く~にゃん雑記帳

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<中津城> 初代城主は戦国時代の名軍師黒田官兵衛

2017年09月22日 | 旅・想い出写真館

【今春には〝続日本100名城〟の一つに】

 別府の温泉に一泊した翌日はレンタカーで小倉へ。JRに乗る予定だったが、台風18号の九州直撃で始発から運休。やむなくレンタカーを借りて雨の中、国道10号を北上したが、そのおかげで途中、初めて中津城(大分県中津市)に立ち寄ることができた。中津城は名軍師と謳われた黒田孝高(官兵衛・如水)が築城を始め、後に入城した細川忠興が完成させた。中津川(山国川の派川)の河口に位置し、今治城(愛媛県)、高松城(香川県)とともに〝三大水城〟の一つに数えられている。

 中津城は1871年、廃藩置県で御殿のみ残して廃城となり、御殿は中津県の県庁、小倉県の中津支庁舎として使われた。だが、その支庁舎も1877年の西南戦争で焼失。現天主は5階建ての鉄筋コンクリート造りで、約50年前の1964年に江戸中期以降居城とした旧藩主奥平家が中心になり、市民の寄付も合わせて建造されたという。中津城は今年4月6日(城の日)、公益財団法人日本城郭協会より〝続日本100名城〟の一つに選ばれた。

 

 築造当時の遺構は石垣と堀が残る。石垣は黒田時代のものと細川時代のものがあり、黒田時代の石垣には山国川上流の福岡県上毛町(こうげまち)にある古代の山城「唐原(とうばる)山城」(国指定史跡)から運び出された石が多く使われた。堀の脇には官兵衛、嫡男長政とともに、勇猛果敢な家臣団「黒田二十四騎」の名前が一人ずつ立て札として掲げられていた。キリシタンだった官兵衛は当時一般的だった側室を置かず、一夫一妻の仲睦まじい夫婦だったことでも知られる。その2人の像も並んで設置されており、官兵衛の像にはモットーとした言葉「我、人に媚びず富貴を望まず」、正室光姫の像には「才徳兼備」の文字が刻まれていた。

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