どうしてかは分からないのですが、安芸や吉備などと違って、大和における「ジンム」が進むその先々で彼に敵対する者と遭遇します。漸く兄「五瀬命」の恨みを果たしたらと思う隙なく、今度もまた敵に遭遇します。それが
“兄師木弟師木<エシキオトシキ>”
です。
この一族が如何なる人達であることは分からないのですが、これ等の人々も、ジンムの前に立ちはだかります。相当強力な部族だったのかもしれませんが、この時、ジンムは連日の激戦に兵士たちも疲れ切って、これ以上戦いを続けることが不可能な状態に陥っております。
それを見て、ジンムは、天を仰いで、どうしたものかと悩むのです。すると、自然に、嘆き節が口を衝いて出てきたのです。
「楯を並べて、
伊那佐山の木の間を行き来しながら
敵と戦ったのですが
"和禮波夜恵奴<ワレハ ヤエヌ>”
私たちの皆は「ヤエヌ」飢えてしまったことよ。疲れ切ってしまったことよ。
味方である鵜飼ヶ伴<トモ>よ 早く助けにきてくれ」
と、天を仰いで声高々に歌うのです。でも、何故、「鵜飼ヶ伴」を呼んだのか、又、この一族が何者なのかもよく分かりませんが、この時、ジンムの胸には、この近くに住んでいた安芸族や吉備族と同様な友軍として、この「伴」が大和にいたのではなでしょうか????
まあそれは、兎も角として、この時、歌ったジンムの歌は先に歌ったような味方を鼓舞させるために戦う歌ではなく、全く弱気な歌ですね。ジンムの持つ、このような人間性豊かな性質をも「古事記」は表しています。
さて、この場面を「日本書紀では」と思い紐解いてみますと、その記述は古事記とは相当の差異があり、事件が入り交じって展開されていますが、それは、またの機会にして、鵜飼伴は意味不明のまま「古事記」のみを今日は書いてみました。
どうでしょうか???
“兄師木弟師木<エシキオトシキ>”
です。
この一族が如何なる人達であることは分からないのですが、これ等の人々も、ジンムの前に立ちはだかります。相当強力な部族だったのかもしれませんが、この時、ジンムは連日の激戦に兵士たちも疲れ切って、これ以上戦いを続けることが不可能な状態に陥っております。
それを見て、ジンムは、天を仰いで、どうしたものかと悩むのです。すると、自然に、嘆き節が口を衝いて出てきたのです。
「楯を並べて、
伊那佐山の木の間を行き来しながら
敵と戦ったのですが
"和禮波夜恵奴<ワレハ ヤエヌ>”
私たちの皆は「ヤエヌ」飢えてしまったことよ。疲れ切ってしまったことよ。
味方である鵜飼ヶ伴<トモ>よ 早く助けにきてくれ」
と、天を仰いで声高々に歌うのです。でも、何故、「鵜飼ヶ伴」を呼んだのか、又、この一族が何者なのかもよく分かりませんが、この時、ジンムの胸には、この近くに住んでいた安芸族や吉備族と同様な友軍として、この「伴」が大和にいたのではなでしょうか????
まあそれは、兎も角として、この時、歌ったジンムの歌は先に歌ったような味方を鼓舞させるために戦う歌ではなく、全く弱気な歌ですね。ジンムの持つ、このような人間性豊かな性質をも「古事記」は表しています。
さて、この場面を「日本書紀では」と思い紐解いてみますと、その記述は古事記とは相当の差異があり、事件が入り交じって展開されていますが、それは、またの機会にして、鵜飼伴は意味不明のまま「古事記」のみを今日は書いてみました。
どうでしょうか???