後輩から、
どんな練習をさせたらいいですか?
なんてことを聞かれると結構、困るんです。
と言うのは、大悟達がしていた練習と大和がしていた練習は全く違うし、大和の下の代の子がしていた練習も全く違うからです。
下に行けば行く程、無駄もなくなっているだろうし、時代の変化であったりルールの変化、様々な変化に応じて、こちら側も常に変化していかないといけないと思っている。
無駄と言うと語弊があったかも知れません。
無駄、遠回りの中で根性や執念といったものを培ったかも知れないし、無駄を省いたことで粘りがなく淡白になったかも知れませんから。
ただ、今も変化の途中なので何が正解かなんで分かりません。
で、そもそもとして、
どんな練習をさせたらいいですか・・の、させたらってのがポイントで、まずは、させなきゃと思っている自分が変わらないといけないのかなと思います。
私の最大の課題と変化はやらせる練習からの脱却だったと思うんです。
ここでは書ききれませんが、やらせる練習には限界があることに気がつき、自主性、好奇心、遊び心、それを許容する心の涵養に意向しました。
こういった話を燃えに燃えている進行形の人に伝えたとしても、あまり伝わるものではないことも自分自身がそうだったから理解しています。
誰だって即効性のある話が聞きたいですから。
ただ、子供を変えたきゃまずは親が変わる。
その意味が分かった後に、練習を変える、環境を変える順になるのではと思っています。
で、先日、ここ最近の教え子を見て、
ちょっとこれまでとは違う柔道スタイルに育ててますね。
と言われました。
よくお気づきで。
一応、私もまだまだ変化してますんで。
人は変化がなくなった時、成長が止まる。
成長が止まると固定観念が強く、融通が利かない人間になってしまう。
ま、若くしても成長が止まっている人もおられますけど、そんな老害になりたくないな。