心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

何を書こうかと

2020年09月15日 | ほんのすこし
何を書こうかと思うことが多くて。
どれもゆっくり書くことができなくて。
そんなこんなの最近のわたしです。

この天井。実物の方がもっといいですよ。
今はLEDが流行で、こういうのはあまりないと言われましたが、自分の家のどこかには息子が使った照明をつけたいと思っていました。息子がこちらにいたのは一年も経たない数ヶ月。その間に住むアパートの照明やカーテンなど色々とありました。まさか数ヶ月で家族の元に戻るとは誰も思い描いていませんでしたが。
そういう息子の置き土産を今回建てる家の中に取り入れようと思ったのは、息子の無念の気持ちを残したかったのかなとも思っています。
そして、大工さん初め工務店の方がこの照明を見て、天井とのコラボがとてもいいことに気づき、褒めてくださったこと。それがとても嬉しかったのです。
息子のセンスの良さを褒めていただけたのかなと。(親バカですけどね)

毎日、ほんとにあれこれ大変です。
片付けや解体ってこんなに大変だったの?という感じです。幸いご近所さんにとても頼もしい方がいて、これまで不要な物の処分を何度か軽トラでゴミ収集所に運んでくれました。母が住んでいた家の解体もだんだん目に見えて出来てくるのかなと思っています。
母にすれば長年住んでいた家が壊されるのですから、心が落ち着かないかと思いますが。それでも気丈に母は「捨ててもいいよ」と言ってくれるので、そう言った瞬間に「捨てる!」とわたしが判断します。
「じゃ、これは捨てるのね?」と母に言うと、そばにいる叔母が心持ち笑った顔をするのが面白いのです。
叔母に言わせると母に「これ、どうする?」と聞くと必ず「う~ん、もったいないからなあ」とか言って残してしまうので、わたしが即処分すると明言することが痛快らしいです。こそっとわたしに
「どうするって聞かないほうがいいかもね」って話しています。
でも、そういう叔母も、父や弟の思い出がある物が出てくると、一番先に母に聞かないとね、って思っているようです。

今回の処分で、わたしが残したかったのは父の囲碁セット。母が言うには碁盤は父が知り合いと共に線を引いて作ったものらしいです。
その次は父と母お揃いの毛布(手のついたもの)、これは押入れの欄間から出てきました。本人もすっかり忘れていた代物ですが、それでも若い私が両親に送った大事な物だったらしく、処分するのは困ると戻したものでした。でもね、送った本人(つまり私ね)はあまりに昔のことですっかり頭から抜けてしまってました!
その品を目の前にして、わたしにもらったもの、だからという意識より父と一緒の品物だという、その気持ちがあったような母でした。
なんだかそれも可愛いなと思えます。

新しい家はなかなかなじめないのかなと思っていましたが、日を追う毎に『有り難いな」という気持ちで満たされています。これも知り合いに頼んで何度も修正を重ねたおかげかなと思っています。注文住宅の良さを今、味わっているところです。

有限会社 石川建築