稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

秋田時代

2016年11月02日 | 剣道・剣術
別件で古い写真を整理していたら秋田時代の写真が出てきました。
(別件が、昔の彼女の写真を探していた・・というのは内緒です)

写真は昭和57年(34年前)11月。湯沢はもう雪でした。
秋田市にあった興陽館道場の湯沢合宿で、湯沢市内で稽古したあとの宴会風景(二次会?)。

奥山京助範士八段を囲んでる写真。左で振り向いてカメラ目線なのが私。
左隣は村上さん、上から保坂さん、斉藤さん、小松さん、堀松さん、利部さん、奥山先生、我満さん。
頭の2人は不明。2枚目の写真では中心の上方に湯沢の加賀谷さんが写っている。





この頃の私は剣道三段を取ったばかり。先輩たちは無茶苦茶強くておもちゃ扱いにされてました。
時々来られる秋田県警の児玉先生には投げられたり絞められたりされます。怖かった。
奥山先生がエライ先生だったと気が付いたのは随分とあとのことでした。
竹刀は時々飛ばされました。真似したいのですがそうそう出来るものではありません。

稽古が好きで、というか秋田に住んでいた頃は他にすることも無く、
週三回の稽古はほとんど参加してました。

奥山先生からいつも言われたのは
「粕井ょ、おめぇは不器用だからちっこい技は駄目だぁ、大きな面さ打でぇ」だった。
技なんかまったく教えてもらえなくて、ひたすら打ち込んでいくばかりです。
でも何だかそれはそれで面白かったなあ。

当時、秋田市民大会だったかな?2回か3回出ました。
どういうわけか姓名順で決めるらしく、いつも柏木五段と当たります。
2回目からは、礼をした時に柏木五段はニヤリと笑うのです。当然いつも瞬殺。
話したことはありませんがニヒルな感じのかっこいい方でした。

そうそう、皆さん秋田なだけにお酒もムッチャ強かった。日本酒もうまいし。
稽古のあとは師範室に集まって日本酒を湯呑みについで一杯飲んで帰ってました。

道場の忘年会のあとは歩いて茨島(ばらじま)まで帰るのですが、
息を吐いたら電信柱の電球の光に、凍った息がキラキラ輝いてたのを思い出します。
雪がすごくて車を出すために雪かきしていたら稽古に間に合わなかったり、
道場に行く川沿いの道で雪のためスタックして稽古できなかったり。

懐かしいお顔を見ていたら当時のことが色々と浮かんできます。
ちょっと懐かしかったのでUPします。


【2019年3月11日追記】

別の写真が出てきました。
これも上と同じ湯沢合宿の写真かと思います。
上で堀松さんだと思ってた人は佐野さんでした。



コメント (2)
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