【都大路を巡行する勇姿に温かい拍手】
京都・祇園祭の後祭の山鉾巡行が7月24日都大路で繰り広げられた。この日の主役は約200年という長い時を越えて巡行に本格復帰した「鷹山(たかやま)」。高さは屋根まで7.6m、上の真松(しんまつ)を加えると約17mもあり、総重量は10トンを超える。その晴れ姿を一目見ようと多くの観客が沿道を埋め、「鷹山はまだ」「巡行は何番目」と待ちわびる声も多く聞かれた。「コンチキチン」の祇園囃子に乗って近づいてくると、観客からはひときわ大きな拍手が送られた。
鷹山は応仁の乱(1467~)以前からあった由緒ある大型の曳山だが1826年の暴風雨で大破、以来“休み山”となっていた。山の再建と巡行への復帰の機運が急速に盛り上がってきたのは10年ほど前から。2014年に囃子方ができ、翌年には鷹山保存会も発足、19年には徒歩での「唐櫃(からびつ)巡行」を果たした。今回の曳山巡行には他の山鉾町の協力や支援も大きな後押しに。お囃子の練習では北観音山の協力を受け、曳山本体の再建では船鉾から車輪を、放下鉾からは曳山の重心を下げ車体を支える石持(いしもち)と呼ばれる部材などを譲り受け、修理して活用した。
後祭では「くじ取らず」の橋弁慶山を先頭に11基の山鉾が巡行する。鷹山はしんがりを務める大船鉾の一つ手前、10番目の登場だ。午前9時半、橋弁慶山が烏丸御池を東へ進み始めた頃、注目の鷹山が新町通から御池通に姿を現した。屋根などはまだ白木のまま。金地の水引や赤地にペルシャ絨緞を配した胴懸(どうかけ)なども新鮮で瑞々しい。交差点で90度方向転換する“辻回し”が成功すると、大きな拍手が沸き起こった。この辻回しも他の山鉾町からやり方を学んだという。
鷹山のモチーフは平安前期の中納言在原行平が光孝天皇の御幸で鷹狩りをする場面。ご神体は鷹を手に乗せた「鷹遣い」と猟犬を連れた「犬遣い」、従者の「樽負(たるおい)」の3体。1864年の蛤御門の変による大火の際、山本体に加えご神体なども焼損した。現在のご神体は幸い焼失を免れた頭や手などの遺留品をもとに復元したもの。そのご神体の鷹使いと犬遣いを、太鼓を打つ囃子方の背後に垣間見ることができた。曳山の進行を促す音頭取や、笛を吹き鉦(かね)を打つ囃子方の面々も、晴れやか表情で誇らしげにも見えた。
遠くまでよく響く祇園囃子も印象的だった。帰宅後ネットで「鷹山 お囃子」と検索すると、「藤舎名生(とうしゃめいしょう)さんが作曲」という記事がヒットした。えっ! 彼のCDなら確かうちにもあったはず。断捨離でCDもかなり処分した。だが探すと、あった! 二世藤舎名生「日本の音 笛(FUE)」。藤舎さんは京都市北区在住の横笛奏者で作曲家としても活動している。鷹山のお囃子は藤舎さんが鷹山の門出を祝って、生まれて初めて飛び立つ鷹をイメージしながら作曲したという。「調(しらべ)」「序」「楽」「遊」「飛」の5曲から成る。手元のCDに収録されている10曲も全て自身の作曲だが、その中に偶然「鷹」という1曲も含まれていた。藤舎さんが2019年度重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されていたことも今回初めて知った。
祇園祭の後祭は「手遅れ」や「時機を失し悔やむこと」を意味する「後の祭り」の語源ともいわれる。確かに後祭は23基もの山鉾が出る17日の前祭(さきまつり)に比べると、半分以下の11基とやや寂しい。見物客も前祭ほど多くない。ただ、その分移動しながら山鉾をじっくり堪能できる。しかも今年は祇園祭にとっては歴史的な鷹山の復活。後祭では8年前150年ぶりに大船鉾も復活している。その大船鉾の舳先を飾る龍頭(ヒノキの寄木造り)は2020年に金色に塗られたもので、山鉾巡行では今回が初のお披露目。金色の龍頭はまばゆいばかりの輝きを放っていた。満足・納得のいく「後の祭り」だった。