■【きょうの人】 0921 吉田松陰 熱い心の持ち主 名言「至誠」は座右の銘
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■ 吉田松陰 熱い心の持ち主
よしだしょういん
文政13年(1830年)8月4日(西曆9月20日)、長州萩城下松本村(現:山口県萩市)に生誕
安政6年10月27日(1859年11月21日)、伝馬町牢屋敷にて死刑が執行された。享年30(満29歳没)
長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範でもあります。明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られています。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた人です。
幕末の志士吉田松陰は、海外事情を学ぶため、鎖国の禁を犯し、密航することを決意しました。
長崎に来航したロシア船への便乗を佐久間象山に薦められ急行しましたが間に合わいませんでした。翌嘉永7年(1854)3月、来航したペリー艦隊の後を追って、弟子金子重輔と下田へ来ました。
機をうかがい、夜中に下田市柿崎より小舟でペリー艦隊ポーハタン号に漕ぎ着け、渡米を懇請しましたが、ペリーに拒絶されてしまいました。
壮図むなしく破れた松蔭等は、潔く自首し、拘禁された場所が、下田市宝光院長命寺(廃寺)でした。
さらに平滑の獄に移され、同年4月11日は、江戸伝馬町の獄に送られました。
松蔭等が、下田に滞在した期間は、24日の短いものであり、また海外渡航は失敗に終わりましたが、その行動は幕末開港の歴史に欠くことのできない重要な一ページを刻むものであり、後に与えた影響は大きかったといえます。(【Wikipedia】および下田市史蹟紹介立て看板をもとに作成)
吉田松陰密航関連ページ
【名言】 私の座右の銘
至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり
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【 注 】
【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。