心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ひと干しする

2016年04月29日 | ほんのすこし
先日、一日部屋で少し大きめだったカブを干した。八つ割ぐらいにして。
いい具合に水気が抜けたカブを浅漬けにしてみた。塩芽かぶを入れて。
塩は押さえ目にしてみた。

うん。
いい感じ。
カブに甘さが出た。

調子に乗ってただいま春大根も割って干している。
今度は鶏肉と煮てみようかと思ってる。味付けは何がいいだろうか。たまに味噌を使うのもいいかもしれないな、などと表面が少し乾いてきた大根を見ながら思ってる。

ひと干しすると、野菜のうまみというか、甘さが出るような気がする。

人間も軽く水分が抜けた方が、素材本来の味が増すのかもしれない、などとうそぶいてみる(笑)

これから出来上がった干し大根を持って母のところへ行こう。
途中で鶏肉を買って行こう。

キッチンに立つのが楽しみだ♪

苦手なもの

2016年04月29日 | ほんのすこし
苦手なのに、どうして写したの?って言われそうですが。
わたしは小さい時からこのツクシが苦手なのです。どう苦手なのかって言うと、友達と草はらで遊んでいて、よくツクシを摘み取ったりしたものです。シロツメクサを摘んで冠を作ったりとか。ツクシはなんのために摘んだんだろう? 
その摘み取るまではできたのです。でも、摘み取ったあと、目を近づけてツクシの表面を少し広げてギザギザした線に隙間が出来ると、それを見た途端心の中で悲鳴が。

昔、漫画を描いてみたくてGペンと墨汁を用意し、鉛筆描きの上にペンを走らせたときに、間違って自分の手の甲に墨汁が落ちたりすると墨汁が甲の上をちりちりに広がっていくさまを見て、鳥肌が立ったこともあります。
なんといったらいいのか、ツクシに感じるのと同じようなおぞましい印象が目の前の線を見ると出てくるのです。自分でもどうしてだろうと思うのですが。

だから毛細血管を次々と通っていく道筋がドラマなどで見えたりすると、ツクシとだぶってしまうことがあります。全然違うものなのにね。

今は小さい頃とは違い、心の中で悲鳴を上げることはなくなりましたが、あの線が次々と広がっていく状態はやっぱり苦手な気がします。こうして入力していると首が痒くなっていく気もしてきました(笑)。単純なわたしです。

この苦手なツクシ、食べるそうですね。煮るとか。天ぷらにもするのかな。
わたしは食べたくないなあ。
それなのに、どうして写したの? って、また自問自答。

やっぱり春だから。
これまた単純。
春を感じるものを見つけた♪ って思ったから。
しかもなんだかふたり寄りそっているような雰囲気で、遠くで見てるだけなら可愛いし。



でもあんまり多くあると、やっぱり苦手かも。
ふたつくらい、ちょこんと在るのがわたしにはいいのかもしれない。

そうそう、芝生に一輪だけ水仙が。



お仲間がいなくてさびしくないかしら。