは実効性ははかられないのではと思いました。机上の空論のような感が強いです。

 前々から述べているように、先生たちには時間も必要なのです。(教材研究をしなければ質の高い授業はできない)と思います。とくに若い先生にはそのことが望まれます。時間をかければよいことばかりではありませんが、時間をかけなければできないこともあるわけです。学校の先生は特殊な仕事・職種だと思っています。残業時間の上限を月45時間にしたから問題が解決するわけではありません。
 これも前々から主張しているのですが、たいへんな仕事をしている人には多くの給与を支払えばいいのです。そのことを承知で教員になればいいと思います。メチャクチャに残業せよ!と言っているのではないのです。しなければならないときは(する)ということです。
 教員の指導力が落ちると、子どもの学力が落ちます、すると数十年後の日本の国力も落ちます。先の先のことを考えて答申は示すべきではと思いました。

 今夜はこれから呑み会です。教育関係者の集合です。

 今日の天気(

特別の教科

2018年12月06日 | 教育
      

 いまは道徳のことは(特別な教科である道徳)と正式には呼ばれ、道徳科を要として道徳教育が行われるようになってきています。(もう、教育界とは離れ去っているのでいささか間違って理解しているかもしれません。)
 今回、深田小で道徳の授業をお手伝いするにあたって‘道徳の解説書(むかし指導書といっていたもの)’を買い求めました。近くの書店では売っていなくてネットで買ったら本体は135円なのに送料の方がうんと高かったです。まだ、十分に読んではいませんがボチボチ読んでみようと思っています。
 
 いま、中国で「熊孩子」と呼ばれ‘暴れる子熊’としてわがまま三昧の子どもたちのことが社会問題化しているのだそうです。小学生くらいの子どもがいるようです。渋谷ではハロウィンのとき‘おバカな若者’が軽トラをひっくり返して4人逮捕されました。高速道路であおり運転をして2人の人を間接的に死亡させるという事件も起きました。どの事案も、人としていちばん当たり前の資質(善悪の判断)が欠如しているからだと思われます。
 学校教育の中で‘特別な教科’として道徳性を身につけさせなければならないとは、ちょっと残念なことではあります。本来は家庭や地域社会で身につけなければならないことです。でも、今のような社会状況では致し方ないことかもしれません。たいへんなのは先生方です、ましてや‘評価’までしなければならないとは、なおのことたいへんです。
 私も地域社会の一員として子どもたちの道徳性を育てるためにお手伝いをしていこうと思ったことでした。

 今日の天気(

 大人の道徳性に一つに「功徳」という徳目があると思っています。(神仏からよい報いを与えられるような、よい行い、世のため、人のためになるよい行い)です。少し、浄財を施すことで得られることでもあります。
 
    

  万江霧島神社 石灯籠火袋修復のためにご寄付をお願いします。功徳につながることです。
     

学ぶということ

2018年11月09日 | 教育
     

 「学ぶ」ということについての格差を教員現役の頃から感じていました。都会と田舎の格差です。いま、多くの方が思っている‘学力’と言っていいと思います。やはり都会の方が学ぶ場所としては「得」していると思います。都会だと人もモノ多いです、多いというだけで学べることも豊かです。私がよく例に出すのは(あまりいい例えではないのですが)、都会には‘駐輪場’はあるが田舎にはないということです。田舎には‘自転車置き場’はあっても‘駐輪場’はないのです。だから、私のような田舎者が都会に行って(ちゅうりんじょう)という言葉を聞いても意味も分からないし漢字でも書けないと思います。そんな差がたくさんあり過ぎるのです。

 駐輪場ならまだしも文化的施設が田舎には少ないのです。野球場などのスポーツ施設もです。文化的やスポーツイベントに触れたければ時間をかけて出かけていかねばならないのです。ちょっと大きなハンディです。先日出かけた「蒙古襲来絵詞展」も1時間半ほど車で出かけなければなりません。高速代も往復4000円ほどかかります。この展示会で子ども向けのワークショップが計画されています。「自分だけの蒙古襲来絵詞を作ろう!」とありました。小中学生先着20名定員です。たぶん、人吉球磨の子どもたちは誰もいかないでしょう。熊本市周辺の子どもたちだけと予想されます。ほら!また、ここにも格差が!!
 こんなことの積み重ねが中学生、高校生~大人になったときにボディブローのように効いてくるのです。その経験を50年ほど前に私は経験しました。

 ちょっとだけでも足しにならないかと思って、ほとけ展の関連イベントとして‘子ども文化財探検隊’をしようと呼びかけました。希望をとったら2名だけでした。2名ではちょっと?ということで昨日になって中止にしました。せっかく企画したのに!という残念さがありました。でも内容的に2名では意味ないと判断したのです。今日になって2名も手を挙げてくれたのだから、やるべきだったかなとも反省しています。
 今の子どもたちは忙しいのです。しかし、少ない学ぶ機会を逃していたらそれこそ格差は広がるばかりです。自分から進んですることも‘学び’です。大人ももう少し背中を押してやったほうがいいのかもしれません。どうしても消極的な田舎の子どもたちです。‘学力’というのは‘学ぼうとする力’でもあります。がんばれ!田舎の子どもたち!です。負けるな!です。

 今日の天気(→時々

思うこと

2018年09月17日 | 教育
      
  
 ハラスメントとは、‘嫌がらせ、いじめ’などの意味があるようです。定義は‘他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えること’を指すとあります。ネットで見たら、35種類。セクハラ、パワハラは私も聞きなれた言葉でしたが、セカンドハラスメント、ジェンダーハラスメント、アカデミックハラスメント・・・と聞きなれないものがほとんどでした。
 法的なことをいうと(私も詳しくないのですが)きちんとした法的な整備はこれからで、まだ、たとえば男女雇用機会均等法で措置されているくらいだと認識しています。(判例はわかりません)したがって、まだ道義的な問題でいろいろとあっていて法的なことはこれから(でも難しい)ではないのでしょうか。
 
 なぜ、今日はこのことを取り上げたかというと、スポーツ界において問題噴出しているからです。このことの原因(?)はマスコミ。アメフト→体操→重量挙げ・・・途中にまだあったかもしれません。過去にもあったような気がします。この次は〇〇協会なはずです。
 日本のスポーツ界は・・・かつて、ひょっとすると今も・・・そのような体質であったはずです。今&これからは‘暴力による指導’はありえないことです。気になることは、何時まで遡ってこのことを話題にするの?ということです。遡ることは結構なことです、でもキリがないことです。昨今は協会内の勢力争いからマスコミ報道になっているような気がするのですが。
 
 今はスポーツ界も教育界もそのような指導はあり得ないと反省し、正常な指導があっているはずです。もし、これからそのような指導があったとすれば厳重な処罰が必須だと思います。教育界の部活動指導ではなおさらのことです。しかし、まだ世の中の流れを理解していない先生がいることも確かなようです。(ご用心です)まず。その担当先生に任せっきりではなく、管理職or第三者の先生が見ていくべきです。先ずは内部で自己確認をしていくことをお勧めします。

 この問題の噴出は、成長しすぎてしまった日本という国のせいかもしれません。個人第一主義です、したがってしゃかりきになるな!学校の先生たちです、たぶん、そのうちに学力のことも先生たちの力には頼らない社会が来るはずです。いや、もう、高校や中学までは来ているのかもしれませんよ。‘学力’は塾任せなのですから。ギョ!ギョ!ギョ!です。

 今日の天気(

 

置き勉、だそうです

2018年09月07日 | 教育
       
     
 先日からのニュースでも今日の熊日“射程”にも「置き勉」のことがありました。教員を何十年もしていましたが「置き勉」なる言葉は初めて聞きました。報道されている通りにランドセル(の中身)は重くなったのだと思います。重くなったのにはそれなりの理由があるようです。1つくらいだと何百gなのでしょうが、いくつも要因があるからKg単位で重くなったのだと思います。
 
 軽くするには、いろいろとあると思います。以下、思いつくまま書き出してみます。(ほとんど無責任論です)
 1 教科書の紙質を悪くする。むかしはぼろい紙でした。よく破れていました。いまのは良いです。カラーにもなっているので尚更なのでしょう。紙質がよいということは重くなると思います。ページ数が多いのは文科省のせいです。ページが増えたときは1冊ではなく分冊にしなければ仕方ないことです。教科書の紙のことはいい面悪い面があるようです。
 2 教科書以外のものが多すぎる。資料集、問題・ドリル集などのことです。これは学校の責任。私はこれを少なくすべきだと今でも思っています。いらないもの、使わないものが多すぎるのです。たぶん100ページのものは半分も使いこなしていないはずです。買う方も悪いが、作る側(編集)も悪いです。量より質を考え直すべきです。
 3 「置き勉」は仕方ないことでしょうが、アメリカみたいに個人ロッカーがあるわけではなく教室後ろの棚くらいでは間に合わないでしょう。しかし、現実的にはこの対応しかないのではないでしょうか。学期や学年終わりにどさっと持ち帰ることは心配ですが。
 
 私の意見としては、さしおり3、将来的には1や2のことを考えていく必要はあるようです。“射程”にもあるようにしっかり議論が必要だと思います。それも実効性を伴う議論を!です。

 天候が秋らしくなってきました、今日からの雨は秋雨前線でしょうか、一雨ごとに涼しくなっていくのでしょう。

 今日の天気(

夏休みの宿題のこと

2018年08月29日 | 教育
     
 
 漫画のことを予定していましたが、‘夏休みの宿題’のことに話題変更します。
 どのくらいの地域・学校で夏休みが終わり、2学期が始まったのでしょうか。まだNHKラジオでは‘こども電話教室’が行われています。聞いていて凄い!質問と思ったのは(どうして、魚は食べられないように進化しなかったのですか?)というのでした。確かに‘弱者’はそれをカバーするように進化しているものです。必要なものは補って要らないものは捨てて!です。回答される先生もちょっとたじたじの質問でした。子どもたちの素朴なる、鋭い質問が聞けるので楽しい番組です。

 夕方のテレビニュースで(夏休み宿題)のことが話題に上っていました。‘宿題代行業者’なるものがあるのだそうです。夏目漱石の坊ちゃんの読書感想文が‘777円’だそうです。木工工作の作品などが売ってある?・・・のだそうです。確かにネットで調べてみると作文や読書感想文は過去の優秀作品が掲載されています。それを適当にアレンジして書き写すと先生にもバレないのではないか思いました。

 昨日に述べたように(学校は世間と遊離してはならない)のです。うっちょかれてはならん!のです。宿題と云われるものの在り方を考え直さなければならんのです。それには‘アクティブな宿題’を考えなければです。そこには一斉ではなく個に応じたです。十人十色の宿題が必要なのかもしれません。市販の、国や県や教材屋さんに頼って・・・終わりを告げているはずです。‘魚の進化を疑問視できるような子ども’の出現が日本の将来を救うような気がするのです。先生たちの能力と努力と体力が求められているかもしてません。たいへんだけど、がんばれ!先生たち。

 今日の天気(