■【きょうの人】 0617 ■ 阿部 正弘 江戸幕府の老中首座 ■ 興教大師降誕会
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■ 興教大師降誕会
興教大師(こうぎょうだいし)覚鑁(かくばん)上人は、嘉保2年6月17日(1095)、肥前国藤津庄(現在の佐賀県鹿島市)に生誕しました。
13歳の夏上京、仁和寺の寛助大僧正のもとで出家した後、奈良で本格的な勉強を始めました。20歳の時、東大寺戒壇院で受戒、覚鑁と改めました。
のちに高野山で約10年修行、当時衰微しつつあった高野山の復興を志します。伽藍の復興、高野山の運営の革新などをも断行しました。
勅命によって諸国の名師を訪ね、真言諸派の秘奥を探り、宗学を大成しました。
永年、京都東寺の支配下にありました高野山を独立させ、真言宗団の中興に寄与しました。
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■ 阿部 正弘
あべ まさひろ
文政2年10月16日(1819年12月3日)- 安政4年6月17日(1857年8月6日)
江戸時代末期の備後福山藩第7代藩主で、江戸幕府の老中首座を務め、幕末の動乱期にあって安政の改革を断行しました。
天保15年(1844年)5月に江戸城本丸焼失事件が起こり、さらに外国問題の紛糾などから水野忠邦が老中首座に復帰することになりました。
しかし正弘は、一度罷免された水野が復帰することに反対し、家慶に対して将軍の権威と沽券を傷つけるものだと諫言したといわれます。
水野が復帰しますと、天保改革時代に不正などを行っていた町奉行鳥居忠耀や後藤三右衛門、渋川敬直らを処分し、さらに弘化2年(1845年)9月には老中首座であった水野忠邦をも天保の改革の際の不正を理由にその地位から追い、代わって老中首座となりました。
また、薩摩藩の島津斉彬や水戸藩の徳川斉昭など諸大名から幅広く意見を求め大胆な人材登用を行いました。
ペリーの再来により、日米和親条約を締結させることになり、約200年間続いた鎖国政策は終わりを告げさせることになります。
開国派であった井伊直弼らと反りが合わず、開国派の堀田正睦を老中に起用して老中首座を譲り、両派の融和を図りました。
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【 注 】
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