【“日本三大神輿”の大神輿も4年ぶりに巡行!】
岡山県津山市は“西の小京都”といわれる。その城下町で10月15日と22日「津山まつり」が繰り広げられた。津山まつりは津山城の総鎮守徳守神社と東の大隅神社、西の髙野神社3社の秋祭りの総称。22日の「徳守大祭」にはだんじり20台が“出動”し、日本三大神輿といわれる徳守神社の神輿も4年ぶりに氏子地域を巡行した。
津山まつりは津山初代藩主森忠政(織田信長に仕えた森蘭丸の弟)の頃に徳守神社の祭礼として始まったのを起源とし、約400年の歴史を誇る。津山だんじりは4輪車の台車の上にだんじりを乗せ、車と同じようなハンドルで進行方向を操作するのが特徴。
かつて津山では“舁き山”としてだんじりを担いでいたが、江戸末期から明治にかけ台車に乗せて曳くやり方が主流になった。各町自慢のだんじりを他の町内にも披露するため長距離を移動できる台車方式に変わっていったという。社寺建築の技の粋を集めただんじりの彫り物も見どころ。
台車部分は横に長く飾り幕で覆う。だんじりに乗るのは15~20人ほどの“乗り子”が中心。ほかは運転役や屋根役などの大人数人だけ。太鼓を叩くのも鐘を打つのも子どもたちの役目だ。そのだんじりを40~60人ほどの大人が2本の綱で曳く。
徳守神社は3年前国の伝統的建造物群保存地区に指定された城西地区の旧出雲街道沿いに位置する。大神輿は重さが1125kg。本宮の22日正午、大勢の観客が参道を埋める中、神社を出発した。その後に子どもたちに担がれた神輿も続いた。
神輿の出発を見届けた後、祭りの中心会場になっている目抜き通りの奴通りへ。まもなく「津山鶴丸太鼓」が始まった。女性中心のグループの演奏は実に力強い。腹の底に響くような大太鼓の音に、そばの人も「おおっ!」と驚きの声を上げていた。
いよいよ見せ場のだんじりの登場だ。1台ごと紹介されて路地から突然現われては奴通りを南へ疾走し、また路地を90度曲がっていく。屋根の上には扇を持って曳き手を鼓舞する男性。無事に曲がりきるたび観客から拍手が送られた。
各地のだんじり祭りでは曳き手を成年男性に限るところも多い。だが、ここでは女性も曳き手として多く参加し、並走する女性の姿も目立った。その勇ましい大人たちの背中を見ながら、乗り子たちも楽しそうだった。
目の前を次々にだんじりが駆け抜けていく。と、その時ハプニングが起きた。曳き綱が絡まったのか、男性が転んだのだ。「あっ、危ない」。転んだ場所が少しでも違っていたら轢かれていたかも。怪我しなかっただろうか。岡山県下ではその2日前、真庭市の「勝山喧嘩だんじり」で若い男性が2台のだんじりに挟まれて死亡したばかりだった。
だんじりはその後、アーケードの商店街からも次々に飛び出してきた。奴通りでお披露目を終えた各町内のだんじりは通りの南側に列を成してずらりと並んだ。その光景は壮観そのものだった。
20台のだんじりの多くは江戸時代から明治時代にかけて担ぎだんじりとして建造されたもの。県の重要有形民俗文化財に指定されており“文化財だんじり”と呼ばれる。このほか今年は昭和以降新造された“飾り山車(だし)”と呼ばれる4台も参加していた。
だんじりが勢揃いすると、奴通りでは式典が行われた。祭り関係者の紹介・挨拶が終わると、続いて「田町奴行列」や「津山情緒保存会」による民謡踊りが披露された。
「備州岡山城鉄砲隊」による古式砲術の演武もあった。甲冑姿の隊員が横一列になって火縄銃を構える。「お子さんの耳を塞いでください」と注意を喚起する案内放送。「放て」。掛け声と同時に鳴り響く轟音と立ち上る白煙。そのすさまじい音に、観客の間からどよめきが起きた。
氏子地区を巡行していた大神輿が2頭の獅子練りに先導され奴通りに到着したのは午後3時半ごろ。沿道を埋めた市民の大きな拍手で迎えられた。神輿はこの後、天満屋津山店が入る「アルネ津山」や観光センターなどを経て神社に帰還した。秋晴れのまさに祭日和の1日だった。