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■【きょうの人】 0921 吉田松陰 熱い心の持ち主 名言「至誠」は座右の銘

2020-09-21 08:46:00 | 【話材】 きょうの人09月

■【きょうの人】 0921 吉田松陰 熱い心の持ち主 名言「至誠」は座右の銘

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 吉田松陰 熱い心の持ち主

 よしだしょういん
 文政13年(1830年)8月4日(西曆9月20日)、長州萩城下松本村(現:山口県萩市)に生誕
 安政6年10月27日(1859年11月21日)、伝馬町牢屋敷にて死刑が執行された。享年30(満29歳没)

長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範でもあります。明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られています。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた人です。


 幕末の志士吉田松陰は、海外事情を学ぶため、鎖国の禁を犯し、密航することを決意しました。

 長崎に来航したロシア船への便乗を佐久間象山に薦められ急行しましたが間に合わいませんでした。翌嘉永7年(1854)3月、来航したペリー艦隊の後を追って、弟子金子重輔と下田へ来ました。

 機をうかがい、夜中に下田市柿崎より小舟でペリー艦隊ポーハタン号に漕ぎ着け、渡米を懇請しましたが、ペリーに拒絶されてしまいました。

 壮図むなしく破れた松蔭等は、潔く自首し、拘禁された場所が、下田市宝光院長命寺(廃寺)でした。

 さらに平滑の獄に移され、同年4月11日は、江戸伝馬町の獄に送られました。

 松蔭等が、下田に滞在した期間は、24日の短いものであり、また海外渡航は失敗に終わりましたが、その行動は幕末開港の歴史に欠くことのできない重要な一ページを刻むものであり、後に与えた影響は大きかったといえます。(【Wikipedia】および下田市史蹟紹介立て看板をもとに作成)


  吉田松陰密航関連ページ

 

 

【名言】 私の座右の銘

 

  至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり

 

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

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 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

 

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■【きょうの人】 0920 吉田松陰 「至誠」という言葉が好きです

2020-09-20 08:46:00 | 【話材】 きょうの人09月

■【きょうの人】 0920 吉田松陰 「至誠」という言葉が好きです

 

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 吉田松陰 「至誠」という言葉が好きです


 よしだしょういん
 文政13年(1830年)8月4日(西曆9月20日)、長州萩城下松本村(現:山口県萩市)に生誕
 安政6年10月27日(1859年11月21日)、伝馬町牢屋敷にて死刑が執行された。享年30(満29歳没)

長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範でもあります。明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られています。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた人です。


 幕末の志士吉田松陰は、海外事情を学ぶため、鎖国の禁を犯し、密航することを決意しました。

 長崎に来航したロシア船への便乗を佐久間象山に薦められ急行しましたが間に合わいませんでした。翌嘉永7年(1854)3月、来航したペリー艦隊の後を追って、弟子金子重輔と下田へ来ました。

 機をうかがい、夜中に下田市柿崎より小舟でペリー艦隊ポーハタン号に漕ぎ着け、渡米を懇請しましたが、ペリーに拒絶されてしまいました。

 壮図むなしく破れた松蔭等は、潔く自首し、拘禁された場所が、下田市宝光院長命寺(廃寺)でした。

 さらに平滑の獄に移され、同年4月11日は、江戸伝馬町の獄に送られました。

 松蔭等が、下田に滞在した期間は、24日の短いものであり、また海外渡航は失敗に終わりましたが、その行動は幕末開港の歴史に欠くことのできない重要な一ページを刻むものであり、後に与えた影響は大きかったといえます。(【Wikipedia】および下田市史蹟紹介立て看板をもとに作成)

 

  伊豆下田・爪木崎1  下田市内
  伊豆下田・爪木崎2  昭和天皇歌碑、爪木崎・咲く岬とする灯台 
  伊豆下田・爪木崎3  爪木崎 花咲く岬と白く花開く波
  伊豆下田・爪木崎4  玉泉寺、ハリスの小道、寝姿山、至誠通天碑 
  伊豆下田・爪木崎5  宝福寺1 本堂、庭、お吉の墓、ボケ地蔵 
  伊豆下田・爪木崎6  宝福寺2 お吉記念館、龍馬・容堂謁見の部屋 
  伊豆下田・爪木崎7  了仙寺 日米和親条約付録下田条約締結の地 
  伊豆下田・爪木崎8  長楽寺 日露和親条約締結の地、日米和親条約批准の地 
  伊豆下田・爪木崎9  稲田寺(唐人お吉の恋人が眠る)、海善寺 
  伊豆下田・爪木崎10  八幡神社 下田の鎮守社で夏祭は有名 
  伊豆下田・爪木崎11  大安寺 将軍献上品にまつわる悲話 
  伊豆下田・爪木崎12  本覚寺 吉田松陰拘禁の跡 泰平寺
  伊豆下田・爪木崎13  ペリーロード お吉を忍ぶ散策の小径
  伊豆下田・爪木崎14  下田公園 四季折々の花と眺望

 

 

 

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■【きょうの人】 0919 成賢 生涯に御修法を39回も

2020-09-19 08:46:00 | 【話材】 きょうの人09月

■【きょうの人】 0919 成賢 生涯に御修法を39回も

 

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■ 成賢 生涯に御修法を39回も


 成賢(じょうけん/せいけん)は、1162(応保2)年に生誕、1231年10月16日(寛喜3年9月19日:没日)に歿した、鎌倉時代前期の真言宗の僧です。藤原南家の出身で、遍智院僧正、宰相僧正とも称されました。 (【Wikipedia】)

 若いころは醍醐寺で修行し、諸経論を学び、生涯に御修法を39回も行いました。

 御修法(みしほ、みしゅうほう)とは、比叡山根本中堂で、「長日御修法」と、毎年4月4日より7日間にわたる「御修法大法」の2種類があります。

「御修法大法」は、延暦寺の年中行事のなかでも最も重要な法儀で、古来の伝統に従って厳修される天台密教最高の秘法です。(延暦寺公式サイトより)

 成賢は、厳しい御修法大法という、横になって寝ることも禁じられている修行を39回も行ったといいますので、大変な体力だけではなく、強い気力の持ち主だったようです。

 

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■【きょうの人】 0918 芹沢 鴨  新撰組初代筆頭局長

2020-09-18 08:46:00 | 【話材】 きょうの人09月

■【きょうの人】 0918 芹沢 鴨  新撰組初代筆頭局長

 

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■ 芹沢 鴨  新撰組初代筆頭局長


 せりざわ かも、芹澤 鴨
 天保3年(1832年)? - 文久3年9月16日(1863年10月28日)もしくは9月18日(10月30日)

 幕末の水戸藩浪士で壬生浪士、すなわち新選組の初代筆頭局長です。

 前名は、下村嗣次(継次、嗣司、嗣治とも)といわれています。諱は、光幹で、本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏とされていますが、実際は出自、出生年に諸説があり、確定されていません。

 江戸で結成された浪士組に新見錦・平山五郎・野口健司・平間重助等を伴い参加し、六番組小頭に任命されました。

 芹沢らは、八木邸を屯所として(後に前川家と南部家にも寄宿)、この前後より「壬生浪士」と称され始めました。

 その際、内部抗争が起き、暗殺され、仲間も離脱しますと、壬生浪士は、芹沢派と近藤派が牛耳ることになりました。

 内部抗争が激化し、大坂町奉行所与力・内山彦次郎がこれを問題にして近藤を怒らせ、のちに新選組により暗殺されました。

 

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■【きょうの人】 0917 芹沢 鴨  新撰組初代筆頭局長

2020-09-17 08:46:00 | 【話材】 きょうの人09月

■【きょうの人】 0917 芹沢 鴨  新撰組初代筆頭局長

 

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■ 芹沢 鴨  新撰組初代筆頭局長

 

 せりざわ かも、芹澤 鴨
 天保3年(1832年)? - 文久3年9月16日(1863年10月28日)もしくは9月18日(10月30日)

 

 幕末の水戸藩浪士で壬生浪士、すなわち新選組の初代筆頭局長です。

 前名は、下村嗣次(継次、嗣司、嗣治とも)といわれています。諱は、光幹で、本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏とされていますが、実際は出自、出生年に諸説があり、確定されていません。

 江戸で結成された浪士組に新見錦・平山五郎・野口健司・平間重助等を伴い参加し、六番組小頭に任命されました。

 芹沢らは、八木邸を屯所として(後に前川家と南部家にも寄宿)、この前後より「壬生浪士」と称され始めました。

 その際、内部抗争が起き、暗殺され、仲間も離脱しますと、壬生浪士は、芹沢派と近藤派が牛耳ることになりました。

 内部抗争が激化し、大坂町奉行所与力・内山彦次郎がこれを問題にして近藤を怒らせ、のちに新選組により暗殺されました。

 

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■【きょうの人】 0916 後醍醐天皇 南北朝時代の主役

2020-09-16 08:46:00 | 【話材】 きょうの人09月

■【きょうの人】 0916 後醍醐天皇 南北朝時代の主役

 

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■ 後醍醐天皇 南北朝時代の主役


 ごだいごてんのう
 別称 吉野院、元徳院、元応帝
 1288年11月26日〈正応元年11月2日〉- 1339年9月19日〈延元4年8月16日〉

 大覚寺統・後宇多天皇の第二皇子で、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇で、南朝の初代天皇(在位:1318年3月29日〈文保2年2月26日〉-1339年9月18日〈延元4年/暦応2年8月15日〉です。

 鎌倉幕府を倒して、建武新政を実施しましたものの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立しました。

 元弘の乱(元弘の変)により、元弘2年 / 正慶元年(1332年)隠岐島に流されました。この時期、後醍醐天皇の皇子護良親王や河内の楠木正成、播磨の赤松則村(円心)ら反幕勢力(悪党)が各地で活動していました。

 元弘3年 / 正慶2年(1333年)、名和長年ら名和一族を頼って隠岐島から脱出し、挙兵します。これを追討するため幕府から派遣された足利高氏(尊氏)が後醍醐方に味方して、六波羅探題を攻略しました。

 その直後に東国で挙兵した新田義貞は鎌倉を陥落させて北条氏を滅亡させることにつながります。

 

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■【きょうの人】 0915 ■ 覚猷 鳥獣戯画の作者と言われる ■ 伊達 政宗 伊達男 独眼竜の野望

2020-09-15 08:46:00 | 【話材】 きょうの人09月

■【きょうの人】 0915 ■ 覚猷 鳥獣戯画の作者と言われる ■ 伊達 政宗 伊達男 独眼竜の野望

 

 

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■ 伊達 政宗 伊達男 独眼竜の野望


 だて まさむね
 永禄10年8月3日(1567年9月5日、グレゴリオ暦1567年9月15日)-寛永13年5月24日(1636年6月27日)

 出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主です。近世大名としては仙台藩の初代藩主です。

 幼名が梵天丸であることはよく知られています。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、「独眼竜」の異名があります。没後は、法名から貞山公と尊称されています。

 天正17年11月、後北条氏が真田領へ侵攻したことにより、豊臣氏により征伐が行われることになりました。政宗は父・輝宗の時代から後北条氏と同盟関係にありましたので、再三の、秀吉からの督促にもかかわらず、秀吉と戦うべきか小田原に参陣すべきか、直前まで迷っていたといいます。

 最終的には、秀吉に恭順の意を示すのですが、その際に、白装束(死人の装束)で臨んだことは有名です。

 秀吉・文禄の役では、派手な装いで軍を引き連れ、そのことから派手好みに着こなす人を指して「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになりました。今日の「伊達男」に通じます。

 

■ 覚猷 鳥獣戯画の作者と言われる


 かくゆう
 天喜元年(1053年)- 保延6年9月15日(1140年10月27日)

 平安時代後期の天台僧で、鳥羽僧正(とばそうじょう)とも呼ばれます。日本仏教界の重職を務めた高僧であるのみならず、絵画にも精通し、現在高山寺が所蔵します、鳥獣人物戯画などの作者に擬せられています。そのユニークでユーモアあふれる作風から、漫画の始祖とされます。

 覚猷は、1053年に源隆国の第九子として出生し、若年時に出家しました。園城寺にて天台仏教・密教を修めながら、画技にも長じるようになりました。

 長らく園城寺法輪院に住し、密教図像の集成と絵師の育成に大きな功績を残したほか、自らの画術研鑽にも努めました。

 四天王寺別当、法成寺別当、園城寺長吏など大寺社の要職を歴任する間、1132年には僧正へ、1134年には大僧正へ任じられました。

 1138年、47世天台座主となりましたが3日で退任し、鳥羽上皇が住む鳥羽離宮の証金剛院へ移り、同離宮の護持僧となりました。それ以後、鳥羽僧正と呼ばれるようになりました。

  【カシャリ! ひとり旅】 高山寺
  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_kousanji.htm

 

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■【きょうの人】 0914 崇徳天皇 和歌に優れ没頭しすぎて・・・

2020-09-14 08:46:00 | 【話材】 きょうの人09月

■【きょうの人】 0914 崇徳天皇 和歌に優れ没頭しすぎて・・・

 

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■ 崇徳天皇 和歌に優れ没頭しすぎて・・・


 すとくてんのう
 1119年7月7日〈元永2年5月28日〉- 1164年9月14日〈長寛2年8月26日〉

 第75代天皇(在位: 1123年2月25日〈保安4年1月28日〉- 1142年1月5日〈永治元年12月7日〉)で、諱は顕仁(あきひと)です。

 鳥羽天皇の第一皇子で、母は中宮・藤原璋子(待賢門院)という、素晴らしい血統を引き継いでいます。譲位後は新院、しかし、その後、平安時代末期の1156年(保元元年)に、貴族の内部抗争である保元の乱で、後白河天皇に敗れ、讃岐に配流後は讃岐院とも呼ばれました。

 崇徳院は、在位中から頻繁に歌会を催し、太上天皇になってからは和歌の世界に没頭しました。鳥羽法皇が和歌に熱心でなかったことから、当時の歌壇は崇徳院を中心に展開しました。

 鳥羽院とうまく行かず、上皇としては実権がありませんでした。保元の乱後、鳥羽法皇が崩御しても、その地位は快方に向かわず、讃岐に流罪となってしまいました。

 雨月物語に代表されますように、崇徳院の怨念が数々の禍を引き起こしていると、非難囂々の晩年でした。

 

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■【きょうの人】 0913 棟方 志功 20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人

2020-09-13 08:46:00 | 【話材】 きょうの人09月

■【きょうの人】 0913 棟方 志功 20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人

 

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■ 棟方 志功 20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人


 むなかた しこう
 1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日)

 日本の板画家であり、20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人といえます。

 青森県出身で、川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意したといわれています。

 1942年(昭和17年)以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けました。

 はじめは帝展や白日会展などに油絵を出品しても落選が続きましたが、1928年(昭和3年)、第9回帝展に「雑園」(油絵)を出品し、入選しますと、頭角を現してきます。

 1930年(昭和5年)から文化学院で美術教師を務め、日本版画協会の会員ともなっています。

 1956年(昭和31年)には、ヴェネツィア・ビエンナーレに「湧然する女者達々」などを出品し、日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞しました。

 棟方は大変な近視であり、眼鏡が板に付く程に顔を近づけて、軍艦マーチを口ずさみながら板画を彫ったというエピソードが伝わっています。

 第二次世界大戦中、富山県に疎開して浄土真宗にふれたのげ契機となり、仏を在々にした作品が高い評価を得ることになります。

 「阿弥陀如来像」「蓮如上人の柵」など、私が好きな作品が多数あります。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

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◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

 

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■【きょうの人】 0912 普明国師(春屋妙葩) 室町時代の禅僧、臨済宗相国寺の第二世

2020-09-12 08:46:00 | 【話材】 きょうの人09月

■【きょうの人】 0912 普明国師(春屋妙葩) 室町時代の禅僧、臨済宗相国寺の第二世

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 普明国師(春屋妙葩) 室町時代の禅僧、臨済宗相国寺の第二世


 ふめいこくし  しゅんおく みょう
 応長元年12月22日(1312年1月31日)-元中5年/嘉慶2年8月12日(1388年9月12日)

 

 室町時代の臨済宗の禅僧で、室町幕府の帰依を得て臨済宗相国寺の第二世となりました。事実上の開山国師です。

 五山文化の発展に寄与した。ほかに天龍寺や臨川寺の住職をしています。

 春屋は道号、別号に芥室、不軽子など。諡号は知覚普明国師です。

 母方の叔父である夢窓疎石のもとで受戒すると天龍寺の住職となりました。室町幕府に対して、五山第一の南禅寺の楼門(山門)新築を提言しました。

 幕府は楼門建設の援助をしましたが、南禅寺と紛争状態であった園城寺がこれに強く抗議をしました。

 比叡山の門徒もこれに加わり楼門撤去や妙葩の配流を求め、紛争は政治問題にまで発展してしまいました。

 妙葩は頼之と対立して天龍寺住職を辞して阿波国光勝院、さらに丹後国雲門寺に隠棲することになりました。

 1379年(康暦元年/天授5年)の康暦の政変で頼之が失脚した後に入京し、南禅寺住職として復帰しました。

 

 

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