渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

【青森】津軽弁!なまり聖地の方言がスゴすぎた!

2025年02月04日 | open

【青森】津軽弁!なまり聖地
の方言がスゴすぎた!
【秘密のケンミンSHOW極公式
2022年1月13日 放送】



大学の時に友人たちと雀卓
を囲んでいた。
その時、ラジオから聴き慣
れない言葉が流れて来た。
友人の一人は言った。
「韓国語放送かぁ?」と。
すると、言下にラジオから
「これで津軽弁講座を終わ
ります」と流れて来た。
全員ぶっ飛んだ。皆目不明だ
ったからだ。
しかも、韓国語か?と言った
奴は私とは東京の高校時代か
らの同級生で元は弘前大附属
の奴。高校途中から弘前大の
センセだった父親の都内転勤
に伴い転住して転校して来た
奴だった。

「俺でさえわからねえ。今ど
きこんな濃い津軽弁話してる
の聞いたことないぞ」と言っ
ていた。
それが今から40数年前の話。

似たような事は、結構よく
あるようだ。

私の父と母は東京から広島に
転居後もずっと標準語を共通
語として使っていたが、私が
親戚の叔母や伯父たちが話し
ているのと同じ言葉で広島県
内で話すと私の12才より下の
世代には笑われる。現代では。
今どき、そんな備後弁話す人
いませんよ、と。
「それ、片づけてしまってお
いて」(東京弁でかたしと
て)という意味で「それ、

らげとって」と言ったら、

ろにそういう反応をされた(笑

それはまだいい。
今の現代広島県人の若者たち
には全く通じない言葉を私の
母(87)などはかつては話して
いたそうだ。

母は受験で広島大落ちて東京
に出た時、机を二人で持ち上
げる際に「そっち、かいて」
と言ったら「はぁ?!」と東
京の人に言われたらしい。

母は持ち上げるの意味の「か
く」が標準語かと思っていた
ようだ(笑
母曰く、それ以降半年間、で
きる限り必要最低限以外は誰
とも話さず、東京での人々の
言葉を観察自習したらしい。

60数年以上前の時代などは、
今とは情報量が比べ物になら
ない程少ない。テレビも普及
していない時代だ。せいぜい
戦前からあったラジオ放送の
みが人々の暮らしの中での音
声メディアだった。
戦後、ラジオで英語学習放送
が始まったのはNHK朝ドラの
「カムカムエブリバディ」の
通りだが、東京人は標準語に
近い東京弁を共通語として話
し、地方人は方言しか話せな
かった。共通語たる標準語も
話せなかった。

また、今のように方言と方言
がチャンポンになる事は無か
った(これは言語学的に面白
い現象)。

エピソードの続きを。
私が30代末期の頃、中国地区
に都内から転住赴任した。
東京本社から地方を任されて
の転勤だった。

ある時、取引先のディーラー
支店長と顧客先に契約の為に
訪問して仕様打ち合わせをし
た。岡山県の某所。

顧客の社長が話している言葉
が私は全くさっぱり99%分か
らなかった。
支店長はうんうん頷き相槌を
打ちながら打ち合わせを進め
ていた。
行きと同じく、帰りも支店長
を乗せて支店まで戻った。
その道中で支店長に言った。
「さすが支店長は地元の方な
ので社長の言われてる事も
よくわかってらっしゃった
ようですね。私などは失礼
ながら、ほぼ全部に近く皆
目わかりませんでた」と。

すると支店長は言った。
「なに、○○君、心配せんで
ええ。わしも社長の言ってる
半分もわからんかったが(笑」
と。
仕様確認大丈夫なのだろうか、
と思った(笑

今、広島県の若い世代は方言
をチャンポンで使う。
「じゃけぇさぁ、うちが言っ
とるじゃろ。それはだめじゃ
んって」という具合に。
京浜地方の方言である「さ」
と「じゃん」を地元方言に
混ぜて話すのだ。
その話を70代の広島出身育ち
のバイク乗りの人に言うと、
「嘘じゃろ?ありえんわ~」
と言ってた(笑
ザ・ゼネレーションギャップ
というやつだろう。

今の時代、絶対にあり得ない
と思える言語拡散現象として
生粋の大阪人が「だからさぁ」
などと言う。漫才師や芸人た
ちもが。紳助~ヒロミ世代に
は大阪⇔東京世情として
あり
得ない現象だ。

少なくとも日本バブル経済の
頃、1980年代後半時代には
まず存在しなかった言語状況
だ。
私の学生時代の小倉出身の友
などは、夏休みに地元小倉
帰って高校時代の友人たち
と飲んでる時に「だからさぁ」
と言ったら胸倉掴まれて「な
んが「さぁ」か、きさん!
東京もんか。くらすぞ(殴るぞ)
ゴルァ」と言われた、と笑い
がら話していた。
それがジャスト1980年の秋。

俯瞰するに、インターネット
が普及し始めてから地方でも
方言に混ざって「さ」「じゃ
ん」の京浜方言が使われ始め
たように思える。
ただし、一つ確定的な事があ
る。
「じゃん」「さー」は確実に
方言なのだが、地方の人はそ
れが京浜地方の方言であると
は認識せず、標準語か共通語
のように思っているフシがあ
る事だ。
ジャンは広島弁ならジャロに
該当し、「サー」は広島弁
では「ケェ」に該当する。
「じゃけぇさぁ」と今の広島
県の若者はよく使うが、それ
は言語としては重複なのでお
かしい用法なのだ。
「馬から落馬」とか「危険が
危ない」みたいな用法に該当
するので、変な日本語なので
ある。
ジャンサー国の言語をジャロ

ケー国人たちは混ぜこぜで日
本語の用法を無視して使
って
いるのが現代日本の中国
地区
広島地方の現象として存
在す
るのである。

私はこの現象は言語変化の中
でのよじれ現象だと思ってい
る。「巨大な石像が大きい」
という類の重複表現は誤りで
あり、それを回避
するという
日本語(標準語、共通語、方
言問わず)の原則から
大きく
逸脱しているからだ。

今世紀に入ってからの新現象
だといえる。
特にここ10年程でその現象が
著しい。

さて、この先「だっぺ」が全

国化する事は来るのだろうか。
そうそう。中国地区の方言は
なぜだか時代劇の中の言葉に
とても似ている。
「わしじゃ。じゃろう?」
というように。
ただし、現在の年齢が概ね45
才以下
世代の中国地方の男子
は自分
の事を「わし」とは一
切言わ
ない。「おれ」である。
これは中国地方方言の崩壊・
消滅の最たるものとしてある。



 
 




 

 








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