心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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母の悩みは

2016年04月19日 | 母のこと
このところ母の悩みは……、台所のクロスとカーペットをどれにするかということ。
業者さんから渡されたサンプル帳はとても厚くて、母にとっては一枚一枚めくるのも一苦労。カーペットの方はまだいいのですけどね。クロスがねぇ。

で、毎日にらめっこ。
小さいサンプルだけでは全体の雰囲気がなかなか伝わらなくて、ふたりでああでもないこうでもないと。
でもねぇ。所詮この台所だよ、なんだかなあって、結局そこに行きつくわけです。
立派な家ならまだしもこんなちっちゃい家でああだこうだと言ってもなあって感じですかね。
でも、決めないと業者さんも困ります。

今日は大工さんに聞いてみました。
やはり専門家は違いますね。数年先まで見ている。しっかりと教えてもらいました。でも最後はその家の人の好みだからねぇって言われましたけど。
わたしは番外だし、やっぱり母の好みで決めるしかないなって思います。
明後日まではたして決めることができるかしらね。

今日はキッチン下の水回りを一生懸命業者さんが動きまわっていました。
わたしも母もリフォームをなめてかかっていました。
簡単にできるとばかり思っていましたが、すごく手間がかかる、新築よりも解体して新しくするってどれだけ大変なんだ! って感じです。しかも生活する人がいる中での工事ですから、やりにくいことこの上なしって感じだろうな。
互いに気を使い合いながらの毎日、って感じです。

それでもお風呂が出来、キッチンの解体が済み、壁が見えてくるとあぁこれから変わっていくんだなあという気分に。日々変化。その変化がだんだんわくわくするものになってきました。
できれば満足するものを選びたいもの。母にとっては毎日目にするクロスやカーペットです。しっかり選びたいのになんだかあれこれ迷ってばかりのようです。
終いにはわたしに決めてくれって!
それは絶対ごめんこうむりたい。やっぱり母の好きなものを選んでほしいのよぉ♪



1時半から目が覚めてしまいました

2016年04月19日 | ほんのすこし
昨日、わたしの体は興奮状態だったのだろうか。
9時には眠りが襲い、起きていることができずそのまま布団へ。
今日は朝早く母のところに行き、燃えるゴミ二袋を出すという指令がある、それが頭に残っていたからだろうか。母のキッチン、ガスはもう撤去され使用可能なのは電子レンジだけだということが頭にあったせいだろうか。
母の朝食のことも頭から離れなかった。

ストンと眠ったはずなのに、ハッと目が覚めて見たらまだ1時半。まだまだ早いと思ったのだが、なかなか寝ていけず。結局起き出して三時頃ガタガタと台所でおかず作り。夜に昆布を入れておいた味噌汁の出汁はもう十分だろう。新玉ねぎとしいたけ、春キャベツを入れて具だくさんの味噌汁。
ニラともやしとベーコンの炒め物。ネギ入り玉子焼き。
これらを作り、母用に分けておく。

まだまだ時間がある。
仕方がない、全然眠くないのだから。録画していて見ていないものを探していたら、二時間ドラマ。科捜研の女があったので、見る。
見終わるとちょうど6時。よし、行ってこよう。

母の処に行き、ゴミ出し終了。朝ごはんをそっとセッティング…… ん? 寝ているはずの母の姿が無い。
トイレでごとごと音がする。
「まだ眠っているとばっかり思っていたよ」と声をかけると、最近は朝早く起き出して玄関を開けるのだそうだ。大工さんたちが8時には来て作業に入るから、起きたら開けるようにしているらしい。おかげですっかり朝寝坊はしなくなったという。まあ、それはそれで良かったのかもしれない。
おかずを持ってきた話をすると喜んでくれた。なにしろガスが使えないからねぇ。
「食べるときにチンしてね」
「また後でお湯を沸かしてポットに入れてくるから」
「悪いね」
「なんもなんも」
そんな会話をして戻ってきた。早速ポットにお湯を沸かしておいた。大工さんの休憩時間に使うポットなのだ。

あんまり早く起き出したのに、全然眠気が無い。
時間もたっぷりあるので食事の後は仕事に取り掛かる。9時半には家を出るから逆算して仕事を考える。
で、今は休憩(笑)。洗濯が終ったら出かける準備だ。
さぁ、今日もやれることをやろう。
薄曇りの空、晴れ渡ってはいないが、広い空の下で遠くに思いを馳せる。
今日一日を大事に生きよう。

それにしても今夜はさらに早く寝てしまうのではないだろうか(笑)


淡く消えゆく

2016年04月19日 | ほんのすこし
淡くかなしきものの降るなり、と詠んだ人は三好達治。

淡いものはなんであったのだろう。わたしには雪が肩に降りかかるシーンが最初に浮かんだ気がする。若い時代、触れた言葉の柔らかさにどこか甘くじんとするものがあったのは、見るものすべてが輝きに満ちていたからだろうか。
年を経て、今は日々若さから遠のいていく自分がいることに愕然とする。自然の摂理だといえば仕方がないが。

遠い昔、何度目かの式で子どもたちの前、壇上に立ち挨拶をと言われ。うろ覚えの詩を言った。ホイットマンだったろうか。
「お~い、どこまで行くんだぁ、と問いかける なぜならもっと遠くへ行きたいから」と大きな声で言ったとき、初めてのことにびっくりした顔の子どもたちがいた。
挨拶って普通はこうでしょ? といった感じがあったのだろう。それがなかったことにびっくりしたといった顔だった。
たまには変化球があってもいいでしょ、って思った。
そんな若い時代があった。

一番最初に行ったのは、4月に入ってすぐに親の介護で休職することになった方の後釜だ。入学式でも自分たちの担任がいなかった子供たちは待ちかねていたのだろう。
休み時間になるとわたしの手を引き、体育館に引っ張って行った。行きながら
「わたしたちの先生だよ! 先生が来たよ!」と叫んで歩いた。
その嬉しそうな顔を今も思いだす。

他のクラスには先生がいるのに、自分たちには教頭先生とか別のクラスの先生が来る、それがとても不安だったのだろうか。新米のまだペーペーのこんなわたしでも必要とされているんだという思いを味わうには十分すぎる出来ごとだった。

思い出というのは淡くはかないものだ。
だが、はかなくても心の中には鮮明に残るシーンがある。戻ろうと思っても戻れないからこそ、淡いのだろう。
一つの選択で人生の分岐点に立ち、新しい道を歩き始めたわたしにとって短い教師の生活はあっという間に消えていった。

その後の人生は波乱に満ちていたが、いつか語ることがあるだろうか。
いや、無いのかもしれない。
淡い思い出を時折思いだすことの方が、今のわたしには必要な時間だと思えるから。