いつ頃からだろう。
東京の女の子から末尾に「わ」
をつける言葉が消滅した。
私が高校大学時代には、都内
の女性は末尾に「わ」をつけ
ていた。「知らないわ」とか。
ですます表現でも「わたくし
がやりますわ」とか。
その後、ネットが普及して以
降、大阪弁の「~わ」という
意味が全く異なる「わ」が東
京でも普及した。「知らんわ」
というように。「~がな」と
いう方言と共に話し言葉とし
て普及した。「知らんがな」
というように。
東京弁だと「知らねーよ」の
「よ」に該当する「わ」や
「がな」だ。
ある時、私の書き言葉で「そ
りゃそうだわ」というのを観
た友人の母親が「なぜ女性言
葉を使うの?」と尋ねたらし
い。
たぶんお母さまは現代ネット
用語の「~わ」という元祖が
関西弁の言い回しの使い方を
ご存じなかったのだろうと思
う。
私の時代においてさえも、
東京の女性が「よくってよ」
というように言う言い回しは
古風な女性以外はすたれつつ
あった。
「あら。それはなさらなくて
もよくってよ」というような
使われ方をする。
女性の口語での丁寧言葉だ。
こりゃ多分だが東京弁だろう。
特に山手言葉の方言の。
今、女の子も男の子と同じよ
うなとても汚い品の無い言葉
を使うのが全国的に通常化し
ている。
「ちげーよ」とか「うっせー
んだよ」とか「うぜー」とか。
しどいのになると「ケツがか
いぃー」とか言ってる女子高
生もいたりする。ネカフェで
制服でダーツやってる女子高
生とか。
大昔の積み木崩しのような
ねーちゃんではなく、ごく
普通の女子高生が、そういう
話し方をしている。
時代の流れは早い。
ちなみに「ダサい」「うざっ
たい」という言葉は江戸時代
から江戸ではあった。
ただし、「うざったい」が
略されて「うざい」になった
のは、典型的な若者言葉の略
語変化で、今世紀に入ってし
ばらく経ってから全国的に蔓
延した。
やはり、ネットによる拡散だ
った。
同時期「なにげなく」が「な
にげに」という新表現で登場
蔓延し始めた。
原意は「何気なく」という正
規の日本語だが、「何気なく」
という原意と「何気に」とい
う表現は単語変化ではないの
で、厳密には若者特有の略語
化ではなく、言語学的にはお
かしい表現が拡散されている。
もっとしでーのは「故障中」
だけどさ(笑
大真面目に多くの場所でそう
した貼り紙を貼っているのを
見る。
これはもう完全に母国語とし
ての日本語の誤用による。
ただし、誤用拡散蔓延は恐ろ
しいもので、ニセモノが本物
を押しのけて、あたかも本物
であるかのように定着する例
が日本語ではかなり多い。
独擅場(どくせんじょう)がい
つの間にか誤字のまま独壇場
(どくだんじょう)となったり
もその一例だ。
古くは情緒(じょうしょ)が情
緒(じょうちょ)とされたりと
いう例もあった。
私が中学の頃には国語の授業
では「正しくはジョウショ」
と習ったが、世の中の流れは
ジョウチョが正しい読み方で
あるかのように定着してしま
った。
大安吉日をタイアンキチジツ
と読んだりする間違いも本物
であるかのように定着してし
まっている。
これは金田一京助先生の子息
である国語学者の金田一春彦
先生もラジオで指摘していた
が、正しくはダイアンキチニ
チと読むのが本物だ。
人の言葉は時代と共に移り変
わるのが常だが、元来の言葉
があって、それが変化してい
く。
しかし、そうたびたびコロコ
ロと変わっていては国民の意
思疎通や文章でも困難を呼ぶ
ので、「国語」の授業がある
し、標準語も学校で国民に教
育する。
そして、人間は「言語」を通
して思考する。
思考する人間は言語を使う。
そこがパン君とは少し違う。
もうなんというか、ビルがその
まま海の上を走っている感じ。
豪華客船での船旅とはいうが、
高級リゾートホテルに長期滞在
しているような感覚になるので
はなかろうか。
乗った事無いから知らないけど。
日活スター男優シリーズ
小林旭「ギターを持った渡り鳥」(1959)
日活公式期間限定無料配信。
素晴らしい配信活動だ。
小林旭「渡り鳥シリーズ」の
第1作目。以降、1962年まで
同じ主人公の元神戸市警の刑
事滝伸次が流れ着いた町での
活躍を描く「渡り鳥シリーズ」
が8作製作された。
本作、非常に出来が良い。
脚本もカメラも。
特に映像表現と色が美しい。
生ギターを弾いている時に何
故かエレキギターの音だとか
そういうのは突っ込んではい
けない(笑
日本の時代劇とハリウッドの
西部劇を合わせたような1950
年代の活劇だ。
私が生まれる前の時代だが、
当時はこうした無国籍アクシ
ョン映画に私の父の世代やそ
の少し下の戦前戦中生まれの
若者は熱中した。没頭するよ
うな入れ込みようで、日活映
画作品は大人気だった。
明治大学を中退して間もない
20才の若い小林旭が主演。
助演は18才の浅丘ルリ子だ。
浅丘ルリ子は14才で映画デビ
ューしてから日活の看板娘だ
った。小林旭とは実生活でも
事実婚だったが1961年頃に破
局したようだ。小林旭は芸能
界を牛耳る暴力団組長の意向
で小林旭との結婚を望んだ美
空ひばりと強引に1962年に結
婚させられた(1964年に離婚
成立)。
この浅丘ルリ子18才の時、タ
イムリーに同年代の超裕福な
女子大生の令嬢役を演じてい
るが、めちゃくちゃかわいい。
というか、1950年代の18才、
19才というのは、いかにしっ
かり者であったかがよく分か
る。
映画の中だけでなく、実社会
でも1950年代60年代のハタチ
前後の日本人は、とても大人
びた考え方でしっかりしてい
た。そもそも日本人とはそう
であった。
いつからか、日本人は高校生
も大学生もまるで精神年齢も
言動も小学生のようになって
しまった。
よろしかったらこちらもどう
ぞ。
たとえ小さな港であっても、
港がある街というのはいい。
ましてや、そこが城下町で
あったなら尚更。
ここは横浜に並ぶ国際的な
大港だけどなー(棒読み)。
マリンタワーまであるぜ。
大横浜港と並ぶ国際的な大港
なので、夜は夜でそれなりに
景観は良い(笑
原付用新品ユアサバッテリー。
トリクル&満充電ばっちり。
新品でも箱出しで12.5V位の
事があるので、自分で充電
して電圧管理したほうが良い。
サバゲやる人たちは電動ガン
のバッテリーの電圧管理は結
構きちんとやるが、バイク乗
りの人たちはおろそかになっ
ているケースも多く見受けら
れる。
元気な電流のために電源の電
圧管理は大切。
♪電流火花が体を走る~
(キカイダーの歌)
てのはショートしてんじゃ
ねーの?とは思うけどさ~。
【青森】津軽弁!なまり聖地
の方言がスゴすぎた!
【秘密のケンミンSHOW極公式
2022年1月13日 放送】
大学の時に友人たちと雀卓
を囲んでいた。
その時、ラジオから聴き慣
れない言葉が流れて来た。
友人の一人は言った。
「韓国語放送かぁ?」と。
すると、言下にラジオから
「これで津軽弁講座を終わ
ります」と流れて来た。
全員ぶっ飛んだ。皆目不明だ
ったからだ。
しかも、韓国語か?と言った
奴は私とは東京の高校時代か
らの同級生で元は弘前大附属
の奴。高校途中から弘前大の
センセだった父親の都内転勤
に伴い転住して転校して来た
奴だった。
「俺でさえわからねえ。今ど
きこんな濃い津軽弁話してる
の聞いたことないぞ」と言っ
ていた。
それが今から40数年前の話。
似たような事は、結構よく
あるようだ。
私の父と母は東京から広島に
転居後もずっと標準語を共通
語として使っていたが、私が
親戚の叔母や伯父たちが話し
ているのと同じ言葉で広島県
内で話すと私の12才より下の
世代には笑われる。現代では。
今どき、そんな備後弁話す人
いませんよ、と。
「それ、片づけてしまってお
いて」(東京弁でかたしとい
て)という意味で「それ、と
らげとって」と言ったら、も
ろにそういう反応をされた(笑
それはまだいい。
今の現代広島県人の若者たち
には全く通じない言葉を私の
母(87)などはかつては話して
いたそうだ。
母は受験で広島大落ちて東京
に出た時、机を二人で持ち上
げる際に「そっち、かいて」
と言ったら「はぁ?!」と東
京の人に言われたらしい。
母は持ち上げるの意味の「か
く」が標準語かと思っていた
ようだ(笑
母曰く、それ以降半年間、で
きる限り必要最低限以外は誰
とも話さず、東京での人々の
言葉を観察自習したらしい。
60数年以上前の時代などは、
今とは情報量が比べ物になら
ない程少ない。テレビも普及
していない時代だ。せいぜい
戦前からあったラジオ放送の
みが人々の暮らしの中での音
声メディアだった。
戦後、ラジオで英語学習放送
が始まったのはNHK朝ドラの
「カムカムエブリバディ」の
通りだが、東京人は標準語に
近い東京弁を共通語として話
し、地方人は方言しか話せな
かった。共通語たる標準語も
話せなかった。
また、今のように方言と方言
がチャンポンになる事は無か
った(これは言語学的に面白
い現象)。
エピソードの続きを。
私が30代末期の頃、中国地区
に都内から転住赴任した。
東京本社から地方を任されて
の転勤だった。
ある時、取引先のディーラー
支店長と顧客先に契約の為に
訪問して仕様打ち合わせをし
た。岡山県の某所。
顧客の社長が話している言葉
が私は全くさっぱり99%分か
らなかった。
支店長はうんうん頷き相槌を
打ちながら打ち合わせを進め
ていた。
行きと同じく、帰りも支店長
を乗せて支店まで戻った。
その道中で支店長に言った。
「さすが支店長は地元の方な
ので社長の言われてる事も
よくわかってらっしゃった
ようですね。私などは失礼
ながら、ほぼ全部に近く皆
目わかりませんでた」と。
すると支店長は言った。
「なに、○○君、心配せんで
ええ。わしも社長の言ってる
事半分もわからんかったが(笑」
と。
仕様確認大丈夫なのだろうか、
と思った(笑
今、広島県の若い世代は方言
をチャンポンで使う。
「じゃけぇさぁ、うちが言っ
とるじゃろ。それはだめじゃ
んって」という具合に。
京浜地方の方言である「さ」
と「じゃん」を地元方言に
混ぜて話すのだ。
その話を70代の広島出身育ち
のバイク乗りの人に言うと、
「嘘じゃろ?ありえんわ~」
と言ってた(笑
ザ・ゼネレーションギャップ
というやつだろう。
今の時代、絶対にあり得ない
と思える言語拡散現象として
生粋の大阪人が「だからさぁ」
などと言う。漫才師や芸人た
ちもが。紳助~ヒロミ世代に
は大阪⇔東京世情としてあり
得ない現象だ。
少なくとも日本バブル経済の
頃、1980年代後半時代には
まず存在しなかった言語状況
だ。
私の学生時代の小倉出身の友
人などは、夏休みに地元小倉
に帰って高校時代の友人たち
と飲んでる時に「だからさぁ」
と言ったら胸倉掴まれて「な
んが「さぁ」か、きさん!
東京もんか。くらすぞ(殴るぞ)
ゴルァ」と言われた、と笑い
ながら話していた。
それがジャスト1980年の秋。
俯瞰するに、インターネット
が普及し始めてから地方でも
方言に混ざって「さ」「じゃ
ん」の京浜方言が使われ始め
たように思える。
ただし、一つ確定的な事があ
る。
「じゃん」「さー」は確実に
方言なのだが、地方の人はそ
れが京浜地方の方言であると
は認識せず、標準語か共通語
のように思っているフシがあ
る事だ。
ジャンは広島弁ならジャロに
該当し、「サー」は広島弁
では「ケェ」に該当する。
「じゃけぇさぁ」と今の広島
県の若者はよく使うが、それ
は言語としては重複なのでお
かしい用法なのだ。
「馬から落馬」とか「危険が
危ない」みたいな用法に該当
するので、変な日本語なので
ある。
ジャンサー国の言語をジャロ
ケー国人たちは混ぜこぜで日
本語の用法を無視して使って
いるのが現代日本の中国地区
広島地方の現象として存在す
るのである。
私はこの現象は言語変化の中
でのよじれ現象だと思ってい
る。「巨大な石像が大きい」
という類の重複表現は誤りで
あり、それを回避するという
日本語(標準語、共通語、方
言問わず)の原則から大きく
逸脱しているからだ。
今世紀に入ってからの新現象
だといえる。
特にここ10年程でその現象が
著しい。
さて、この先「だっぺ」が全
国化する事は来るのだろうか。
そうそう。中国地区の方言は
なぜだか時代劇の中の言葉に
とても似ている。
「わしじゃ。じゃろう?」
というように。
ただし、現在の年齢が概ね45
才以下世代の中国地方の男子
は自分の事を「わし」とは一
切言わない。「おれ」である。
これは中国地方方言の崩壊・
消滅の最たるものとしてある。
こういう空間があれば最高!
てとこだな。
釣り物件にまんまと釣られた
バカにより閲覧伸び代安定(笑
ある意味、川沿いさんよりも
悪質かも知れない(笑
センセみたいに正面真っ向斬
りではなく仕掛け罠という腹
黒い点で(笑
簡単な疑似餌にホントに脊髄
反応するから、バカ釣り上げ
吊り下げは面白い。
笑いとまらん。
それらのバカの正体はネトウ
ヨのネトカスなんだけどさ。
誹謗中傷中毒のレイシストら。
あれ?となった時点で、何か
仕掛けてると思わないのかねぇ。
馬鹿だから気づかないか。
気づいて、待てよ・・・これ
は、とか思う奴いねぇんだろ
な(笑
馬鹿はアンブッシュするまで
もなく、簡単な落とし穴です
ぐに落ちる。
極めてプリミティブだ(笑
placed under the control とは
まさにこれ。
まじで笑える。
バカたちはあれに反応がソッ
クリなんだよな。BE-BOPの
「これが夕焼け番長だ」の紙
をハラリとヒロシとトオルが
落とした時と(笑
DIY!古い事務机を捨てない
で下さい!最高の作業台に
なります!
これはいいね。
ヒントもらった(笑
魔改造って程ではないけどさ。
俎板作り以前の釣り段階の(笑