私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

白檮原宮<カシバラノミヤ>で・・・

2019-08-13 08:52:52 | 日記
 書紀には、この「白檮原宮」を

          “天皇、即帝位於橿原宮”

 とあり、畝傍山の麓で、「橿原宮」と書いてあります。この地でジンムは

    “治天下<アメノシタ シロシメス>”。天下を治められるようになります。

 今から2680年も前のことです。

 これで古事記に書かれているジンムの事は最後かと思いきや、まだまだ続きがあります。一応。これで私のジンム記は、最後にしようかな???と思ったのですが、時間がたっぷりとありますから、ついでのことに、ジンムの最期まで、読み進めたいと思います。

 さて、そうしますと古事記には、ジンムがこの「白檮原宮」へ行ったことから書かれております。それは「大后選び」の歴史から始まります。ではそれから・・・


 「ジンム」の最初の后は、まだ、彼が高天原から降臨された“日向<ヒムカ>”にいた頃、“阿多之小椅君<アタノ コバシノキミ>”の妹

       “阿比良比売<アヒラヒメ>”

 を后とされ、二人の御子がありましたが、日向地方の豪族の娘で、天上の神々とは何らの関係もなく、血筋が正しい家柄の娘とは言い難いのです。そこで、この橿原の地では、正式な血筋正しい天上の神々と関係のある“大后<オホギサキ>”を求めになられ無くてはなりません。
 それを、古事記には

        “求為大后之美人”

 と書いてあります。この「美人」を<オトメ>と読ましており、「美」とは、一般にいう「美しい」ではなく、「天上の神々と血筋の繋がった由緒正しい若い女性」と云う意味です。