稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.49(昭和62年1月26日)

2019年03月30日 | 長井長正範士の遺文


凡そ如何なる場合でも、心にひいき、眼にゆがみがあってはならぬ。
自己のひいき、自己のゆがみに欺されてはいけない。
負けても自分を見失はず、勝っても自己を見失はず、という。
そこに力一杯、ある限りの力を出すのである。

我々の人格を隙間のない人格に育て、
どうでもこうでも力一杯の人間になるという事が、人間として一番大事である。
どこかに隙があるといかぬ。隙間なく一生懸命やっている。それが成佛という事である。

無眼流という剣道は盲人の橋渡りを見て発明したものだという。
それは我々は自分の眼や耳に欺されている事が澤山ある。

○中里介山の何かに書いてあるそうだが、
彼のドレンレンレンの祭文語り(注:俗曲と同じ 当時のはやりうた)が、
武者修行に化けて、ある道場へ試合にいった。
非常に日焼けした大男が刀の鞘の禿げちゃくれた、ドエライやつを差して、
「頼もう」といった。既に日は暮れかけている。
道場主は一風呂浴びて今、晩酌でもやろうと思っていた所である。
「もう日も西山に傾いている。お弟子達とお手合せばご免蒙むる。
先生と直接一太刀お稽古願いたい」という。えらい奴が来たものだ。
先生も仕方がない。道場に出た。

先生は少し変だと思ったが「イザッ」といって立ち上がった。
立ち上がって先生は驚いた。これは何という隙だらけだ、
隙だらけも道理、剣術も何も生れてこのかた一度もやった事がない祭文語りだ
(賣ト者という説もある)木賃宿に行くには、今日は不景気で銭が入らぬ。
剣術道場に行って、先生に突っつかかれば、うまくいけば晩飯にありつけるぞという太い奴だ。
どやされるのは覚悟で来ている。そう度胸を据えてくると体中に隙はあり乍ら、
馬鹿に出来ぬ所が見える。

諸国を渡り歩く武者修行、これほどに開けっ放しに隙をさらけ出すというのは、
ただごとではあるまいと、先生の方が気味悪く考えた。
どういう剣か、深い戦略があるのかも知れん。
そういう風に頭が働き出したら疑心暗鬼を生ず。
祭文語りの馬鹿げた構えが種々の名手に見えて、先生恐ろしくなった。

やや立合っているうちに生汗をかき出した。
打ち込もうとは思うが、此方がこう行けば、彼方は、ああくるんだろう、
此方がこう出れば、彼方はああゆくだろう、と、
先生は自分の智恵に欺かされてしまったのだから、どうにも仕方がない。

竹刀をガラリと投げ出して
「恐れ入った御腕前、先生は一体何流の達人で御座るか」と言ったという。
先生に頭を下げさせてしまえば祭文語りも安心だ。
然しこの男は根が正直者で「いや実は、私は祭文語りで、
あぶれて飯を一杯戴きに上がった次第で」とあっさり名乗ってしまった
という笑話があるが、自分で自分に欺されると、こんなへまを見るのです。

迷いというのは、つまり自分に欺されたものの姿である。
自分に欺されねばいい。禅ではこれを「心の主となれ、心を主とする勿れ」という。
お互いは、いつも自分に欺され通しだ。
自分の足音を聞いて「おや!追っかけてくるぞ」と思う。
墓場を通っていた男が自分の足音に驚いて気絶したという話がある。

閑話休題。長正作小話。
晩秋の夜、檀家の逮夜参りをすませて帰り道、
小心の坊さんの頭に熟した柿がビシャッと落ちた。
坊さんびっくりして、後ろからやられたと思って頭に手をやると
真っ赤な血のりがついているではないか。
坊さん、それを見て気絶した話。

これは少年に話をする何かの機会に面白おかしくアレンジして話して頂きたい。(続く)
コメント
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